VCASI公開研究会「言語の起源と進化について」 その2


(承前)



入來篤史「霊長類の知性進化の神経生物学


道具を手や目の延長として知覚するという現象を通じて,それが脳神経的にどう観測されるか,そしてそれから何が言えるかという内容だった.
私はこの分野は詳しくないので一部の議論は理解しかねたが,脳のニューロンネットワークの伸展,遺伝子発現,fMRIなどで様々な計測を行うと,道具(熊手やカメラ)を使ったトレーニングに際してサルの脳で生じる構造変化がきちんと観測できるということのようだ.
そしてそれはどのような主体がどのような客体に対して何をしたかという問題に整理できる.これは文法的なSVOと考えることができる.(またenact, icon, symbolという3段階モデルも提示されていたが,ここはよく理解できなかった)
特に興味深いのは頭頂部にあるミラーニューロンの発火パターンで,様々な文法構造に対して様々なパターンが観察できる.(余談として入來は,実際にミラーニューロンを観察しているグループはわずかなのだが,世界中に様々な言説が広まっているとコメントしていた.いい加減な言説もあっていろいろご不満もおありのようだ)
また論理構造としても「逆を真」と考えるような誤りがヒトでは頻繁に生じるが,これも脳構造の変化から説明できる.またこのような性質は冗長性につながって進化的に有用だったのではないか(だから本来論理的に誤りでもそうなるのだろう)
進化史的な議論としては,ヒトの頭頂部の連合野ミラーニューロンがあり文法構造的な性質を示す部位)がサルに対して大幅に拡張されており,この余裕が言語を有無能力につながったのではないか.またこの部分は空間的な感覚と運動の連合を司っており,言語の空間アナロジー性が強いことを考えると示唆的だとも指摘していた.


はじめて聞くような話が多くて参考になった.空間知覚と運動の連合を通じて,主体と客体と動作という構造が脳にあり,それが言語の(そういう用語は使わなかったが)前適応になったのだろうという指摘は興味深い.文法において(論理的には必ずしもそうでなくともよいのに*1)主語と動詞と目的語が非常に重要だというのは,それが世界の描写などの情報としてより有益だという適応的な理由かと考えていたが,空間知覚と運動の連合という前適応における条件の制約があったかもしれないということになるのだろうか.



橋本敬 「言語と記号コミュニケーションの進化:構成論と実験によるアプローチ」


まず言語起源の議論(言語能力の生物的進化)と言語進化の議論(プロト言語から言語がどのように複雑化構造化したかという文化進化)は異なるものだと整理.この講演では言語進化の議論が主体となる.


続いてチョムスキーの言語の起源にかかる見解を説明.2002年の論文で言語と適応についての見解を出したらしい.
言語が適応進化かどうかという問題について,チョムスキーは一貫してそれは創発的な性質で適応ではないというグールド的な議論を行っていたが,2002年の論文では,再帰構造を持つという狭義の言語については依然として創発的な議論を行い,音韻や意味については動物との連続を認めるという説明をしているようだ.


この橋本の構成にはやや違和感がある.チョムスキーがいかに現代の巨大な知性だとしても,彼の進化適応の理解はまったく駄目駄目だ.(私は社会生物学論争でグールドに賛成しなかったことが心理的な負い目になって反適応的グールド的議論に乗っているのではないかと疑っている)今更彼が何を言っているかを気にする必要など全くないのではないかと思うが,社会科学者にとっては「何」を言ったかより「誰」が言ったかの方が重要なことがまだまだあるということなのだろうか?


さてここからが本講演の第一の主題.
言語進化がどのようなプロセスにおいて生じているかを様々なシミュレーションや実験を通じて探っていこうというもの.
ここで取り扱うシミュレーションは工学的な「時間発展規則を入れて結果を調べる」というものではなく,「いろんな規則を試してみて,どのような規則なら実際に結果に近くなるかを見る」というものでいわば「アブダクション」に近いのだという説明がある.


今回紹介されたのは,マルチエージェントシミュレーションで,複数のエージェントが社会で相互作用し,代を重ねていくもの.その中で,一定数の現実に対して発話が行われ,それを学習した次の世代がまた別の現実セットのなかで発話を行っていくというもの.再現しようとしている現象は「文法化」現象で,内容語が機能語に変わっていくという一方向変化.
これはユニバーサルに観察され,文の入れ子構造の再分析と,意味の類推という2つのプロセスで生じるのだろうとされている.

まず特に条件を入れずにシミュレートするとこのような一方向性は出てこない.
そこでいくつか前提条件をいじる.まずエージェントに類似性を認知するとそれをメタファー的に拡張するというバイアスを入れ,さらに世界には構造があって特定の2つの概念の共存する確率はそれぞれ異なるという条件を加える.
するとうまく一方向性がシミュレートできた.

橋本はここまでのシミュレーションの結果からわかることとして,「実際に観察される言語進化を可能にするプロセスには,それまでなかった表現を可能にするような特徴があることがわかる.そしてそれは現実に合わせて文の解釈を変える創造的な比喩をもたらすとともに,それまでなかった現実を実際に作り出すという機能がある,これは言語の重要な機能だと考えられるのではないか」という議論を行っていた.



興味深いシミュレーションだし,言語が自然に新しい表現を加えていく方向に変化しやすいという知見は面白い.しかし「新しい現実の創造のきっかけになるという言語の重要な機能」という議論は,私にはあまり重要なものとは思えなかった.たまたまそんなこともあるかもしれないという以上のことがあるだろうか.
言語の機能というなら,先ほどの「協力や分業を可能にする」あるいは「ゴシップを通じて社会のなかでの絆をつくる」「性淘汰形質として自分の質の優秀性をディスプレーする」などの方がはるかに重要に思う.そして発明は協力や分業を通じてなされることが多いだろう.



講演の第二の主題は,言語におけるコミュニケーションの役割
ここではシミュレーションではなく認知実験という手法が紹介される.認知実験とはある状況を何らかの信号で表してもらうという実験を行い,どのような体系が現れるか見るというものだ.
実際のリサーチとして面白い実験が紹介された.「ある空間において互いに出会う」という協力ゲームを行うときに制限付きのコミュニケーションを許して,成功するペアと失敗するペアのコミュニケーション方法を比較しようというもの.
これはどのような信号体系が効率的か,相手に理解されやすいか,暗黙の前提を効率的に作れるかなどが組み合わさった面白そうな知能ゲームだ.実験の結果としては,成功ペアはうまく暗黙の前提条件を作り,役割分担をこなし,理解しやすい簡単な信号体系を使っていたことが紹介された.



これ自体は大変面白い実験だ.ただこの結果はコミュニケーションの実務としては有益な知見かもしれないが,言語進化について何を語っているのかはやや明らかではないように思う.(コミュニケーションにおいては言語の内容以外にも重要なことがあるということを示したかったのだろうか.)
なお先日のエントリでちょっと触れたが,言語進化の方向にかかる要因について「情報の正確な伝達」だけに絞って考えるのは危ない議論だと思う.ディスプレーとか社会的絆とかの別の機能にとって有益ならそういう方向にも進化しうるだろう.
ちょっと辛口コメントになったが,それでも最初のシミュレーションの手法は非常に興味深い.言語進化にかかるプロセスがわかれば,少なくとも現在かかっている淘汰圧について知見を得ることができるかもしれない.例えば,性淘汰的なディスプレーが言語変化の原因になっているか(よりファンシーに見える方向に変化するか):これは男性,女性がどのような文法やしゃべり方に魅力を感じているかを独立に調べることができるのでそういうプロセスが男女にかかるとして,歴史的な言語変化が再現できると面白いだろう.ちょっと難しいがゴシップ説も調べる何らかの方法があるかもしれない.またスラング化については内集団の結束などから説明されることがあるが,そのようなことも調べられるかもしれないだろう.



橋本は最後に言語の起源についての仮説を提示した.
サピエンスになってからプロト言語が成立し,その後は文化進化として言語が進化したというアウトラインのようだった.そして(その時期を推測する)キーは5万年前の認知のビッグバンだという言い方をしていた.*2


これは今後検証されるべき仮説ということだから1つの考え方としてあるだろう.
私の(根拠のない適応主義的な)感想で言えば,言語の諸特性は強く自然淘汰が働いた結果成立したもので,おそらく10-20万年前のサピエンスへの進化の時点で,複雑性や構造についてはいまとほぼ同じ言語が成立していたのではないか.その後の変化は,文化進化の影響を受けて(社会の複雑さの上昇やアイデアの交換や蓄積により)幾分か複雑性は上がっただろうが大きな構造は不変のままどんどん変わっていったということではないかと思う.
いずれにしてもこのあたりの検証は難しそうだ.



パネル・ディスカッションおよび質疑応答


長谷川から生物進化としての言語の起源を巡る議論の現状について,まずホモになった200万年前に何が生じて,次にサピエンスになったときに何が生じたかということが議論の焦点になっているだろうと総括.
そのほか最近の情勢をいくつか補足説明.

  • ベルベットモンキーの捕食者別警戒音がプロト言語だとよく紹介されるが,あれはもっと大きな意味の固まりで「上に注意」とか「下から何か」とかいう対処の仕方まで含めたものだという意見が多くなっている,捕食者別の警戒コールは実はよく観察されるものでニワトリにもある.*3
  • また霊長類では仲間のコールの状況(誰と誰がどのぐらい遠いところでどのような順番と間隔でコールしたか)からかなり正確な社会状況を推論(あのオスとあのメスはペアを解消したんだ)していることがわかってきている.
  • このほかよく議論に出てくるのは,FOXP2とか喉まわりの筋肉などの形態変化だが,いずれにしてもすべてを統合してみなが納得するシナリオはまだ登場していない.


入來からは多義性や冗長性が言語進化においてとても重要だったのだろうと感じているとコメント


この後フロアからの質問で,「3項関係はあくまで個人個人が特定できる少数のフェイストゥフェイスの関係だが,アノニマスの社会となると別の議論になるのではないか」というテーマを巡って一通りやりとり.あまり議論がかみ合ってはいなかったが,個人の集まりという以上の「社会」という実体を持った何かが創発するのかという見解の相違のような議論だった.行動生態学者としてはなかなか「社会の創発的実在」の議論には乗れないだろう.


それからシミュレーションで示された言語の拡張性(超越性)についても議論がされていた.単語について大きな意味の固まりからコンポーネントに切り分け,順序が文法の形になるなかでこの性質は重要だろうという意見が出されていた.


最後に青木から長谷川に「チョムスキーの議論にコメントを」と振りが入った.これにはちょっとびっくり.チョムスキーの言語創発議論が極めつきの筋悪の反適応主義の議論だと青木は知っていて振ったのだろうか.
長谷川は顔色1つ変えずに「『あるとき突然変化が起こって言語能力が生まれました』というのは仮説検証の体系になっていないので,私にとって役に立ちません」と答えていた.
その後で,「言語はいろいろな異なったコンポーネントが集まった集合体だと思う.その一つ一つをどういう理由でできてきたのかをわかるように研究していくということだろう.そしてそれは生物進化だから遺伝的変化を伴うが,間違いなく『言語遺伝子』のようなものはないと思う.様々な遺伝子が合わさって脳の中でどのような発現をしているのかということが重要だろう」と付け加えていた.なかなか含蓄のあるコメントだった.


というところで公開研究会は終了である.興味のあるテーマでいろいろな話が聞けて大変楽しかった.なおこの研究会はストリーム配信で公開されるそうだ.多くの人に視聴されるといいなと思う.

*1:場所にこだわるとか時間にこだわるという言語も論理的にはあり得る

*2:この5万年前の認知爆発については,後で長谷川からそのまわりの様々な知見を紹介しつつ,まだ議論のあるところだという指摘がされていた

*3:これは先日の「ダーウィンが来た」でタイワンリスにもあると紹介されていたことが思い出される