「Spent」第17章 自由を法制化する その2

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior


ミラーは最後にまとめの議論をしている.
ミラーによると「誇示的な消費」は私達の文明にロックインしている1つの信号システムのあり方だということになる.しかしこれは1つの可能性が実現しているだけで,自然でも必然でもない.


さらに調和性や誠実性のディスプレーの効率性,正確性という点から評価すると,「誇示的な消費」はあまりいいシステムではない.ミラーは,実際に昨今の消費者は伝統的な誇示的消費から,誇示的倫理的消費に移りつつあると指摘し,「調和性と誠実性が高い消費者は,リサイクルペーパーやフェアトレードコーヒーをプレミアム価格を払って買うようになっている.」とコメントしている.

ミラーはさらにこのような西洋的な誇示的消費から世界が抜け出すためのきっかけとして,異なる文化圏にある中国とインドの興隆に期待しているようだ.インドのことはよくわからないが,私には中国はまさに誇示的消費の王道に向かって驀進しているように見え,ミラーの期待するような方向に進むとはとても思えないところだ.



結局現行の信号システムがよくないというのは,より効率的な信号システムの方が「よいもの」だというミラーの価値観によるということだろう.ミラーはここをあまりきちんと議論していない.「直接会って話をする方が,高額商品で飾り立てるよりよほどうまくディスプレーできるのに」という気持ちはわかるが,価値観に絡む部分の整理がないと議論としては説得力が弱いような気がする.アメリカのリベラル寄りの人々にとっては「誇示的消費=虚栄心の発露で無駄でよくないもの」という価値観は割とよくあるものなので特に議論していないということかもしれないが,読んでいて物足りなさは残るところだ.ここは誇示的消費の負の外部性の効果をきちんと議論すべきところだろう.
そして私の個人的な感想では,その負の外部性は(特に宝石や電子ガジェットのような小さなものなら)それほど大きくはないのではないだろうか.(だからこそミラーは直前で品目別の税制を支持しているのだろう)



ミラーは信号システムの切替コストにも触れている.
世界が信号システムを誇示的消費から切り替えても何か問題は生じないのだろうか.これは経済を停滞させないのか?
ミラーは変化が急速に起こればそのような心配もあるが,ゆっくりなら経済は大丈夫だろうと根拠無く答えている.ここで,社会規範が変わって世界の主流信号システムが誇示的消費でなくなったときに,企業がいかに対応するかを,いわゆる「創造的破壊」と結びつけた議論をしているが,それはやや別の話だろうと思う.
ここをきちんと議論すれば,実際の消費性向が異なってくるのかどうかが重要なポイントになるだろう.そして切り替えたならそれは実際に下がり,(アメリカのような低貯蓄経済には)長期的な資本蓄積には有利で短期的には景気抑制的だということになるのではないだろうか.(つまり短期的には誇示的消費は正の外部性を持つかもしれない)


ミラーは最後に現在の誇示的消費は馬鹿げたディスプレー方式なので,それを変えた方がもっと質の高い人生を追求できるのではないかと繰り返して本書を終えている.
本書は14章まではなかなか刺激的な知見を紹介するもので大変面白かった.15章以降についてはちょっとリベラル的な価値観が暗黙の前提になりすぎていてやや興ざめなところもある.ミラーとしては最初に自分はリベラル寄りだとディスクローズしているのだということなのだろうし,一般向けの本としてはこのような内容の方が受けるということなのかもしれない.ともかくも読了である.