
Did Darwin Write the Origin Backwards?: Philosophical Essays on Darwin's Theory (Prometheus Prize)
- 作者: Elliott Sober
- 出版社/メーカー: Prometheus Books
- 発売日: 2010/12/01
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ソーバーのダーウィン解釈は続く.次はもっとも有名な社会性昆虫の不妊性についての記述.通常これはダーウィンが血縁淘汰的な理解に近づいていた部分として引用されるものだ.ソーバーにとってはやや不利な記述と言える.ここをソーバーがどう扱うかが興味深いところになる.
<社会性昆虫の不妊性のワーカー>
ソーバーのあげる引用は「種の起源」の以下の部分だ.
How the workers have been rendered sterile is a difficulty; but not much greater than that of any other striking modification of structure; for it can be shown that some insects and other articulate animals in a state of nature occasionally become sterile; and if such insects had been social, and it had been profitable to the community that a number should have been annually born capable of work, but incapable of procreation, I can see no very great difficulty in this being effected by natural selection.
私の理解では,ダーウィンは「(血縁家族である)コミュニティの利益になるならそういう性質が(利他的であっても)進化することについてはあまり問題は無い.しかし不妊のワーカーの性質がなぜ子孫に伝わるのかは問題だ」と考え,そこで有名な去勢オス牛の肉質の問題から考察した血縁淘汰的な記述につながっているということになる.
ソーバーはこの部分についてこう書いている.
ダーウィンはこの難点を二つに分けている
- どのように不妊性は進化したのか
- どのように形態的な分化が可能なのか
ここでは前者の問題に絞ろう.私はダーウィンはグループ淘汰でこの問題に答えたと考えている.不妊のワーカーのいるコロニーの方がより成功する「コミュニティの利益になる」からだと.
しかしここで「不妊性も遺伝する必要があるが不妊のワーカーは子を残せない」という問題が生じる.ダーウィンはここで視点の転換を行った,親の戦略としてこの問題をとらえなおしたのだ.そしてこれを考えついたヒントは人為淘汰にある.肉質の改善は血統を通じて可能だと言うものだ.彼はこれを「ファミリー淘汰」と読んでいる.
ここからソーバーはダーウィンの不妊性進化の議論全体は実はグループ淘汰的だと解釈できる*1主張する.まず去勢オス牛*2と血縁の問題を持ち出したのはそれは「親の戦略」として問題を見たからだと整理する.そして「親の戦略」だとすると個体淘汰的なようにも見えるが,それはコロニー内の淘汰ではなくコロニー間の淘汰なのだから引き続きグループ淘汰的なのだとする.
これは控えめに言ってもかなり牽強付会的な読み方だろう.確かにダーウィンが去勢オス牛を持ちだしたのその性質がどのように子孫に遺伝するかという問題に関してであって,特に利他的性質の進化条件として明言しているわけではない.進化条件は(血縁個体により構成される)コニュニティの利益という部分だ.しかし少なくとも去勢オス牛に関しては血縁が強調されていて,グループ間淘汰が強調されているわけではない.最終的にはどちらのフレームでも解釈できると言うことだろうが,「この議論は血縁淘汰的ではなくグループ淘汰的だ」というのはかなり無理があると思う.
ソーバーはこの不妊性の進化はダーウィンを悩ませていた大きな問題であって,自説をなかなか発表しなかった理由の大きな部分であっただろうとコメントしている.これはそうなのかもしれない.
<雑種の不妊性>
これはダーウィンとウォレスの意見の不一致の中の1つだ.ウォレスは雑種の不妊性は種の利益になるからだと単純に「ナイーブグループ淘汰」的に考えた.ダーウィンはこれを副産物だと考えた.
これは通常,ダーウィンがグループ淘汰的ではなく個体淘汰的であったことの証左として扱われる.しかしソーバーはここで以下のような議論を行っている.
ダーウィンは副産物説の論拠として(1)不妊性はしばしば不完全,(2)同時に同地域に存在しなかった種間でも不妊性がある,(3)個体に何のメリットももたらさない,の3点を挙げている.
もしダーウィンが徹底的に個体主義的なら(3)だけで良いはずだが彼はそうしていない.(なおこの理由付けはソーバー的には間違いだということになる)ダーウィンは注意深く「それが属するコミュニティの利益にならない」からグループ淘汰を生じさせないと考えたのだ.
これもかなり牽強付会的でいただけない.論拠を1つだけあげずに補強しているからといって,その論拠のみで議論できないと考えていたことにはならないだろう.
素直にウォレスとの書簡集を読むと,ダーウィンは時にウォレスのナイーブグループ淘汰的な議論に説得されそうになるが,それをもう一度ロジカルに個体淘汰的に考えると成り立たないはずだと考え直しており,最終的に(1)(2)の補強証拠もよく考えて副産物説を採っていることがわかる.だからこの部分ではダーウィンは(なお明晰では無いが)ナイーブグループ淘汰的ではなく個体淘汰的であった例として読むのが適切であるように思う.
なおソーバーはここで種淘汰も条件によっては成立しうるとして,様々な「共生」や「主要な移行」の例をあげている.「主要な移行」に関しては,そもそもこれはメイナード=スミスの業績で,かつメイナード=スミスが包括適応度的に説明しているものだが,ソーバーはそれをマルチレベルグループ淘汰的に再解釈し種淘汰可能としているようだ.ここも数理的に等価なのだからフレームは再解釈できるということだろう.
<ダーウィンのグループ淘汰に関する一般的な見方>
ソーバーはここでダーウィンのグループ淘汰思考についてまとめをおいている.
- 結局ダーウィンがグループ淘汰について言及している部分は少ない.みてきたように全部で3カ所(ミツバチの返しの付いた針,ヒトの道徳,社会性昆虫のワーカーの不妊性)だ.
- 性淘汰は完全に個体淘汰的に記述している.
- ダーウィンはほとんどグループ淘汰を擁護しないが,なぜかは説明していない.
- 「種の起源」の初版ではグループ淘汰推進的ではない.そして「Descent」執筆中に考えが変化していったのだろう.「種の起源」の表現も少しづつグループ淘汰擁護的になっていく.
- ではなぜあまり記述していないのか.ダーウィンは(利他行為的なものだけでなく)非常に広い特質を議論したかったのだろう.
- ダーウィンは淘汰単位については混乱していたというのが多くの生物学者の言い方だ.私は本章でダーウィンは非常に繊細な思考家であることを示したかった.彼は決してナイーブグループ淘汰的ではない.
ダーウィンは確かににあまり淘汰の単位について深入りしていない.それは当時そのような論点に気づいているのはダーウィンだけだったからであり,それも完全に明晰に解決できていたわけではなかったからだろう.自然淘汰は基本的に個体淘汰的に働くが,利他的性質の進化に関してはより深い説明が必要なこと,そして血縁が前提のコミュニティ,互恵的利益,名声などがその説明になり得ることまで考察しているのは,時代をはるかに先駆けていると評価すべきことだ.
いずれにしてもダーウィンはナイーブグループ淘汰的ではなく,このあたりについて注意深く考察しているのはソーバーの言う通りだろう.
なおソーバーはダーウィンがグループ淘汰擁護的になっていった例として「種の起源」のある文章を例としてその変化を追っている.
- 初版 In social animals it [natural selection] will adapt the structure of each individual for the benefit of the community; if each in consequence profits by the selected change.
- 第5版 In social animals it [natural selection] will adapt the structure of each individual for the benefit of the community; if this in consequence profits by the selected change.
- 第6版 In social animals it [natural selection] will adapt the structure of each individual for the benefit of the community; if the comunity profits by the selected change.
確かに初版では個体にとって有利なものであれば,かつそれがコミュニティにとって有利であるものは進化する.となっているものが,「Descent」出版後の第6版では単にコミュニティに利益があれば進化するような記述に変更されている.これは「Descent」においてヒトの道徳に関する部分で,部族内で個体淘汰的には不利になるような形質が進化しうると議論したことにあわせて変更しているのだろう.もっとも「(血縁が前提の)コミュニティに利益があれば利他的な形質が進化しうる」というのは以前から主張されていたことなので,「Descent」執筆後にここを揃えようと考えたようにも思われるところだ.ソーバーとしてはこれをグループ淘汰擁護的と解釈したいと言うことだろう.
繰り返しになるが,ダーウィンの非常に注意深いがやや曖昧な記述は,結局数理的に等価な理論のどちらでも解釈できるということだと思う.いずれにしても本章においてソーバーがこの数理的等価性についてきちんと扱わず,冒頭であたかも「グループ淘汰の方が広い概念でその中に血縁淘汰が含まれる」かのような表現を挿入しているだけなのはいささか理解に苦しむところだ.*3
関連書籍
ダーウィンの膨大な書簡集の中のウォレスとの対話は,幸いなことに邦訳がある.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20100618

- 作者: 新妻昭夫
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なおしばらく多忙になりますのでブログの更新は2週間ほど停止する予定です.