「ゲームをするサル」

ゲームをするサル―進化生物学からみた「えこひいき」(ネポチズム)の起源

ゲームをするサル―進化生物学からみた「えこひいき」(ネポチズム)の起源


本書は霊長類の社会や行動のリサーチが専門の進化生物学者であるダリオ・マエストリピレリによるヒトの社会や行動に関する一般向けの啓蒙書である.本書は様々な社会環境においてヒトや類人猿やサルがどう振る舞うかを説明し,ヒトの本性や行動パターンを理解するにはその社会的な相互作用の視点から見ることが重要であることを主張するものだ.そしてこれは行動経済学進化心理学的なヒトの本性や行動にかかる説明に対するアンチテーゼだというのがもう一つのメッセージになっている.
原題は「Games Primate Play」.これは「ゲームをするサル」というより「霊長類が行っているゲーム」という意味で,私は本書を最初手にしたときに霊長類の行動やヒトの行動について特にゲーム理論という視点から深く解説する本かと思ったが,(ゲーム理論はもちろん登場するが)特にゲーム理論による分析部分が中核になっているというわけではない.また副題に「進化生物学からみた『えこひいき(ネポチズム)』の起源」とあるが,それは本書の内容のごく一部にすぎず,ややミスリーディングだ.


序章でマエストリピレリの立ち位置を説明した後,第1章では「エレベーターの中のジレンマ」を取り上げる.私たちはエレベーターに一人で乗っているときに誰かが別の階で乗り込んでくると居心地の悪い思いをする.それは順位制を持つ霊長類に生じる「自分との順位関係がはっきりせず,かつ自分に危害を加える可能性のある余所者に対する緊張」と同根のものだというのがマエストリピレリの解説だ.マエストリピレリは自分が行ったエレベーターの人間観察の実例で読者を楽しませながら,霊長類の毛繕いの意味とそこにある囚人ジレンマ状況*1を解説している.


第2章では順位制についてさらに一般的に考察する.マエストリピレリは「私たちのe-mailの処理は自分と相手の社会的な順位関係に大きく影響を受けている」と指摘し*2,これも古い霊長類の行動パターンの現れだと解説する.ここでは子供たちの中の同盟と敵対関係,カップルの力関係,霊長類の順位制を巡る学者間の論争*3,順位性とタカハトゲーム*4などを扱っている.


第3章は血縁淘汰.この冒頭で語られるマエストリピレリの出身地イタリアにはびこるネポチズムの描写は衝撃的だ.イタリアではラコマンダチオーネ(英語のレコメンデーション(推薦)とラテン語の語源を同じくするイタリア語の単語)という言葉ともにありとあらゆるコネが徹底的に追及される.マエストリピレリ自身学生の時に当時残っていた徴兵制による軍務の際にコネを頼って勤務の楽なローマにある空軍基地に配属してもらうことに成功する.そしてその後入ったイタリアのアカデミア世界は教授たちが互いの身内をポストに押し込む強烈なコネ社会だった.マエストリピレリはその実例をこれでもかとばかり詳細に紹介している.マエストリピレリはイタリアでは学者としての実力が全く評価されないことを深く理解してアメリカに移ることになる.*5
霊長類の社会でも,彼らは血縁個体をひいきし,高い順位個体の子はその地位を継承しやすい.ヒトは権力や地位だけでなく財産や知識,価値観も継承するところが独特だとマエストリピレリは解説している.


第4章は血縁びいきがある中で順位を上げていく過程について.これには自分の置かれた状況に依存したいくつかの戦略があり得る.マエストリピレリはこれをヒトとサルにおける様々な個人,個体の物語として提示している.ヒト側の話は「マイクロソフト社で部長以上に駆け上がるため」あるいは「ラボで教授を押し退けて権力を握るため」という生臭い話になっていてなかなか面白い.本書の中盤ということで先ほどのイタリア縁故話に続いて読者の興味をつなぎ止めようということだろう.
マエストリピレリは,様々な戦略は得られる利益(高順位個体はどこまで独り占めできるのか),コスト,その成功確率に依存し,それらはさらに群れ内の同盟関係に影響を受けることを解説している.


では同盟はどのように作ればいいのか,それは信頼と協力の問題になる.ということで第5章は協力.この章ではヒト以外の霊長類の話題はあまりなく,主にヒトについてということになる.まず「目の効果」のエピソードを出してから利他性の進化の話題に入る.ここでは囚人ジレンマゲーム,公共財ゲーム*6というジレンマ状況の解説,その解決としての直接互恵,間接互恵と名声と独裁者ゲーム,罰,罰の内面化,倫理的攻撃あるいは悪意ある噂話としての報復リスクの低い罰の解説が続く,そしてこのような解決は様々な状況依存的な行動戦略につながる.

ここでマエストリピレリは現在のアカデミアにおける匿名の査読システムの問題点を指摘していて,異様な迫力がある.まず匿名の査読者は制裁を受けにくいので不正(業績上あるいは研究費を巡るライバルの論文を掲載させない,掲載を遅らせてその間にアイデアを盗む)の温床になると指摘する.そして二重盲検制(査読者を匿名にするだけでなく,査読者から見て論文執筆者も匿名にする制度)は,実際には論文執筆者を推測することが難しくないためにワークする事が期待できず,顕名の査読制に改めるべきだと主張する.学界では顕名制は不人気で,反対理由として執筆者からの報復の懸念があげられるそうだが,マエストリピレリは「ではなぜ査読者の不正のリスクは問題にされないのか」と畳みかける.マエストリピレリによると,一方的な不正は(報復と異なって)道徳的に容認しがたく,(ヒトはインセンティブに反応するということをよく知っていても)ヒトがそのようなものであるという議論は人気がないのだということになる.


第6章は愛について.このあたりからマエストリピレリ行動経済学進化心理学の見方に疑問を投げかけるようになる.まず最初にロバート・フランクの「(短期的に非合理的な)愛情は(互いにより良い相手が現れたらすぐ乗り換えるという合理的行動をとるなら,そもそもカップルは成り立たなくなるという)コミットメント問題の解決策である」という説を解説してから批判する.

マエストリピレリは「様々な協力関係には同じコミットメント問題があるのに,なぜ恋愛関係にだけ愛情が生じて,事業協力者間には生じないのか」「非合理的な愛情はカップルを不安定にする効果もあるのではないか」「愛情が冷めることはどう説明されるのか」「シラノ・ド・ベルジュラックの報われない愛はどう説明されるのか」と疑問を呈する.そして愛情は「子育ての協力関係をできるだけ長く続けるための絆強化機能」としての適応形質であって,コミットメント問題の解決のための適応ではないと主張している.特にヒトのモノガミーは進化的に新しいので,親子関係の感情を土台にした荒削りの強い感情が絆形成のために進化したのだという.
しかしコミットメント問題解決と絆形成は排他的な問題だとは思えない.特に重要だった子育て事業協力においてコミットメント問題解決も含んで絆強化としての適応があったという可能性があってもおかしくないだろう.この点についてマエストリピレリはコミットメント問題の解決は継続的なコスト負荷テストによるしかなく不合理な感情では無理だと考えているようで第7章の詳しい議論に続く.マエストリピレリは,このほかのヒトのセクシャリティの謎のうち排卵隠蔽やペニスの長さについても議論している.しかし「いつでもセックスできたり幅広い体位が可能になることで絆強化に役立つ」という趣旨で,ナイーブで稚拙な印象だ.


第7章は絆の検証.第6章の議論の背景には,マエストリピレリの「コミットメント問題の解決は正直なシグナルとともにあらねばならず,それは何度も何度も相手にコストを負荷するという継続的な検証によるしかない」という考えがある.そしてハンディキャップ理論の説明やその実例(互いに睾丸を握りあうヒヒや,眼窩に指を入れ合うオマキザルの例は印象的だ)を詳しく紹介している*7
この検証問題は実は奥が深い.マエストリピレリはそこまで踏み込んでいないが,確かにもし愛情がコミットメント問題解決のための不合理な感情なら,なぜそのフェイクが進化してシステムが崩壊しないのかというのは,興味深いところで,あるいはマエストリピレリは面白いところをついているのかもしれない.
またここではザハヴィの理論がなかなか受け入れられなかったことについて,科学の世界の物事の進み方の問題点を示していると(先ほどの査読制の問題に続いて)糾弾している.この学界の物事の進み方への怨念話がところどころ現れるのも本書の味の1つだ.いろいろと腹に据えかねることがあったのだろうかと思わせる.


第8章は正しい相手の見つけ方.「冴えない中年のアメリカ人男性でもタイでは若い女性の結婚相手を見つけることができる」という逸話から入って婚活マーケットの構造を解説する.そして動物にも交尾,その他の取引のマーケットがある.ベルベットモンキーの毛繕い時間を通貨とした取引の話,掃除魚とお客様魚の取引の話*8はなかなか面白い.またここでマエストリピレリアメリカにおける作家と出版社と作家のエージェントの関係を解説している.ここはなかなか具体的で面白い.結局誰も本の真の価値を前もってはわからないこと(エージェントの優劣も同じで,結局作家もエージェントも過去の実績と評判で判断される),本の売れ方には正のフィードバックがかかることがマーケットをゆがめているのだ.マエストリピレリはマーケットの分断を利用して最初の主著書を大学出版部の学術書シカゴ大学出版部から出した「マキャベリアンのサル」)として世に出すことに成功したと語っている*9.ちょっと自慢げで楽しい.ここで2作目となる本書についてのマーケティング戦略(原書はベイシックブックスからの一般書として出されている)について解説されてないのがちょっと残念なところだ.
ここでのマエストリピレリの主張のポイントは,相手として選ばれる競争があれば,その評判のために協力が進化しうるということだ.これは(マエストリピレリはそういう表現は使っていないが)ゲームが連結されると別のゲームにおける評判のためにあるゲームでは協調の手を取ることが合理的になるということと同じだろう.


第9章は進化心理学と系統分析について.マエストリピレリは簡単に進化心理学を解説した*10後,批判を行っている.基本的な不満は,進化心理学者が学生を使った実験で満足していること,系統的な分析にあまり関心を持たないことだ.もっと現実社会でのフィールド観察を行い,系統比較を行うべきだというのだ.そして怒りの感情の起源は古いこと,ヒトの微笑みはサルに見られる歯茎を見せる表情と相同であることなどを力説している.
マエストリピレリのバックグラウンドを考えるとわからないでもないが,この批判はやや勇み足的な印象だ.フィールド観察の論点はどの程度進化環境と現代環境のミスマッチを考慮すべきかということで,実際の社会での観察の有用性を否定する進化心理学者はいないだろう.同じく(まさにティンバーゲンの4つの何故と同じで)至近メカニズムや系統的な分析を否定する進化心理学者もいないだろう*11.基本的には進化心理学者は,類人猿やサルと共有する至近メカニズムより,ヒト特有のユニバーサル的な行動特性,心的性質を適応の観点から理解することに興味があるのであって,そのためには他動物との比較研究ではあまり大きな情報を得られないだろうと考えてもそれほどおかしくはない.熱くなった論争で何らかの行き違いがあったということなのだろうか.読んでいてあまり納得感のないところではある.



マエストリピレリは最後のエピローグにこのようなリサーチと人生の意味についての随想をおいて本書を終えている.ちょっと衝撃的なエピソードも交えて語っていてなかなかいい余韻を残すエッセイになっている.


本書の前半は,霊長類の一員としてヒトを見ると様々な現象がよく理解できることが説得的に示されていて読んでいて面白い.私たちは毎日の生活で血縁びいきや評判を考慮せざるを得ない順位制ゲームの中を泳いでいるのだ.そしてそれは行動経済学進化心理学だけでヒトの行動の理解はできないのではないかと主張する後半につながっている.マエストリピレリは,エソロジー的な観察主体のキャリアを積みながら,本書全体を通して行動生態的に物事を整理しようとしており,その姿勢は大いに買いたいが,ところどころで行動生態学の理解の浅さ,理論面でのスロッピーさが顔を覗かせていて,この後半の主張はやや的外れに思われ,少し残念なところだ.ともあれ基本的な主張は「ヒトについては様々な方向からリサーチされてしかるべきだ」というものでそれ自体については誰も異論は無いだろう.片方で本書中にちりばめられたヒト社会の力学の描写はリアルで大変面白い.特に学界の実情に関する部分はある意味内部告発にもなっており著者の思いも伝わり迫力十分だ.この霊長類研究の成果をそのまま当てはめて解釈できる様々なヒトに関する実例の見事さは本書の大きな魅力を形成していると思う.


関連書籍


原書

Games Primates Play: An Undercover Investigation of the Evolution and Economics of Human Relationships

Games Primates Play: An Undercover Investigation of the Evolution and Economics of Human Relationships


前著

Macachiavellian Intelligence: How Rhesus Macaques and Humans Have Conquered the World

Macachiavellian Intelligence: How Rhesus Macaques and Humans Have Conquered the World


同翻訳

マキャベリアンのサル

マキャベリアンのサル



 
 

*1:緊張状態の中で先に相手に毛繕いを始めることが協調の手になり,そしてお返しを要求されてそれに答えることがまた協調の手になるという解説だが,これは選択が交互になされる形式だ.純粋の囚人ジレンマは同時選択だからやや拡張した概念ということになるだろう.そのあたりの解説はない.

*2:返信を返すタイムラグ,頻度,返信の長さなどなかなか細部は面白い.

*3:一部の学者は順位関係は実際には存在せずリサーチャーの心の中にだけあるのだと主張したらしい.なかなか哲学的な議論だ.このほかにも実際的か形式的か,絶対的か相対的か,権力関係か順位関係かなどの様々な議論があるらしい.

*4:常に徹底的に争わない形質が進化する理由の説明,実力とは異なる何らかの不均衡要因が順位を決めることが生じうる説明など

*5:なおアメリカは世界で最もネポチズムから実力主義側に寄った世界だが,マエストリピレリはそこも今ではネポチズムに浸食されつつあると警鐘を鳴らしている.一部の新自由主義者は親が子に肩入れするのは自由であり,それは社会に好ましい結果をもたらしうると強く主張するらしい

*6:ここではイタリアの脱税天国ぶりが小ネタに振られている.

*7:なおマエストリピレリの一部の解説は不正確だ.ガゼルのストッティングがハンディキャップシグナルであり,それはメスに向けられたものだとされているが,オリジナルのザハヴィの議論はこれはライオンに向けた正直なシグナルだという主張のはずだ.また「アラン・グラフェンによるハンディキャップ理論の立証はコンピュータシミュレーションによる」と解説しているが,グラフェンは解析的にこの数理モデルを構築,立証している.

*8:客には定住魚(掃除魚をえり好みできない)と巡回流れ者魚がいる.そしてもちろん定住魚は時に掃除魚に粘膜をかじられるが,流れ者魚は常に最高のサービスを受けるのだ.またお客様魚は騙しを警戒して時に粘膜を食べた掃除魚に罰を与えるらしく,掃除魚は(報復の可能性のない)麻酔をかけたお客様魚に対しては狂ったように粘膜を食べ続けるそうだ

*9:またこの狭いマーケットにおいてもピンカーとグラッドウェルに次いでレヴィットとダブナーの本が売れて,経済学者と心理学者の作家としての市場価値は一時的に上昇し,その後供給過剰とともにまた下がっているそうだ.

*10:なぜか「モジュール」という用語を使わず「アルゴリズム」という用語に変えているが,その真意はよくわからない

*11:コスミデスがそのようなことを主張しているという記述があるが,出典が明記されていない(邦訳で省略されただけかもしれない)のでよくわからない.