「モラル・トライブズ」

モラル・トライブズ――共存の道徳哲学へ(上)

モラル・トライブズ――共存の道徳哲学へ(上)

モラル・トライブズ――共存の道徳哲学へ(下)

モラル・トライブズ――共存の道徳哲学へ(下)


本書は脳科学的な手法も取り込んで道徳を考察している道徳哲学者ジョシュア・グリーンによる道徳に関する本だ.非常に広い視点から道徳を論じていて,「そもそも道徳とは何か,何故ヒトにあるのか」という部分は進化生物学的にも興味深いところだし,「どう実装されているのか」にも踏み込み,さらに道徳哲学者らしく「どうあるべきか」まで論じていて非常に広い.前半の論点はハウザーたちの進化心理的な道徳のとらえ方を踏まえ,カーネマンやハイトによる二重過程の考察と重なるし,最後の価値的な主張の部分についてはアリストテレス,カント,ベンサムさらには現代の道徳相対論者やロールズまでスコープが広がっている.原題は「Moral Tribes: Emotion, Reason and the Gap Between Us and Them」.


序章は4つの部族の寓話から始まる(これがタイトルの由来になる).彼等は共有地の悲劇をそれぞれ別の方式で解決する部族(完全共産制,完全私有地制,共有地制で羊頭数を家族間で平等にする,同じく人数割りにする)だ.彼等はそれぞれうまく部族内での共有地の悲劇を回避するが,部族間のもめ事は,それぞれの正義についての信念が異なるために解決できない.グリーンは,道徳は共有地の悲劇を避けることができるし,おそらくそれにより進化適応したヒトの心的特性だが,詳細はコミュニティにより異なり,それはコミュニティ同士の争いを解決することができない(グリーンはこれを「常識的道徳の悲劇」と呼ぶ)と示しているのだ.この寓話は実によく練って作られていて,いろいろリアリティもあって面白い.またこの「常識的道徳の悲劇」がリアルであることについては,オバマケアや地球温暖化などの現代の政治問題が,個人の権利,全体の善,平等などの道徳的価値の衝突から解釈できる例を引いて説明もしている.そしてそれはグリーンの最後の主張「グローバルなメタ道徳を功利主義的に組み上げるべきだ」につながるのだ.

この後本書は3部構成を取る.第1部で道徳とは何か,第2部で道徳はどう実装されているか,第3部から第5部でグローバルなメタ道徳をどう構築すべきかが扱われる.

第1部 道徳の問題

最初は共有地の悲劇の構造が解説される.このあたりは私のような読者には進化生物学的な協力の進化でおなじみのところだが,グリーンは個人の利益と集団の利益の不一致から解説している.ここでは(しばしばスロッピーな論者がすっ飛ばしてしまう)「微妙な裏切り」の問題がきちんと提示されていて好感が持てる.そして道徳はこれへの解決策つまり協力の促進を可能にするために進化したと説明する.なおここでグリーンはハイトが入れ込んでいるグループ淘汰の問題にもコメントし,「道徳の進化に部族間競争が関与した可能性はあるが,グループ淘汰がその説明に必要だとは考えていない」としている.(本書のところどころにはナイーブグループ淘汰的な記述もあるのがちょっと気になるが,基本的なグリーンの立場は,「道徳は互恵的戦略や包括適応度的に説明できるはずだし,そもそもこの理論的な部分には深入りしない」ということだろう,道徳哲学者として賢明なスタンスだと思う)
ここでグリーンはこのような進化的な説明が生じさせる疑問「道徳にそもそも共有地の悲劇と関係なさそうな内容があるのは何故か(中絶問題,性行動や食べ物のタブーなど)」「隣接部族を負かすための内容であればそれは不道徳なのではないか」についても答えている.前者については実は関係がある,後者については一旦進化した適応形質は別の目的にも利用できることで説明できるとしている.哲学者らしいこだわりが見えるところだ.
続いて道徳内容がどのように共有地の悲劇を避けるのかが扱われる.おなじみの家族愛,友情(直接互恵性),復讐心,忠誠心,評判を気にする心(間接互恵性),内集団びいきに加えて,「最低限の良識」という項目があるのがちょっと面白い.ただこの最低限の良識についての進化的な説明がないのがちょっと残念だ.また内集団びいきについては(常識的道徳の悲劇に大きく関連するため),その現れである差別や偏見についてやや詳しく解説されている.
また制度的なリヴァイアサンと罰について同じ項目で扱っているのも少し変わっている.進化心理的には向社会的な可罰心理と農業以降の制度とは分けて考えたくなるが,哲学者から見ると「制度がなくても可能か」という切り口になるということらしい.向社会的な可罰心理の進化はなかなか理論的に面白いところだが,グリーンは「この問題については未解決だが,そのような心理があることは間違いない」として先に進んでいる.
そしてこれらの戦略を可能にする情動的傾向(共感,怒り,嫌悪,感謝,復讐心,羞恥心,罪悪感,忠誠心,謙遜,畏怖,部族主義,義憤など)が私達の心にあるとまとめている.


続いて常識的道徳の悲劇の問題に進む.
私たちの道徳は部族間協力の問題を解決できない.グリーンはその要因を2つに分解している,1つは単純な部族主義,もうひとつは部族間の協力条件の齟齬によるものだ.
グリーンの議論にとっては特に後者が重要になる.グリーンは齟齬について,独裁者ゲームや最後通牒ゲームの文化差やニスベットたちのアメリカ南部文化のリサーチ,さらに西洋とアジアの集団主義の濃さの違い*1を引き合いに出してその実在を示し,一部は程度問題だが,一部は「神聖不可侵」の問題になる*2と解説する.
さらに齟齬にはグリーンのいう「バイアスのかかった公正」の問題がある.グリーンはそういう用語を使っていないが,これは要するに自己欺瞞の問題だろう.ヒトは自分に都合のよい基準を持ち出していながらそれが正しいと思い込み,自分でそれに気づかない.それは基準の選択以外にも事実の認識にも生じる.
要するに私たちは部族間で道徳的意味が異なる問題については道徳による解決ができないのだ.グリーンはそれを解決するには理性を用いるべきだと第3部で主張することになる

第2部 速い道徳,遅い道徳

ここでは道徳の実装が説明される.カーネマンやハイトを読んでいるとおなじみの二重過程論ということになるが,グリーンはここで自分のこれまでの遍歴から語っていて面白い.
グリーンは中学高校でディベートクラブで活躍した.そこでは論争について割り当てられた片方の議論を擁護する形式でディベートが行われる.しばらくしてグリーンは必勝法を会得する.それは功利主義の利用だ.特定の問題を価値のトレードオフの枠組みに位置づけ,自分の立場に都合のいい証拠を持ち出して相手をやり込めるのだ.しかしある日マイアミの鋭いディベーターにその戦略を木っ端みじんにされる.彼は「功利主義の医者は健康者1人を殺して(それでのみ救うことのできる)5人への臓器移植を行うだろうが,それは正しいのか」と迫ったのだ.どう答えていいかわからずディベートに負け,信じていた功利主義の惨めな失敗を突きつけられ,グリーンは深く考え込むことになる.彼はディベートチームを抜けて哲学者を志し,ゲーム理論神経科学,進化心理学道徳心理学を学ぶ.トリヴァースの理論に感銘を受け,道徳心理学の「数量への鈍感さ」「ヒューリスティックスとバイアス」などの議論に触れる.そして道徳心理を解明するためのエレガントな思考実験法「トロッコ問題」に出会うのだ.
これはグリーンの深い疑問「個人の権利がより大きな善に優先されるのはいつか,そして何故か」という疑問を解明するための素晴らしい手法になった.グリーンは二重過程の説明を思いつき,コーエンとともにそれ(多くの人が突き落としバージョンにNOと答えるのは扁桃体とVMPFC(前頭前野腹内側部)による情動性の速い過程によるものであり,功利的な判断はDLPFC(前頭前野背外側部)による遅い過程によるものである)を脳科学的に示すことに成功する.
では何故そうなっているのか.グリーンは基本的にこれは効率性と柔軟性のトレードオフの解決策だと説明する.そもそもトレードオフがなければ情動性も生じないオートプロセスでいいはずだ.しかしトレードオフがあるので,まず素速く行動傾向を作る情動性プロセスが動き,さらにそれを上書きできる遅い熟考性のプロセスが乗っているとする.そしてこのシステムをうまく使うにはいつ上書きすべきかについてのメタ認知プロセスも必要だろうと解説している.
進化的な解説としてはやや物足りない部分もある(熟考性プロセスはEEAでも有効であって適応と言えるのか,それとも現代環境で副産物的にメリットを与えているのかについてはやや曖昧だ)が,実装性の説明としてはわかりやすく説得的だろう.

第3部 共通通貨

ここからはどのようなメタ道徳を構築すべきかという哲学的な議論になる.これをまず第3部で提示し,議論の難点および予想される反論を第4部で吟味し,第5部で結論という構成を取っている.

では道徳的意味が異なる部族間の問題はどうやって解決すれば良いのだろうか.
この問題への解答の1つは「解決策はない」というものでそれは道徳相対主義者の考えだ.確かに価値についての合意は基本的に不可能な部分がある.しかしグリーンはこれを退ける.道徳的な真実が存在しないとしても現実の世界に生きるわれわれは常に道徳的選択を迫られるのだ.そして「何であれ,うまくいくことをする」方が良いと説く.これが功利主義的な解決法だ.グリーンは部族間道徳問題の解決は功利主義を元にした高次の道徳システム「メタ道徳」を構築することによるべきだと主張する.(なおグリーンは功利主義(utilitarianism) という用語は誤解を招きやすいと帰結主義実用主義との関連についていろいろコメントしているが,日本人読者には特に問題ない用語だろう)
しかしこれの実践は難しい.言葉の上で人々を功利主義に向けて説得することはできる.しかしヒトは功利主義的に生きたくないのだ.ヒトは深遠な道徳的真理に従って生きたいのだ.このあたりは冒頭の部族を用いてうまく描写している.

ここでグリーンは自ら主張するメタ道徳の基本であるべき功利主義の内容を説明する.それは決してお金の話ではない.人々の平等を前提として「幸福」の総量を最大化しようとするものだ.そしてこの幸福はふわっとしたお気に入りの時間などのようなもの*3ではなく,反事実的に考察された価値を置くものすべてを含むのだ.それはすべての価値ある経験であり,(人々の平等を前提として)共通通貨として用いることができる.つまり基礎には公平と経験がある.
グリーンによると功利主義は哲学業界では非常に評判が悪いものだそうだ.そしてここでまず初歩的な誤解についてかなり細かく議論している.それは厳密に測定できないが,それでもメタ道徳の基礎にすることはできる.また常に細かく計算して実践する必要はない.
続いて本質的な功利主義への懐疑について議論される.現代の道徳哲学者から出される功利主義への最大の異議申し立ては「それは個人の権利を無視する」というものだ.
道徳の伝統的なモデルは(個人の権利を含む)道徳的真理を認め,それには宗教的モデル,数学的モデル(あたかも数学的な真理のように道徳的真理は演繹的に得られるとする),科学的モデル(道徳的真理は自然科学的手法により内容を明らかにできる)がある.
グリーンは宗教的モデルについてもあっさり片付けないで粘着的に批判していて面白い*4
数学的モデルについては数百年以上の試みにもかかわらず使いものになる道徳的公理を誰も見つけていないと手厳しい.自明の前提がなければ純粋の論理的思考は私たちの疑問に答えられないのだ.
科学的モデルについては,それを自然淘汰に求めるのであればまさに自然主義的誤謬に陥ってしまうし,そもそも自然淘汰は遺伝子の複製効率最大化に向かっているもので善だとは言い難い.自然淘汰を善とする立場を離れて仮にそれを協力推進に絞ってみてもスタートレックのボーグのようなものが善だと議論できないだろうし*5,そしてそもそも何故協力推進を善とするのかについては伝統的道徳の議論に戻ってしまうだけだとする.
ではわれわれは道徳的真理を知ることはできないのか.グリーンはできないとはいわずに不可知論に止めている.いずれにせよ道徳観の異なる部族間紛争の解決には泥沼に飛び込んで共通価値を探るしかない.
グリーンは,事実として私たちは黄金律を認め「他の条件が同じなら他人の幸福を望む」と答えるし,私たちの道徳の(オートモードは遺伝子ばらまきのために進化しているとしても)マニュアルモードは汎用問題解決装置であり,基本的に功利主義的だとする.また共感の輪を広げることで広い公平性を得られるとも示唆する.このあたりの進化的根拠についてはわからないと逃げているが,なかなか面白い問題を残しているような気がする.いずれにせよグリーンはマニュアルモードは実際に公平性の理想に影響されているようであり,幸福の総量最大化という功利主義は共通通貨たり得るのだと主張する.

第4部 道徳の断罪

しかし功利主義を推進するにはいくつか解決すべき問題がある.
何故人々はトロッコ問題においてすべて功利的に答えないのだろうか.オートモードは功利主義的結論の何に反発するのだろうか.そしてその反発はリスペクトすべきものか.トロッコ問題を分析していくと,オートモードにはいくつかの特徴があることがわかる.それは人身性に反応する*6.手段と副次的効果について区別する.そしてこの2つは相互作用する.
グリーンはそれはこのオートモジュールが,自分が集団から排斥されないための警報装置であり,そのために「手段として計画された人身的加害」に敏感であるデザイン特性を持つからだと説明する.それはまさにサイコパス的行動特性で,特に集団他メンバーから見て危険な行動であり排斥されやすいので予防的に警報を鳴らすようになっているのだ*7.このあたりはグリーンが実際に悩み抜いたところなのだろう,なかなか細かく説得的に議論されていて読んでいて面白い.
そしてグリーンはこう結論する.「私たちが感じる手段と副次的影響に関する道徳的区別は(錯視にも似た)認知の偶然であり,おおむね真剣に従うべきものではあるが,絶対視すべきものではない」「そしておそらく作為と容認(不作為)に関する道徳的区別もおなじく認知の偶然だろう.ただしこれは功利主義的にも価値ある区別である可能性が高い*8」「このモジュールはその加害行為による利益には無関心であり,そこには注意すべきだ」

また功利主義に対しては本質的な批判がいくつかある.グリーンはそれにも答えていく.

  • 功利主義を実践するなら,世界のどこかに困窮する人がいる限りほぼすべての所得を寄付していかなくてはならなくなるのか*9,あるいは人々は偽善的に生きるしかなくなるのか.グリーンはそうではないという.真に実践的な功利主義は現実世界で普通の人々が長期的に可能である以上のことは求めない(それ以上求めては,そのような実践者は破滅し,それを見た人々が背を向けることになり,結局功利主義は広く実践されなくなり,その結果世界をよりよくできなくなる).できる範囲で利他的になればいいのだ.グリーンは「私たちは完全無欠の道徳的な存在にはなれないかもしれないが,少なくとも私は自分が偽善者だと自覚してその度合いを減らすような人間でありたい」と結んでいる.
  • 1人を殺して5人に臓器移植する問題や社会のための冤罪のような問題はどうか.グリーンはやはり真に実践的な功利主義は人々の心にある正義の心も自然に組み入れるとする.人々の正義を求める心を無視してもよい社会は作れないだろう.ただ正義や罰のオートモードにはコストに無関心であるなどのいくつかの認知の偶然があるので気をつけるべきだとしている.
  • ロールズによる功利主義の批判もこれに関連する.ロールズは,功利主義は全体の幸福が上がるのであれば一部の人が不幸になることを是認することになるがこれは認められないと批判した.グリーンはこれに対して,原理面での問題は認めるが,実践面ではそのような問題はほとんど生じないと答え,例としてロールズが持ち出した奴隷制度は功利主義的に善になり得ないことを説明する.

このあたりは道徳哲学の激しい論争にかかる部分なので迫力がある.ただ最後の議論はややグリーンの逃げを感じさせる.強い奴隷制はなかなか功利主義的にも最大幸福に結びつきにくいだろうが,例えばごく弱い男女差別のような微妙なものはどうなのだろうか.それがなおそれを是認する人々が多い社会において社会全体で功利的であることが示されればグリーンはそれを認めるのだろうか.

第5部 道徳の解決

では功利主義的な共通通貨を持ってどのようにメタ道徳を構築すればいいだろうか.グリーンはそれはその共通通貨を使って共通の価値観の中に合意を探し求めるしかないという.具体的には道徳問題をカテゴライズし,共有地の悲劇問題にはオートモード道徳を用い,常識的道徳の悲劇問題には功利主義的なマニュアルモードを用いる.ただ合意を得るのは不可能ではないが,それは本当に難しい.
困難である理由の1つは自己欺瞞の介在だ(グリーンはこれを合理化と呼んでいる).グリーンはこの例としていかにも哲学者らしくカントによる「自慰の不道徳性の説明*10」を挙げていて面白い.
そして「権利による正当化」も難しさの要因であるとグリーンはいう.グリーンによると「権利」には一切の証拠による議論を拒否する働きがあり,それ以降議論にならなくなる.グリーンは権利と義務という概念は感情を理解操作するマニュアルモードの企てだとする.この部分はなかなか面白い.ただしグリーンはほぼすべての人が合意して決着のついている問題については「権利」を使うのはむしろ合理的だともコメントしている.

ここからグリーンのケーススタディが始まる.ここも面白い,取り上げられているのはアメリカの最大の政治問題の1つ「中絶の是非」だ.グリーンは容認派,反対派の論理的な主張を分析して,どちらも支離滅裂であることを示す.要するに彼等はオートモードの判断を後付けで正当化する合理化に入り込み,自己欺瞞に陥っているのだ.グリーンは「命がいつ始まるか」にこだわるのではなく,中絶を禁止する場合と容認する場合でそれぞれ社会に何が生じるかを考えることを勧めている.

そしてグリーンは最初の問題に戻る.道徳とは何なのか.それは西洋哲学が何世代もかけて追究してきた独立した抽象的な真理ではない.道徳哲学は心理学と生物学の氷山の一角として理解すべきものになる.それは私たちの二重過程を持つ脳が創り出す予見可能な産物なのだ.そして西洋道徳哲学を総括する.

  • 西洋道徳哲学には3つの流派(アリストテレス流の徳倫理学,カント流の義務論,ベンサム=ミル流の功利主義)があり,それはマニュアルモードがオートモードを理解する3通りの方法としてみることができる.
  • アリストテレスは自分の部族のオートモードの判断を定式化した.しかしそれは部族間の争いを解決できない.
  • カントはその争いを解決するために論理的に普遍的な真理を追究しようとした.彼等の最大の問題は失敗を認めようとしないところにある.カントの「格率」は普遍化できないのだ.確かに誰もが殺人者になればそもそも殺人が不可能になる.しかし誰もがおしゃれをすればおしゃれであることが不可能になるからといってそれが不道徳だとは言えないのだ.ロールズは「正義論」でその路線を別の方法で追求した.彼の無知のヴェールの議論は巧妙だが穴がある.無知のヴェールがあるからといって誰もがマキシミン戦略をとるとは限らない.不利益が極端でなければ期待値最大化戦略を採ることは十分合理的になるだろう.
  • そしてお勧めは功利主義だ.そしてこの路線を取るにはメタ道徳がオートモードで正しく感じられないことがあることを是認する必要がある.

さらにグリーンは自分の立場を鮮明にする.

  • 世界には多数の伝統部族と2つのポスト伝統部族(グローバルメタ部族)がいる.後者にはリバタリアンとリベラルがいる.
  • 私は実用主義者であり,現在リベラルの考え方が世界を最もよくする道だと考えてリベラル部族に属している.
  • 同じく道徳を研究し,リベラルであるジョナサン・ハイトとは多くの意見を共通にするが違いもある.
  • 違いの1つはマニュアルモードの役割についてだ.ハイトは後付けで正当化する報道官の役割を強調するが,私はメタ道徳の構築に向けての理性的な力になれると考えている.ハイトは部族間の争いについては歩み寄りしか解決法を提示しないが,私はメタ道徳の構築が可能だと考えている.
  • ハイトはリベラルの道徳観について保守より軸が少ないと指摘し,あたかも道徳味覚受容体が欠けているかのように描写する.確かに道徳科学者としては保守の考えを理解するためにこの軸に気づく必要がある.しかしこの軸がないことが道徳的に劣っているわけではないと考える.むしろ普遍的な道徳を構築するために,伝統的な価値観を疑問視した流れの中にあり,道徳的には「豊か」なのかもしれないのだ.保守の価値観は決して「神聖」の一般的な価値を認めるものではなく,自分たちの部族的な「神聖」のみ認める狭隘なものだ.ただし保守派にも優れた点がある,彼等は部族内の共有地の悲劇回避には実に長けている(そして部族間の争いの解決は下手だ).
  • もうひとつのポスト伝統部族のリバタリアンは,最も部族主義的色彩が薄く,現代リベラルの集団主義を嫌う.そして自由と競争はより経済を発展させるという彼等の主張は実用主義的である.ある意味彼等は正しい.しかし彼等の主張は合理化(自己欺瞞)である可能性がある.

グリーンはもう一度粘り強くマニュアルモードの功利主義をメタ道徳構築に用いることを進め,現代を生きるための6つのルールを提示して本書を終えている.私の理解を含めて書き直すと以下のようなルールになる.

  1. 道徳的論争に直面したときに自分の道徳的直感に助言を求めることは十分理にかなっている.しかしそれを全面的に信頼してはならない.それは素晴らしくよく機能するが所詮進化環境における包括適応度最大化の産物に過ぎないのだ.
  2. 権利は議論を終わらせるためのものだ.真摯な論争においては持ち出すべきではない.それは既に勝ち取った道徳的進歩を守るために使うものだ.
  3. 事実に焦点を置こう.そして相手にも同じことを求めよう.
  4. 道徳的な論争においては自己欺瞞に特に注意しよう.
  5. 私たちは皆マニュアルモードにおいて功利主義的な黄金律を認める.それは公平性を持つ価値ある経験という道徳的価値についての共通通貨の基礎だ.論争ではそれを使おう.また事実の共通通貨の基礎は科学に置こう.
  6. 与えよう.自分の習慣に冷酷な側面があり偽善的であることを素直に認めよう.そしてそれを無理のない範囲で改善するように努めよう.


というわけで本書は進化生物学者道徳心理学者の書いたものと異なり,価値判断の部分にまで踏み込んで功利主義的なメタ道徳構築を主張するものになっている.
私は道徳的な問題のうち特に進化環境になかったような問題について,進化適応産物である素朴な道徳的な感情に盲目的に従うことに常々疑問を持ってきた.現代国際政治において報復や正義の感情が巨大な災害をもたらしうることはあまりにも明らかであるように思えるし,ある特定信念体系にのみ基づく「神聖」な直感的道徳的価値の主張を異なる信念体系を持つ人々に押しつけようとする試み*11(本書でスコープが当たっている異なる道徳観を持つ部族同士の争いはまさにそのような問題を含むだろう)のもたらす災害にはやりきれない思いをいつも抱くことになる.
そしてこのような道徳問題については慎重に功利的に議論するのがよいのではないかと考えてきた.とはいえ功利主義的な解決にはなかなか飲み込みにくい部分がある.グリーンが最初に出会った5人のために1人殺す臓器移植問題が典型的だが,一部の功利主義的解決は直感的道徳とあまりに相反する.また現代社会で功利主義を真剣に実践しようとすると利他的な破滅か偽善に逃げ込む*12しかなくなるということは避けられそうにない.
グリーンの主張は,まさに私の日頃の思いに整合的であり,功利主義の難しさ*13にもきちんと目を配った上で展開されていて,読んでいて大変啓発的だった.確かに「ヒトの本性を組み入れた実践的な功利主義」は(やや苦しい逃げ方にようにも見えるが)1つの解決策だろう.*14


また本書は価値主張の前段部分で道徳の問題についてスコープ広く議論していて,そこも非常に価値ある総説的な読み物になっている.そして議論のすべてが非常に明晰だ.トロッコ問題以降ヒトの道徳の実装について理解が進み,過去の道徳哲学が急速に色あせている現状もよく描写されている.進化的な理解を踏まえて書かれた道徳科学の本として,ハウザーの「Moral Minds」,ハイトの「The Righteous Mind」(邦題「社会はなぜ左と右にわかれるのか」)と並んで,まず読まれるべき基本文献だと思う.訳も読みやすく素晴らしい.道徳について興味のある人すべてに強く推薦できる.



関連書籍


原書

Moral Tribes: Emotion, Reason and the Gap Between Us and Them (English Edition)

Moral Tribes: Emotion, Reason and the Gap Between Us and Them (English Edition)


ハウザーの道徳本.トロッコ問題について詳細に分析し,基本的に道徳の内容について生得的な道徳文法と環境に合わせた調整からなると説明している.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20070711,読書ノートはhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20070224から

Moral Minds: How Nature Designed Our Universal Sense of Right and Wrong

Moral Minds: How Nature Designed Our Universal Sense of Right and Wrong


ハイトによる道徳本.道徳を二重過程と6次元の軸から説明する.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20140622


同原書

The Righteous Mind: Why Good People Are Divided by Politics and Religion

The Righteous Mind: Why Good People Are Divided by Politics and Religion


本書でもいろいろ取り上げられているが,価値観が絡む道徳論争を行う際には自己欺瞞の問題は非常に重要になる.自己欺瞞に関してはこのトリヴァースの本が圧倒的だ.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20120523




 

*1:「判事たちと暴徒問題」と呼ばれる有名な道徳的ジレンマがあるそうだ.社会全体の被害を最小化するために冤罪を作ってよいかというジレンマについて,アジア文化はより肯定的なのだそうだ

*2:預言者ムハンマドへの冒涜に関する例が引かれている.これはかなりリアルな衝突に結びついているので迫力がある

*3:グリーンはチャーリー・ブラウンを引用している.「幸せって二種類のアイスクリーム,秘密を持つこと,木に登ること・・・」

*4:「ある行為が悪なのは,神がそれを禁じているからか,それとも悪だから神がそれを禁じているのか」から始まる議論は面白い.グリーンは宗教的モデルは循環論法に陥らずに道徳的真理が何であるか知ることができないのみならず,そもそも常識的道徳の悲劇を回避できないとコメントしている.

*5:ここは通常ナチのファシズムが引き合いに出されるところだ.グリーンの説明はなかなかしゃれっ気があって面白い

*6:これに関しては銃による殺傷がこの反応を何故生じさせるのかという問題がある.それはまさにスイッチである引き金を引くだけだが強い反応を生じせしめる.グリーンは銃は十分身近であるからそのような反応を生じさせうると答えているが,そういうことなのだろうか.EEAにはない武器であり,日本のようにほとんど身近に銃がない社会でも生じうる反応だとするとこの謎は少し興味深い

*7:ロッコ問題のループケースにおける謎(手段であるのに警報装置が反応しない)については,そのモジュールはコストベネフィットのトレードオフから完璧ではなく,ある程度複雑なシナリオでは誤作動すると説明する.

*8:実際にあらゆる不作為について責任を取ることはできない

*9:なおオートモードで「困っている人をコストをかけても助けるかどうか」に効いてくるのは物理的な距離なのだそうだ.グリーンはこれを見てもオートモードの道徳的判断が認知の偶然に左右されていることがわかるとしている

*10:それは自分の肉体を快楽を得る手段として利用するからいけないのだそうだ.自分で自分の身体をマッサージすることが何故不道徳なのかとグリーンはコメントしている

*11:(iPS細胞の実用化が視野に入ってきてある程度解決されたとはいえ)何故医療目的でES細胞を利用することが倫理的な問題を引き起こすのかについては何度説明されても私は理解できない.

*12:本書では(業界内で評判の悪い)功利主義の主張を行った学会発表者に対して「アフリカで1人の命を500ドルで救える現実がある中であなたがそのノートブックPCを持つことはどう正当化できるのか」と質問が飛び,発表者は「もちろん正当化などできはしない.しかし私は自分が偽善的であることを認める程度には誠実だ」と答えたという逸話が紹介されている.グリーンは,この解答は示唆に富むものだが,真に実践的な功利主義はこの正当化ができるかもしれないとしている

*13:このほか様々な功利主義をめぐる哲学的議論は面白い.効用のモンスターの議論などはいかにも哲学的で楽しい.

*14:なお本書ではもうひとつの偽善の源泉候補「動物の権利」の問題は扱われていない.グリーンは「公平な経験」にどこまでヒト以外の動物の経験を入れ込もうというのだろうか.なかなか難しいところのように思える