Language, Cognition, and Human Nature 第5論文 「自然言語と自然淘汰」 その5

Language, Cognition, and Human Nature: Selected Articles

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言語進化を具体的に論じる前にまずグールドの怪しい主張を振り払っておこうとするピンカーの試み.まずスパンドレルと非適応主義的説明の誇張の問題を扱った後,それ以外の問題点も議論する.

2.3 適応主義とは独立の二つの問題

  • グールドが「進化理論における科学革命」の描写に含んでいる2つの別の問題がある.これらは進化における適応的変化とは異なる問題であることを押さえておくことは重要だ.
2.3.1 漸進主義

1.つは漸進主義だ.グールドは自分の断続平衡理論を際立たせるために,伝統的なダーウィニズムが極端な漸進主義であるかのように印象づけていた.これは当時ドーキンスとの論争でも大きなトピックだったことが思い出される.
グールドは化石記録から大進化のパターン仮説として断続平衡を主張していたのだが,その背景にあるプロセスについては当然自然淘汰も含めて考えていたはずだ.そしてスパンドレル論文のような自然淘汰以外のメカニズムの強調と合わさってスロッピーな人々には様々な誤解が生じていたのだろう.この論文で直接批判の対象になっているピアテリ=パルマリーニはまさにこの陥穽に落ち込んでいたのだ.

  • 「断続平衡」理論によると,「ほとんどの進化的な変化は,系統の中で継続的に生じるのではなく,地質学的に見て短い時間内で爆発的に生じる.通常それは種分化イベントと対応し,その後長い停滞の時間を持つ.」とされる.
  • グールドは,この理論は進化の総合説であるネオダーウィニズムが棄却する「跳躍進化」「マクロ突然変異」「有望な怪物」などの概念と粗い相似点があると示唆する.しかしながら彼は,断続平衡は通常の種分化理論であって地質学的な解像度の上で通説と異なるだけであり,何か生態的な大事件や遺伝的な跳躍を意味するわけではないと強調している.
  • 多くのほかの生物学者たちは進化的な変化をより正統的に捉えている.彼等は化石記録において新しい生物が突然現れるように見えるのは,種分化が局所的な小集団で生じるため,その後長い時間が経過して分布が大きく拡大し祖先地域に再導入するまで化石記録には残りにくいためなのだろうと考えている.
  • いずれにしても世代単位で見れば進化は漸進的に生じることが認められている.
  • だからピアテリ=パルマリーニが,断続平衡について「化石記録にある不連続は,過渡的記録が失われたためではなく,真に変化が不連続なために生じている」と表現するときにはよくある誤解をしているのだ.

ここでピンカーはもう一度適応的な複雑性の説明を繰り返し,連続的な変化を否定すべきでないと強調している.また最後にマクロな突然変異が実際にあるとしてもそれは単に既にある形態を複製したり粗く変化させるだけであって全く新しい複雑な構造を説明できないことも強調している.このような論拠を持ち出すナイーブな論者が多かったということなのだろう.

2.3.2 外適応

もう1つが当時グールドがことあるごとに革新的な概念であるかのように強調していた「外適応」だ.元々「外適応」は,グールドが「前適応」という用語が進化にあらかじめ目標があるように聞こえることから「外適応」と呼び変えようと提案し始めたもののはずだが,それをいかにも自らが提唱した革新的概念であるかのように自己顕示的に強調するようになり,周囲に多くの誤解が広まったという経緯なのだろう.

  • 「外適応」は,あたかもそれが適応主義や漸進主義と相容れないかのように議論されるもう一つのプロセスだ.人々はしばしば,祖先生物にはなく,現生生物が完成形を享受している器官についての,それぞれの「無数の,連続的な,微少な修正」がすべてその機能の向上に役立つことを,それが進化にとって必須であることを前提に不思議がる.
  • ピアテリ=パルマリーニは昆虫の羽根の進化の質的シフトについてのキングソルバーとケールの研究を引用し,それはあるサイズまでは飛翔にとって不十分であったが熱交換パネルとして機能していたとする.
  • しかしこのような外適応は,なお連続的で淘汰によって生じるのだ.どこかに両方の機能を果たす中間的な進化ステージがあったはずであり,その後現在の機能に従って淘汰が進んだのだ.実際「外適応」は,ダーウィンが「前適応」と呼んでいた概念と本質的には同じであり,それはダーウィンの「役立つ構造の初期ステージ」の説明にとって重要なものだ.
  • さらに「外適応」は実証的な可能性の中の一つに過ぎず,進化における普遍的な法則ではないことに注意が必要だ.
  • グールドはしばしば以下のように言ったとして引用される:「私たちは『5パーセントだけ完成した眼に何の機能があるか』という鋭い質問を,『そのような初期的な構造の持ち主はそれを見ることに使っていなかったのだ』としてかわすことができる.」
  • これに対してドーキンスはこう書いている:「5%の完成度を持つ眼を持っていた祖先生物はそれを見ることに使っていなかったのかもしれない.しかし私にはそれを(現生生物の)5%の視覚機能に使っていたということの方がよりありそうに思われる.5%の視覚は視覚を全く持たないよりはるかに役立つだろう.無視覚より1%の視覚,5%より6%,そして完成に向かって連続的なシリーズが得られる.」実際,ダーウィン脊椎動物の眼について,別の現生生物に見られるものと同じような仮説的な中間段階を描いている.
  • 要するにグールド,ルウォンティン,そしてエルドリッジの立場は進化理論の革新的な修正と見るべきではないのだ.それはオーソドックスなネオダーウィニズムの総合説のフレームワークの中での強調点のシフトに過ぎない.彼等が,言語進化の推進力について自然淘汰を無効にしたわけではないのだ.そして自然淘汰を持ち出すべきか,非淘汰的なメカニズムを考えてよいかについての重要な基準がある.それは,それが何らかの繁殖に重要な機能についての複雑なデザインなのか,既にある物理的,発生的メカニズム,あるいはランダムなプロセスで説明できるものかということだ.
  • これらのことを前提において言語進化を考えてみよう.


なかなかハーバードの超有名なリベラルで,心温まるエッセイの書き手,かつ講演の名手であり,いわゆる「いい人」だったグールドの影響力を思うと誤解を解くのは大変だ.いずれにせよこれで想定読者のグールドによる呪縛の解き放ちパートが終了し,論文は本論に進む.