「She Has Her Mother’s Laugh」


本書はサイエンス・ライターのカール・ジンマーによる遺伝に関する科学啓蒙書.ジンマーは進化に関する大がかりな啓蒙書を2冊書いた後,大腸菌やウィルスに関するやや軽めの本を書き,進化の教科書を書く仕事に熱中していたようだが,そのプロジェクトも一段落,今度は遺伝に関する大著を出したということになる.

冒頭はジンマー夫妻が夫人が妊娠した際に産婦人科で遺伝カウンセリングを受ける話から始まっている.(様々な遺伝的疾患のリスクを見積もるための)自らの遺伝的オリジンを尋ねられ,ジンマーは自分が何を受け継いできたのか(父親はアシュケナージユダヤ,母親はイングランド出身)についてほとんど無知であることに気づく.そして数ヶ月後生まれてきた長女グレースは母親そっくりの笑い声をあげたのだった.(これが本書の題名「She Has Her Mother’s Laugh」になっている)
そしてジンマーは遺伝について調べ始める.そもそも1700年までは誰も遺伝(heredity)という単語を今日のような意味で使ってはいなかった.ダーウィンがそれを初めて科学的な問題として取り上げ,20世紀に入ってからそれは遺伝子(gene)の言語で取り扱われるようになった.遺伝子は我々の祝福であり呪いになったのだ.しかし我々が遺伝について知りたいことと遺伝子の振る舞いはしばしばうまく整合しない.そしてジンマーの物語は始まる.


第1部 頬へのタッチ*1

第1章 彼をなしたもののごく一部

ジンマーが最初に取り上げるのは近親婚の繰り返しによる恐るべき影響だ.ハプスブルグ家は自らの血統を純粋に保つことにこだわり,その子孫は重篤な症状に苦しむ.ジンマーは,heredityという語はもともとラテン語の相続に関する法律用語であることの説明から始め,ヒポポクラテスとアリストテレスの遺伝や獲得形質に関する考え方の違い,race(品種,人種)概念の誕生などにふれながら,中世のヨーロッパの貴族の血統(特にその純粋性)に関する執着(スペイン王家でもあったハプスブルグ家はその西ゴート由来の血統に特にこだわった)を描いていく.有名なハプスブルグの顎を持つ王家の子孫においては徐々に流産や新生児死亡率が上昇し,運良く生まれても喘息,癲癇,鬱にむしばまれていく.そして最後のハプスブルグスペイン王カルロス2世は病弱なまま跡継ぎなく1700年に没し,スペイン継承戦争が勃発,これによりスペインはかつての栄光から没落の道へと歩むことになる.
当時この近交弱勢の本質はよく理解されていなかった.ジンマーはこのような遺伝的な疾病に気づいた同時代の観察家の記録もいくつか紹介している.

第2章 時間を旅する

第2章は園芸の魔術師と呼ばれたアメリカの品種改良家ルーサー・バーバンクの物語.ジンマーはこの物語をメンデルの法則の再発見直後の1904年にド・フリースがカリフォルニアのバーバンクを訪ねるところから始めている.生まれたばかりの遺伝学は品種改良家の豊富な知識を取り込もうとしたのだ.
品種改良は農業開始直後から始まっている.ジンマーはスペインのメリノ種の羊の物語を例にとって解説している.品種改良が検査と選別の繰り返しによって達成されるということは遺伝を引き延ばしたり変容させたりできることを示しているのだ.品種改良家たちはある特性が子供の段階で隠れ,孫の段階で再発現する事があることに気づいていた.問題はいったい何がどのように遺伝するのかだった.
ここでジンマーはメンデルを登場させる.メンデルはこの謎を解こうとエンドウマメの交配実験を繰り返し,有名な3:1の比率を発見し,遺伝性が対になっている要素によっているという説明を提唱する.しかし当時の科学者たちには受け入れられなかった.それはおそらく当時似たような交配実験が数多くなされていたがメンデルのような明瞭な結果は報告されていなかったためなのだろう.植物学者ネーゲリはメンデルにヤナギタンポポで追試してみるようにアドバイスする.追試はうまくいかずメンデルの理論は受け入れられなかった.
ジンマーはここで話をアメリカに移す.アメリカでは理論を突き詰めることへの関心よりも,いかに新しい品種を創り出して儲けるかという企業魂が炸裂していた.ルーサー・バーバンクは貧しい一家に生まれ苦労している中,ダーウィンの「家畜と栽培植物の変異について」の2巻本に出合う.ジンマーはここでこの本の背後にあるダーウィンの思索についてもかなり詳しく解説している.ダーウィンは遺伝が両親の性質の混じりあいと考える当時のほとんどの学者とは大きく異なり遺伝を離散的な現象と考えていたのだ.そのパンジェネシス理論は結局間違いではあったが,それは様々な遺伝的現象をかなりうまく説明できるものだった.
そしてこの本はバーバンクに大きな刺激を与える.そして実験農場を始め,23歳の時に彼の名を有名にしたジャガイモの品種確立に成功する.そしてカリフォルニアに移って品種改良家として大成し,アメリカンアイコンの一人になるのだ.
ちょうどそのころダーウィンのパンジェネシス説は凋落する.ダーウィンの「家畜と栽培植物の変異について」は当初から単なる推測に過ぎないと評判が悪かった.ゴルトンはダーウィン擁護に回ったが,(パンジェネシスが含まれているとゴルトンが考えた)血液の個体間輸血実験が失敗して,その熱も冷めた.ダーウィンはパンジェネシスが血液にあるとは考えていないと抵抗したが,生殖細胞系列と体細胞系列を峻別すべきだと考えたワイズマンの獲得形質の否定実験により,パンジェネシス説の命運は尽きた.
ジンマーはここから染色体の発見,ダーウィンとド・フリースの意見交換,ド・フリースによる突然変異説,メンデルの法則の再発見,ベイトソンによる「遺伝学:genetics」の命名という科学史を概説している.そして話はド・フリースのバーバンク訪問に戻る.彼はオオマツヨイグサ以外にも大突然変異の例を知りたかったのだ.ド・フリースはバーバンクの熱意に強い印象を抱くが,求めていた変異は得られなかった.ド・フリースの突然変異説はその後凋落していくことになる.カーネギー財団はバーバンクの知識を科学的なレポートにすべく援助を行うが,それも果たされることはなかった.しかしバーバンクのイメージはその後バドワイザーの広告に使われて長く人々に記憶されることになる.

第3章 この人種は消滅しなければならない

ここまでジンマーは遺伝学の歴史を語ってきたが,ここからその負の歴史とも言える優生学との関わりを語り始める.
最初はアメリカの知的障害者向け訓練学校ヴィンランドトレーニングスクールが取り上げられる.1897年,学校は知的障害が認められた当時8歳のエマという少女を迎え入れる.当時知的障害者を収容する学校は生徒たちを社会から隔離し,衣食住を提供する代わりに(ある程度以上の年齢になると)労働させる組織だった.17歳になったエマは学校を訪れたヘンリー・ゴダードに出合う.ゴダードは野心家の心理学者で,当時の最新の知能テストでエマの知的障害の程度を測定し,著名な遺伝学者であったチャールズ・タヴェンポートと知り合ってメンデリズムを知り,そしてエマの家系を調べ,知的障害が遺伝し,メンデル遺伝と整合的であると確信する.ゴダードは英国でゴルトンが唱えた優生学と同じ結論に至った.アメリカは遺伝的な知的劣化から守られなければならない.そして1912年にエマの家系と知的障害の遺伝についての本「The Kallikak Family」を書き上げる.この本はベストセラーになり,東欧や南欧からの移民の知能程度への不安を(そして「科学に基づく人種差別主義」を)煽った.この本はドイツでも出版され,ヒトラーも牢獄で読み,後のナチはこの本を教材の1つとして用い,民族浄化法につながる.
この本の内容を疑うものもいた.最大の批判者はトーマス・モーガンだった.モーガンは遺伝の複雑さ,環境要因の重要さの理解の上で,ゴダードの論理(単一の遺伝要素がある意味とらえどころのない「知能の低さ」を決めている)の弱さを厳しく批判している.遺伝学者の世界では1930年頃までにはモーガンのようなとらえ方が主流になった.
ナチの興隆やさらなる批判の高まりによりこの本の学問的名声は1940年代には失われた.ゴダード自身も批判に対抗しようとファクトチェックをするうちに当初の家系調査が受託者によっていい加減になされていたことに気づき,後退する.しかし一部の心理学テキストにこの話が採用されたこともあり影響は残り続けた.
ジンマーはこの物語を当時の家系調査のでたらめさを確認した1980年代になされた再調査,エマのその後の人生を描いて終えている.

第4章 アタガール*2

第4章はパール・バックの物語.
ジンマーはパール・バックの人生をたどり,その作家としての成功の影に知的障害を抱えた娘キャロルとの悲しい物語があったことを丁寧に語っている.キャロルはフェニルケトン尿症(PKU)による知的障害をかかえていたのだ*3
そして1930年代のフェーリングによるPKUの症例記述とそれが潜性(劣性)遺伝子による遺伝病であるという仮説の提示の物語,それが単一遺伝子であることを見いだし,その発症の仕組み*4から遺伝性であっても発症は不可避ではないと考えた英国の医師ライオネル・ペンローズの物語*5,1950年代のPKUのようなメンデル遺伝の仕組みの基礎となるDNAの二重らせんを発見したワトソンとクリックの物語*6,さらに早期診断と低フェニルアラニンミルクを組み合わせた対処法完成の物語*7をつないでいる.


パール・バックはキャロルのために国中を奔走したが,最終的に治療不可能と宣言され,多額の寄付とともにヴィンランドに収容してもらう.そして贈り物や訪問を死ぬまで欠かさなかった.また娘のことをエッセイにして出版もしている.そしてその障害が遺伝性でないことを祈り,そうであったと知ったときの葛藤もここでは描かれている.ジンマーは,この話の教訓は,どこを強調するかによって変わるとコメントしている.それは遺伝学の勝利であり,そして環境要因の重要性も示しているのだ.



第2部 気まぐれなDNA

第5章 一晩のバカ騒ぎ*8

20世紀初頭にメンデルの法則は再発見される.しかしメンデルの法則が単純に当てはまる遺伝現象はそれほど多くない.
ジンマーは初期生命としてのRNAワールド,バクテリア古細菌がメンデルの法則に従わないことをまず指摘する.彼等は染色体を対にして持っていないし,遺伝子はしばしば水平移動する.ここでジンマーはバクテリアの耐ウィルス防衛戦略としてのCrisper-Cas9システムを解説している.
そして18億年前に真核生物が現れ,対になった染色体とともにメンデル遺伝の基盤が生まれる.ジンマーはここで対になった染色体と減数分裂による生殖がなぜメンデル遺伝を生じさせるのかを,ジャンセンによる減数分裂の発見,モーガンによる交叉の発見,連鎖地図の登場物語を交えて詳しく解説している.
真核生物でもメンデル遺伝は完全ではない.まず何千もの植物は減数分裂をスキップしている.ジンマーはその1つがメンデルが追試を試みたヤナギタンポポだったことを指摘している.そして利己的な遺伝要素がメンデルの法則をかいくぐる.ジンマーは生物のゲノム自体が利己的な遺伝要素とそれに対抗する遺伝要素のバトルフィールドであることをここで解説している.

第6章 眠れる枝

ここでジンマーは自分のルーツ探索の旅を語る.母方の祖先グッドスピード家は少し前に詳しく調査されて本も出ており,よくわかっている.ジンマーはアメリカ人の系譜探索好きの背景も交えてグッドスピード家の歴史を楽しそうに語っている.その探索の旅はまるで指輪物語のゴンドールに迎え入れられるようだったとも感慨を語っていて面白い.
そこからジンマーは,アレックス・ヘイリーの「ルーツ」の物語(そのクンタ・キンテの物語はヘイリーに迎合した現地の語り手による創作なのかも知れないが,それがアメリカ大衆に与えた影響は本物だ),チャーリー・チャップリンの隠し子認知訴訟騒ぎ(血液型は彼女がチャップリンの子どもでないことを示していたが,チャップリンは訴訟に敗れる),そしてロシアのロマノフ王朝の最後を巡る物語(エカテリンブルグで最近発見された人骨をDNA鑑定した結果,ニコライ2世の子どもで最後まで死亡が確定していなかったアナスタシアとマリアのものであることがわかった),ユダヤのコーマニム(ユダヤ人でCohenあるいはKahnの姓を持つ男性は3300年前の最初のユダヤ教聖職者アーロンの直系の子孫であるという信念)のY染色体を用いた検証の物語をつないでいる.これらの物語を調査したジンマーは自分のDNAがどうなっているのかに興味を持つ.

第7章 Z型個人

ここでジンマーは自分のゲノムシークエンスを手に入れることにして,その経緯をドキュメンタリー風に描いている.第2世代型のイルミナ型シークエンサーによるシークエンスの仕組みの解説を交えて,最初に結果を告げられる場面が書かれている.ここはなかなか迫真の出来だ.そこから同祖理論に元ずく数理モデルY染色体アダムなどの話を挟んだあと,ジンマーのゲノムの「Z型」とは何かが解説され,そこから「人種」とは何かの話題に移る.
まずその概念の歴史が語られる.スペイン人が新大陸で人々を混血を交えてどう細分していったか,英国植民地でのアフリカ系差別と「ハムの呪い*9」による正当化,そしてリンネ,ブルーメンバッハによる人種の定義,アメリカにおける実務,優生学との関わりがまず解説される.そして片方で,区別ではなくその多様性を考察する立場が1900年頃から現れる様子も描いている.1930年代にドブジャンスキーは一般に流布する「人種の認識と白人の優秀性」には根拠がないと宣言する.この遺伝学の流れは第二次世界大戦後はルウォンティンに引き継がれる.このあたりはさすがに詳しく丁寧に書かれている.
そして最後に自分のゲノム「Z型」がどのように様々な地域の人々とSNPsを共有しているのかをよく見ると,人種概念がいかにヒトの遺伝的多様性を表すのに不適切なものかがわかるとジンマーは書いている.

第8章 雑種

では最新のゲノム分析はヒトの「人種」的多様性について何を教えてくれるのか.ジンマーはまず保全生態学者が絶滅危惧種であるズグロオリーブツグミの集団構造をゲノムから分析するために作ったクラスター分析プログラム(STRUCTURE)の話から始めている.これに移動効果を加味したプログラムをヒトに応用するとヒトの遺伝的集団構造を調べることができる.
この結果はジンマーの祖先について何を教えてくれるだろうか.STRUCTURE分析と照らし合わせると,43%がアシュケナージユダヤ,25%が北西ヨーロッパ,23%がイタリア,6%が南西ヨーロッパ.2%が北スラブ,1.3%が不明というものだった.ジンマーの父方はウクライナアシュケナージユダヤ人,母方はイングランド人だ.ジンマーはいかにもドイツ風のその姓からドイツ系の影響が強いのではないかと漠然と考えていた*10ので,この結果はやや驚きだったと書いている.
ここから先は現代のDNA分析がヒトの祖先集団構造についてどこまでわかっているのかを次々と紹介していて充実している.

  • アシュケナージユダヤ人はどこから来たのか.歴史学者はテュルク系のハザール起源だという伝説を否定し,イスラエル起源の人々がイタリア,スペインという南欧に広がり,そこで現地の人々と交わり,迫害を受けてポーランドに移った集団だと主張している.私のゲノムは後者を支持しているようだ.2016年の大規模なリサーチによると彼等のゲノム構成は,近東集団がまずイタリアで,後に北東欧で混交したことを示している.なお不明な点も残っているが,アシュケナージユダヤ人が,長い移民の歴史と現地の人々との混交により成立しているのは間違いないようだ.
  • 「白人」は文化的には意味があっても,生物学的クラスターとしての意味は怪しい.古代DNA分析によると,4万5千年前のヨーロッパ人と今日のヨーロッパ人の間には直接の関係が見られない.3万5千年前のオーリニャック文化時代のDNAと2万7千年前のグラヴェット文化時代のDNAは互いに異なっているが,1万9千年前のスペインのDNAには両者が混じっている.1万4千年前になると今日の近東集団のゲノムが混交する.9千年前にこれまでのヨーロッパ狩猟採集集団と5万年前に分かれた農業集団のゲノムが混じり合う.そして4500年前にロシアのステップ地域からの牧畜集団が最後に加わる.つまり「白人」集団に何か古くて深い純粋な遺伝的な結びつきがあるわけではないのだ.
  • 最新のリサーチでは皮膚の色に強く関係する遺伝的変異が8種類見つかっている.分析によるとこれらの遺伝子の起源は数十万年前(つまりサピエンス以前)にさかのぼる.アフリカ内でも地域によって異なる淘汰を受けており,これらの変異は出アフリカで世界各地にもたらされている.初期のヨーロッパ狩猟採集民の皮膚はダークだったようだ.8千年前に来たヨーロッパでライトな皮膚の変異が生じ,また農耕民もライトな遺伝子を流入させた.そして4千年前ごろにヨーロッパ全域でライトな皮膚が席捲するようになったらいい.
  • 同じような集団の移り変わり,流入,混交の歴史がインドやアフリカでも確認されている.


ここからジンマーはネアンデルタール研究史,サピエンスとの交雑の証拠の発見物語,デニソワ人の謎をおき,この最近発見された交雑についていくつか語っている.

  • 最近個人的なDNA分析のコストが下がり,自分のDNAを調べる人が増えているが,これらの人々の中には自分のネアンデルタール成分が多いことを自慢する「ネアンデルタールプライド」現象が見られる.
  • 最新のリサーチによるとネアンデルタールとの交雑は少なくとも3回生じたようだ.最初は近東で(この交雑結果はサブサハラ集団以外のすべてのサピエンスに共有されている),2回目はヨーロッパ・東アジア集団とニューギニア・オーストラリア集団が分かれたあとに前者と,3回目はヨーロッパ集団と東アジア集団が分かれたあと後者と生じている.
  • 交雑当初のネアンデルゲノム成分は全ゲノムの6〜9%あったが,その後減少している.これは有害ゲノム成分が淘汰されたからだと思われる.有利に働いた成分も(免疫などにおいて)あっただろう.

第9章 身長9フィート

第9章は量的遺伝形質の物語.ジンマーは歴史を通じて様々に報告されてきた巨人と小人の話から始めている.もの珍しさから様々な記述がなされてきたが,17世紀の啓蒙時代からその社会的な側面が考察されるようになる.そして19世紀になり,まずケテレットが(後に正規分布として知られるようになる)その分布の形に注目し,ゴルトンが,その遺伝性を回帰分析により考察する.そしてそれはピアソンの生物統計につながり,フィッシャーが洗練させ,「遺伝性」の概念を定義する.
遺伝性を測定するにはコントロールした交配実験が必要になる.しかしヒトではそれはできない.ここでゴルトンは双子を用いた手法を思いつき,それは後の行動遺伝学につながる.現在の最新の遺伝子マーカーを用いた遺伝率測定*11では身長の遺伝率は86%とされている.これは測定されたものの中で最も高いものの1つだ.そしてもちろん環境も身長に影響する,時代とともに身長は変化している.ジンマーはここから,アメリカ史を通じた身長の様々なデータ.ヨーロッパの3万年間の人骨からわかる変化*12,21世紀の韓国とイランのデータを取り上げ,特にその経済的な要因との関連を物語にして提示している.またジンマーはここでホルモン異常による小人症と末端肥大症も取り上げている.これらの症例は遺伝要因と環境要因の複雑な相互作用の結果なのだ.
では遺伝要素はどのように身長の遺伝率を決めているのか.初期の取り組みはいくつかの候補遺伝子を拾い出したが,それら一つ一つの効果は小さく,追試で消えてしまった.しかし近時ゲノムワイド関連解析が可能になり,ついにソリッドな効果を与える遺伝子HMGA2が見いだされる.しかし効果量は3ミリメートル程度で,集団全体の身長の遺伝に基づく分散の0.2%が説明できるに過ぎない.この関連解析をさらに広げ,効果遺伝子数を800まで増やせたが,それでも分散の27%しか説明できなかった.そしてその他の量的遺伝形質について調べると大体同じような結果になるのだ.説明されない残りについては今のところ謎だが,ジンマーは,単に小さい効果のある遺伝子が多数隠れている可能性,効果が非線形である可能性などを提示している.

第10章 エドとフレッド

ジンマーは第10章をゴルトンの野望と挫折の物語から始めている.フランシス・ゴルトンは幼少時神童として知られ,大学で数学を極めて栄誉を得ることを望み厳しい修練を積むが,それは果たされなかった.そしてそれは彼の遺伝についての執着につながる.彼は知性の遺伝を信じて,証拠を集め,知性の向上に向けて人類を育種することを夢見る.それはピアソンの統計学ゴダードの知能テスト,知能のg因子仮説につながる.心理学者は様々なリサーチを行い,知能指数が寿命や経済的成功を含む様々な行動傾向と相関することを見いだした.また知能は発達を通じて一貫性があることでも知られる.1998年のリサーチでは子ども時代と大人になってからの知能指数相関係数は73%だった.
では知能とは何か.ジンマーは様々な心理学者の取り組みを説明している.ある心理学者グループは反応速度の問題と考え,別のグループは生体システムの一貫性だと考えた.
そして本題「知能は遺伝するのか」の話題に進む.最初期の取り組みは双子の知能指数の相関が高いという知見から始まった.そしてシリル・バートの行動遺伝学的研究が始まる.彼は知能の遺伝率を80%程度と推定した.この取り組みを好まなかった批判者は,データは捏造だとバートの死後に弾劾した.これは一旦双子研究に冷水を浴びせたが,その後のリサーチの積み重ねにより,知能は確かに遺伝し,遺伝率はおおむね50%程度であることが明らかになっている.最新のゲノムワイド関連分析では52の候補遺伝子がスクリーニングされているが,その解釈についてはなお激しい議論の最中のようだ.ジンマーはこのあたりの論争の様子も丁寧に追ってくれている.知能は身長よりも環境の影響を受け,発達の程度も大きいために分析が難しいのだ.さらにジンマーはフリン効果の謎,知能の遺伝を巡るリサーチがその時代の優生学や人種差別言説に与えた影響,教育に与える含意,人々の心にある「遺伝的本質主義」の誤謬などの話題を扱っている.ここは人々のイデオロジカルな信念,あるいは政治的信念が論争に大きく影響するところで,なかなか議論の詳細は込み入っている.逃げずに真正面から扱っているジンマーの気迫が感じられるところだ.


第3部 内なる血統


第3部以降ジンマーは通常の染色体上の遺伝子にかかる遺伝現象以外の遺伝現象を取り扱う.話はエピジェネティックスから始まる.

第11章 すべては卵から

この章では,背景知識編として,まず受精卵からの発生の基礎,細胞が様々なタイプに分かれそれぞれ別の形質を発現していくこと,アリストテレス以降の前成説と後成説の学説史,ワイズマンによる生殖系列と体細胞系列の区別などを概説する.
そこから発生学の歴史に入る.コクリンによる細胞系統樹,ワディントンによるエピジェネティック地形のアイデアが現れ,発生学者たちの興味は,どのように同じゲノムを持つ細胞が別のタイプに分かれていくのかに集中する.突破点は,なぜオスとメスでX染色体の数が異なるのにその上にある遺伝子発現はほぼ同じなのかという疑問だった.それはメスにおいてどちらかのX染色体をサイレントにするからだが,どちらをサイレントにするかはある段階で細胞ごとにランダムに決まり,それがその後の細胞系列に受け継がれることがわかったのだ.ではこれはどのように受け継がれるのか.それはメチル化のパターンであることが明らかになる.
これが今日のエピジェネティックスの基礎になる.細胞間でメチル化パターンが継承可能なのだ.発生において多能性が失われ,あるタイプの細胞のみが生み出されるようになるのはこの仕組みに基づいている.(この章の記述は同じ個体内での発生についてのもので,世代間のエピジェネティックスについては第15章で扱われる)

第12章 魔女の箒

ある植物から別の植物のような枝が生える現象は古くから知られており,英語では「魔女の箒」と呼ばれる.これは体細胞の突然変異が元になっており,そしてそれは時に有用な栽培植物の起源となる*13
このように同じ生物個体に体細胞突然変異による異なる細胞系列が混在していることを「モザイク」と呼ぶ.そしてこれは動物にも生じうるし,ヒトでも観察されている*14.またガンも一種のモザイク現象だということになるし,小さな変異まで含めるとある意味ありふれている.ジンマーはこのあたりについて学説史を縦軸に,ヒトの様々な症状を横軸にして詳しく解説している.

第13章 キメラ

ジンマーはキメラについて「フリーマーチン」の話から始めている.フリーマーチンとはオスとメスの双子のウシが生まれたときにメスの子ウシの方が性的にオスでもメスでもない状態(外見上はメスだが,子宮を持たない)になることを指している.これは古代ローマ時代から知られている.この謎の探索は20世紀になってから行われ,それは胎盤を通じて双子が細胞を交換していることにより生じることが明らかになった.個体の細胞は異なる系統によるものが混ざり合っている場合があるのだ.これはキメラと呼ばれる.
そしてヒトでもこの双子のキメラは生じる.ジンマーはヒトでの発見例,その後のリサーチ(当初は血液型で調べられ,現在は直接DNAから調べられている.1990年代のリサーチによると双子のうち8%程度はキメラであると見積もられている),二つの受精卵が子宮内で融合したケース,母親に子宮内の子供の細胞が入り込むケース(ミクロキメラリズムと呼ばれる),このようなケースが与える血縁や遺伝についての概念的混乱,健康に与える影響倫理的問題などを詳しく取り上げている.
またこの章の最後ではタスマニアデビルにはびこっている伝染性のガンの話題も扱っている*15.これも一種のキメラなのだ.この種の個体も種も飛び越えるガンは軟体動物でも見つかっているそうだ.


第4部 そのほかの経路

第14章 友よ,あなたは素晴らしい

次にジンマーが取り上げるのは共生微生物の遺伝.最初に発光バクテリアと共生しているヒカリキンメダイを取り上げる.きわめて近縁のヒカリキンメダイの2種はそれぞれ異なるルシフェリン遺伝子を持つバクテリアと共生している.
そしてヒトを含む動物は様々なバクテリアと共生し,個体はバクテリア叢を個別に獲得する.そしてその一部は親から子へ垂直感染する.ある意味これは遺伝現象でもあるのだ.ジンマーはここで,ヒカリキンメダイの垂直感染のためのフィルター,特別な仕組みで卵を通じて必須バクテリアを子に感染させるゴキブリの話を紹介している.ではヒトではどうか,ほとんどは個別に感染されるが,一部は産道や母乳を通じて垂直感染するようだ.そしてそれはヒトとチンパンジーバクテリア叢の違いを生み,ヒトの集団間でのピロリ菌の系統樹は,ヒト自身の系統樹と重なる.また一卵性双生児のバクテリア叢は二卵性双生児のそれより似通っている.つまり我々の遺伝組成は獲得バクテリア叢に影響を与えるようなのだ.これは表現型の発現の一部がバクテリアによって決まる可能性を示唆する.
そしてさらに緊密に遺伝的に組み込まれているのがミトコンドリアのような細胞内オルガネラになる.ジンマーはここでマーギュリスによるバクテリア起源仮説を含むミトコンドリアを巡る学説史をおいている.

第15章 花の怪物

次にジンマーが取り上げるのはペロリアの物語.ペロリアはその植物本来の花とは異なる形状の花を付ける現象で,最初は18世紀にホソバウンランで発見された.これはリンネを注目させた.ペロリアはその異なる花の形状を遺伝させ,時に元に戻ることから,後の世代の植物学者の興味を引き続けた.
謎が解明され始めたのは1990年代になってからだった.分子生物学者はホソバウンランはL-CYC遺伝子のメチル化によるスイッチにより通常の花になったりペロリアになったりすることを見つけた.つまりエピジェネティックなマークが世代を越えることが発見されたのだ.
そして20世紀の終わりに獲得形質の遺伝のように見える現象が他にもいくつか報告された.スウェーデンのリサーチで,ヒトについて,父方の祖父の生まれたときの栄養状態が悪ければ,孫娘が心臓発作で死にやすいという結果が得られた.この結果はラットを使った動物実験でも確認された.さらにマウスで条件反射の記憶が祖父孫間で遺伝するという実験結果も報告された.
これは第11章の発生におけるエピジェネティックスの知見と結びつけられ,メチル化と記憶についての様々な可能性が考察されるようになった.ジンマーはこれらについてかなり詳しく解説し,しかし過去のストレス経験がいかにメチル化を通じて世代を越えて(つまり生殖細胞系列におけるメチル化が減数分裂を越えて)脳や身体に影響を与えられるかについては全く明確ではないとコメントしている.
さらにこれらの発見は一部の論者にラマルキズムの復活の夢を見させている.ジンマーは獲得形質の遺伝を使って「貧困が社会に与える影響」まで論じるいくつかの論説を紹介した上で,このような主張について,そのメカニズムが全く明らかでないだけでなく,これまでの知見に照らして非常に困難である(これについても具体的に詳しく解説している)ということから生物学者はきわめて冷淡だと釘を差している.
その上で,植物に関しては生殖細胞系列と体細胞系列の区分が厳密ではなく,様々な可能性があることを説明し,動物における(RNAを通じた)わずかな可能性も指摘する.そしてそれでもこれは適応的な獲得形質の説明には遙かに遠く,ラマルキズムの復活にはならないだろうと結論をおいている.
エピジェネティックスとラマルキズムの復活については,ねじれた議論になりがちだが,ジンマーのまとめは冷静で目配りが効いており,さすがに一流のサイエンスライターの名に恥じないものだ.

第16章 教授可能な類人猿

エピジェネティックスによる獲得形質について否定的に扱った後,ジンマーはこれとは異なる獲得形質の世代間伝達つまり文化を取り上げる.まず最初に模倣などの文化伝達に向けた性向がヒトとチンパンジーで大きく違うことを紹介し,さらにヒトが自然環境内での生存において大きく文化に依存していることをオーストラリアで遭難した西洋人がアボリジニに助けてもらった逸話を使って説明している.
そして文化は世代を越えた伝達なので遺伝的な形質と同じように進化的にリサーチできる.そこから初期のミームのリサーチ,動物の学習や文化のリサーチ,ヒトにおける文化の累積,その要因(互いに親切で,教えあう,模倣好き),考古学的証拠を次々に取り上げ,火の使用,道具,家畜と栽培植物,金属器などの文化はある意味新しい形態の遺伝であるとコメントし,いろいろな考察をおいている.ここはやや厳密さを書いた議論だが,読んでいて楽しい部分ということになるだろう.


第5部 太陽の馬車*16

第17章 大胆な試み

人類は馬などの家畜の改良を続けてきた.育種がなぜうまくいくのかは19世紀以降に解明されていった.20世紀には栽培植物について放射線を当てて突然変異を誘発する手法もとられるようになった.そして1960年代に分子ツールが開発される.それは年々改良され,2013年には画期的な遺伝子編集手法であるCrisper-Cas9も現れた.ジンマーはこの手法の仕組みをここで解説している.
そしてその手法はもちろんヒトの遺伝子編集や,製薬用途に用いることもできる.さらにそれは生殖細胞系列の遺伝子も編集できる.これは優性学的にも優れた道具になりうることになり,倫理的かつ政治的な関心を大きく呼び覚ました.
ジンマーはここで遺伝学者ハーマン・マラーの物語をおいている.第二次世界大戦後,ナチの悪行が明らかになり,民族浄化のような露骨な優生学的思想は世間の厳しい指弾を受けるようになった.しかしよりプログレシブな優生学は残る.その牽引者の1人がマラーだった.マラーはモルガンの弟子で,1920年代にアメリカで遺伝学者として働き始めるが,しかし当時のアメリカの優生学運動には嫌悪感を抱いていた.それは弱者を不妊化させようという動きであり,貧困や犯罪を遺伝や人種に帰する誤った考えだったからだ.それに嫌気がさしてドイツに渡るが,そこでヒトラーが政権を取り,ソ連に移る.しかしそこはすぐにルイセンコ主義に侵されてしまい,スペインへ,軍事独裁が始まりスコットランドへ,そして1940年にアメリカに戻る.戦後,マラーは1920年代からのアメリカの優生学を厳しく非難しつつ,新しい優生学を立ち上げる.それは彼の突然変異荷重にかかるリサーチに基づいている.自然淘汰をなくすと種の遺伝子プールには有害突然変異がどんどん広まってしまう.マラーは個人による生殖選択を提唱した.大衆に突然変異負荷をよく教育した上で,優れた男性の精子バンクを作り,女性はその中からどの精子を使うかを自分で選ぶのだ.公的精子バンクは作られなかったが,民間ではいくつも設立された,1970年代には卵子も冷凍保存できるようになった.これは不妊治療の一環として定着していった.また有害遺伝子の含まれる精子卵子,さらに受精卵の排除も技術的に可能になる.実際にハンチントン病やPKUの遺伝的呪いはこれで取り除ける.ただし現時点でこの方法を使っているカップルは少ない.ジンマーは,私たちはテクノロジーを手にしたのだが,ヒトの経済的感情的政治的現実がその使用を阻止しているのだとコメントしている.
1960年代には別の優生学的手法が現れる.それはホッチキスによる遺伝子エンジニアリングの提唱だ.技術は進む,1970年代には遺伝病の遺伝子治療が試み始められる.そして政治的な論争の末に,1980年代には体細胞系列への遺伝子治療は問題ないが生殖系列への遺伝子治療は様々な問題があるという認識が広がる.
1997年に不妊治療の一環として受精卵の核を別の卵細胞質に移植する手法が開発される.これはミトコンドリア病の治療にも使える可能性がある.しかしこれによると子どもには両親の遺伝子のほかにドナーのミトコンドリア遺伝子が渡されていることになる.これは「3人の親を持つ子」というフレーズとともに感情的かつ政治的な議論を巻き起こした.ジンマーはこの顛末(アメリカでは結局事実上禁止されてしまう)を詳しく追っている.

第18章 受精時の孤立

この卵細胞質移植を巡る政治的混乱は来たるべきCrisper-Cas9による遺伝子編集技術をめぐる大騒ぎの前哨戦に見える.2015年ジェニファー・ダウナーはそれを避けようと連続公開討論を行い,サイエンス誌に「遺伝子エンジニアリングと生殖細胞系列の遺伝子修正についての思慮深い道」という声明を発表した.しかしもちろん政治的議論はヒートアップする.ジンマーは論争と議論を細かく追って紹介している.
ある意味ダウナーの試みは成功し,卵細胞質移植よりは前向きな議論が行われている.いまのところ議論の焦点は親が子どもの遺伝的性質を変える権利はあるのかというところで,ではそれはワクチンの注射と何が違うのかという議論になっているようだ.いずれにせよ議論はまだ成熟しておらず,今後様々な論点が提示されるだろう.ジンマーはそのあたりも詳しく解説している.
またこの章の最後ではiPS細胞についても取り扱っている.ジンマーの見立てでは,iPS細胞が提示するのは「『生殖細胞系列の特殊性』はそれほど『神聖』なものではない」ということになる.そしてあまり意味のない感情的な議論が多くの悩める人々から治療法を奪っている現状を嘆き,遺伝についての概念をもう少し緩く広げてどのように遺伝をコントロールすることが私たちの幸福につながるかをよく考えるべきだとコメントしている.


第19章 惑星を継ぐもの

第19章は最新の遺伝子エンジニアリングの話から始まる.ジンマーはここでCrisper-Cas9の手法を用いた生殖細胞系列遺伝子への介入手法の発見物語を詳しく語っている.それは目標変異の対染色体へのコピー連鎖反応(mutagenic chain reaction)を引き起こしメンデルの法則を破るのだ.この遺伝子ドライブを用いれば遺伝病を集団から排除可能になるかも知れない*17.そしてこれに遺伝子デザインのアイデアがつながる.それは途方もない倫理的関心を呼び起こす.

ここでジンマーは思索に沈む.農業の開始,青銅器時代からの人類の歴史を振り返り,私たちは遺伝子だけでなく環境を受け継いできたこと,そして現在の進んだ産業社会と温暖化環境を子どもたちに残すこと,現在のアメリカンドリームの変容を考える.そしてより良い遺伝と環境を子孫に残すには,(環境や文化を含めた)より広い遺伝概念を持ち,より長い視点で社会的なCrisper-Cas9の利用を考えた方がよいのではないかと語っている.


以上がこのジンマーの大著の内容だ.自らのルーツの探索とゲノムを読む体験,ハプスブルグやヴィンランドスクールやパール・バックにかかわる様々な印象的なエピソード,メンデルからCrisper-Cas9による遺伝子編集技術までの遺伝学説史,さらに量的遺伝,双子研究,モザイク,キメラ,エピジェネティックスなどの遺伝を巡る様々なトピックを魅力的な物語にして紡いでいる.大部の本ながら読者を飽きさせない工夫は見事だ.また優生学との関連や人種や知能の遺伝というトピックも真正面から取り上げていて迫力十分だ.個人的エピソードも挿入されて印象深さを増しており,これはユダヤ系のサイエンスライターならではの仕事ということになるだろう.エピジェネティックスについてセンセーショナルに扱わずに冷静にまとめているところもさすがだし,あまり根拠のない倫理的な感情にとらわれずに遺伝子編集技術をより人々の幸福のために使おうというスタンスにも好感が持てる.濃密な取材に裏付けられた最新の知見が味わえる極めて上質で充実した科学啓蒙書だ.


関連書籍


脊椎動物の陸上進化を描いた本,ジンマーの出世作ということになるだろう.

水辺で起きた大進化

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同原書

At the Water's Edge: Fish with Fingers, Whales with Legs, and How Life Came Ashore but Then Went Back to Sea

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進化についての最初の一冊

「進化」大全

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同原書(原書の方は第2版になっている)

Evolution: The Triumph of an Idea

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進化についての2冊目.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20121002

進化――生命のたどる道

進化――生命のたどる道


同原書

The Tangled Bank: An Introduction to Evolution

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進化についての3冊目(邦訳では3分冊)は教科書になる

カラー図解 進化の教科書 第1巻 進化の歴史 (ブルーバックス)

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カラー図解 進化の教科書 第2巻 進化の理論 (ブルーバックス)

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カラー図解 進化の教科書 第3巻 系統樹や生態から見た進化 (ブルーバックス)

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同原書

Evolution: Making Sense of Life

Evolution: Making Sense of Life


大腸菌を扱った一冊.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20091229

大腸菌 〜進化のカギを握るミクロな生命体

大腸菌 〜進化のカギを握るミクロな生命体


同原書

Microcosm: E. coli and the New Science of Life

Microcosm: E. coli and the New Science of Life


ウィルスを扱った一冊.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20150928

ウイルス・プラネット (ポピュラーサイエンス)

ウイルス・プラネット (ポピュラーサイエンス)


同原書

A Planet of Viruses

A Planet of Viruses


これは寄生生物にかかる本.

パラサイト・レックス―生命進化のカギは寄生生物が握っていた

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同原書

Parasite Rex (with a New Epilogue)

Parasite Rex (with a New Epilogue)

*1:この題は(獲得形質の)遺伝を伝える古代ローマの言い伝えから来ている.古代ローマの名門貴族であったルシウス・ドミティウス・アヘノバルブスは黒髪だったが,ローマの戦勝を伝えるニュースをカストール神とポルックス神から知らされ,その際に頬にタッチされたときから赤髪になリ,それ以来その赤毛は子孫に伝わったという.

*2:“attagirl”というのは女の子に「よくやった」という意味で投げかける間投詞.ここではフェニルケトン尿症の対処法が発見されて知的障害を免れた少女がホワイトハウスに招かれ,ケネディ大統領が彼女が元気よく遊ぶ姿に発した言葉として章題になっている

*3:キャロルは1929年,9歳の時にゴダードの去ったあとのヴィンランドに収容されることになる

*4:フェニルアラニンからチロシンを合成できないことにより発症する

*5:彼はヴィンランドでキャロルをPKUと診断したこともある,また第二次世界大戦後は反優生学運動の先頭に立っている

*6:ロザリンド・フランクリンに対する不当な仕打ちについてかなり批判的だ

*7:アメリカでこれが義務化されて,大きく状況が改善するのが1961年になる

*8:この題は生物学者ローレンス・ハーストが減数分裂について語った言葉「一晩のバカ騒ぎから帰る酔っ払いのようなものだ.一歩下がって二歩進む」から採っている

*9:ノアの洪水のあと,ハムの罪への罰として神がその子孫の肌を黒くしたという伝説

*10:結局この名前は父方の先祖がアメリカに移民してきたときに名乗り始めたのだろうと推測されている.

*11:双子かどうかを問わずに兄弟姉妹の多くのペアを集め,そのゲノム共有率を測定した上で,遺伝率を計算する.

*12:もっとも大きな環境要因による身長変化は8000年前の農業開始の時の低下になる.

*13:ジンマーは例としてピンクグレープフルーツをあげている.

*14:ジンマーは例として「エレファント・マン」をあげている.

*15:起源としては1万1千年前の1頭のイヌにさかのぼれる

*16:この題と第17章の章題は,ギリシア神話で,太陽神ヘリオスの子のフェイトンが父の馬車で大空を駆けようとして天地を焼き尽くし,ゼウスの稲妻を受けて墜落する物語を踏まえている.

*17:それはまだどこまで世界を広げられるか確定していない.このドライブへの耐性進化が可能かどうか見極められていないのだ