From Darwin to Derrida その38

 

第5章 しなやかなロボットとぎこちない遺伝子 その3

 
遺伝子のどこが特別なのか.それは過去の情報と現在の情報を持ち戦略を遂行する,そしてそれを次世代に伝えられる複製子本体であるところが特別なのだ.ここからヘイグは「誰が」物事を決めるのかという議論に移っていく.最初の例は赤ちゃんと母親が微笑み合うというものだ.
 

微笑むと決めるのは誰か

 

  • ロドプシン遺伝子は網膜の細胞でのみ発現してロドプシンタンパク質を作る.ということはこの遺伝子は自分がどこにいるかを感じて発現の活性を切り替えられなければならない.(どのようにタンパクがつくられて,光を感じるとどのように感覚系にシグナルが送られるかの詳細が説明されている)なお遺伝子とそれが作るタンパク質に同じ名前を付けるのは換喩の1例で遺伝学者の標準的な慣習でもある.以降は遺伝子はイタリック体で記して区別する(本ブログでは遺伝子という語を足して表示する).
  • この例には2つ重要な点がある.1つは光子を感じるのは遺伝子ではなくタンパク質だということだ.遺伝子は光自体もそれを感じたというシグナルも感じない.遺伝子は光子を感じてシグナルを出す自動機械タンパク質を作る指令を出すだけだ.
  • もう1つは,単一の状態にある遺伝子が,異なる環境キューによって異なる状態となるタンパク質を作るということだ.遺伝子は行動的柔軟性を持つタンパク質を作るのだ.そして遺伝子の状態とそれが作るタンパク質の状態について単純な関係はない.

 
ロドプシン遺伝子は自分が網膜にあることをなんらかの形で知ってロドプシンタンパク質を作る.そしてそのタンパク質は行動柔軟性をプログラムされていて,光子を感じればシグナルを神経系に送るということになる.
 

  • ロドプシンが活性化する典型的な社会コミュニケーションの例を考えよう.赤ちゃんの網膜の棒細胞と円錐細胞は無数の光子を受け取る.それは赤ちゃんの脳に複雑なプロセスを開始させ,母親を認知して複雑な動作つまり微笑みを生じさせる.同じような複雑な作用が母親にも起きてやはり微笑みが生じる.これらのすべての過程は遺伝子の状態変化なしに生じる.
  • 微笑みの交換が可能なのは数え切れないほどの遺伝子が途方もない数のタンパク質自動機械の生産を行うからだ.そしてそれらタンパク質はやはり無数の高レベルの自動機械(神経細胞や筋細胞)の中にある.これらの細胞自動機械は2つのさらに高レベルの自動機械(赤ちゃんと母親)に組織化されている.しなやかなロボットはそのぎこちない遺伝子と相談せずに相互にコミュニケートしている.
  • 生物個体レベルの自動機械の発達とメンテナンスには明らかに遺伝子の調整された状態変化がかかわっている.しかし微笑みの交換は,転写や翻訳が役割を果たすにはあまりにも瞬時に行われる.高レベルの自動機械は低レベルの自動機械には入手不可能な情報を得て行動できる.赤ちゃんのどの遺伝子も母親の顔を認識することはできない.

 
そして赤ちゃんと母親の微笑みの交換は(遺伝子による事前の条件付き戦略のプログラムに沿って)タンパク質自動機械の反応として生じる.これはドーキンスのいう異星探索ロボットの比喩がまさに示しているように,現場の判断は柔軟性を持つ機械が行うようになっているということだ.