From Darwin to Derrida その67

 
 

第8章 自身とは何か その7

 
ヘイグによるスミスの道徳感情論の読み込み.理性について.理性の役割について,ここまで,本能(感情)の目的(効用)を得るための合理的方法を見いだすという役割,複数の本能(進化心理学でいうところのモジュール)のコンフリクトの調整と言う役割(そしてそれがどのように解決されているのかは内省ではよくわからないこと)を論じてきた.そして最後によくある理性と感情の相克の問題を扱う.
 

理性(承前)

 

  • このような基本的な疑問は脇においておこう.そしてここでは理性はある種の感情と相反する行動を推奨すると仮定し,それがどのような原理の元で解決されるかを考えてみよう.
  • 理性と感情の相克はしばしば自己制御や意思の力の問題とされる.遺伝的な視点から見ればこれは2つの適応間のコンフリクトになる.感情は過去の自然淘汰の智恵を要約したもので似たような環境で適応度を上げる行動を推奨する.これに対して理性は現在の文脈の特定の特徴に反応する.そしてそれは感情の推奨する駆動が現環境下で自己破壊的であることを認識することが可能だ.しかし理性は誤謬に陥ることもある.その選択は同じ遺伝的利益を持たない別のアクターに操作されることもある.
  • だからある特定環境下で感情と理性のどちらかが良い推奨をしているとは限らない.意思の力は選択を安定させるにはどうするればいいかという主題に関わる.意志が弱すぎると誤った感情に引きずられるし,強すぎると保守的で正しい感情の助言を無視してしまう.

 
なぜヘイグは「遺伝的な視点から見ると(from a genetic perspective)」理性と感情の相克が2つの適応間のコンフリクトだということになるとコメントしているのだろうか.「進化生物学的に考えると」という方が適切であるように思えるところだ.いずれにせよヘイグは理性も(現在の特定環境下での適応度を上げるための)適応産物だと(ある意味当然ながら)考えていることになる.そして理性は様々なトレードオフから完璧な論理演算能力を持つことはできないし,誰かの操作によって誤謬に導かれることもあるということになる.理性と感情の相克が扱われる場合は,どのように感情に流されずに理性を活用するかという文脈で語られることが多いが,ヘイグはここで理性の暗黒面も指摘していて興味深い.
 

  • そして理性はある意味感情そのものでもある.パズルを解くことはそれ自体が報酬になる.世界を意味あるものとして解釈することは,理解の喜びと発見のスリルを通じて心理学的な報酬として機能する.私たちはどの知識が将来の目的に有用かを前もって知ることはできないし,見つけた人生の問題への解決策は「知的資産」として他者と分かち合ったり交換したり出来る.そしてそれは私たちにとって有用なのだ.

 
この「理性もなんらかの報酬によって働いており,ある意味感情と同じ本能だ」という指摘も深い.いろいろ考えさせてくれるところだ.