書評 「What is Tanuki?」

What is Tanuki?

What is Tanuki?

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本書は東大出版会より出されたタヌキの専門書だが,そこからとても予期できないほどの迫力と熱意にあふれた本だ.著者は,タヌキを追いかける傍ら極真空手にうちこみ,その黒帯を持つ女性研究者であり*1,そもそもこの「What is Tanuki?」という題は極真空手創始者の大山倍達の著書「What is Karate?」ヘのオマージュであるというのだ.いかにも型破りで期待を持たせる.
 

第1章 タヌキの生き方

 
第1章ではタヌキとはどういう生物なのかが概説されている.個人的に興味深かったところを紹介しよう.また第1章の最後には著者が「信綱」と名付けたタヌキの生き様が具体的に紹介されている.

  • タヌキは食肉目動物の中で「器用貧乏」だ.走りも泳ぎも登りも狩りもある程度はこなせるが特に優れたものはない.
  • 生態的には「好機主義的雑食」であり,その時そこにあるものをひろく食べる.咀嚼はあまりせずにすぐに飲み込む.
  • 配偶システムは基本モノガミーであると考えられる.ペアが成立すると年間通してほぼ毎日一緒に行動する.オスにも育児行動が見られる.
  • 行動的には大胆にして細心.里山に適応して餌付けされることも多い.千葉の調査地では里に暮らすタイプと山に暮らすタイプに分かれている.

 

第2章 どこから来て,どこへ行く

 
第2章はタヌキの進化史が語られている.ここでは食肉目内の分岐から説かれている.

  • イヌ亜目とネコ亜目の分岐はおよそ5000〜6500万年前と考えられる.その後イヌ亜目はイヌ下目とクマ下目に分かれ,イヌ下目はいくつかの科,亜科に分かれていく.その中にイヌ科があり,起源地は北米と考えられている.
  • イヌ科は後期中新世(1160万年前頃)にユーラシア,アフリカに渡った.タヌキ属はおよそ1000万年前に,キツネ,オオカミと分かれる.(なおイヌ亜科内の分岐年代については激しい論争がある)
  • タヌキ属内では,300〜500万年前に複数の分岐があり,いくつかの大型のタヌキの化石が知られている.現生タヌキの祖先系列と考えられるのはNyctereutes sinensisでユーラシア全体に分布したようだ.
  • ユーラシアでは様々なタヌキが生息したが,更新世までにはほとんど絶滅し,現生タヌキ(N. procyonoides)につながる系列のみが生き残った(アフリカでもいくつかの分岐があったようだが100万年前頃には全て絶滅した).現在タヌキは1属1種とされている.
  • 現生タヌキの亜種には中国東部のビンエツタヌキ,朝鮮半島のコウライタヌキ,モンゴルからシベリア南部のウスリータヌキ,中国内陸部のウンナンタヌキ,日本のホンドタヌキ,エゾタヌキの6亜種が認められている.日本には朝鮮半島経由で更新世に渡ってきて,その後2亜種に分かれたと思われる.大陸の各亜種は完全な地理的隔離がないまま地域的亜種になっていったものと思われる(ただしコウライタヌキは完新世以降地理的隔離を受けている)
  • タヌキの核型は2n=42とされてきたが,ロシア産タヌキで染色体数56が報告され,日本のタヌキについて調べると染色体数の個体差,さらには個体内での多型があることが発見された.これはB染色体によるものであることがわかっている.現在タヌキの核型はホンドタヌキとエゾタヌキで2n=38+B’s,大陸タヌキで2n=54+B’sとされている.将来的には日本のタヌキは別種とされる可能性がある.

第3章 raccoon dog

 
第3章で扱われるのは毛皮産業による大規模飼育と外来種問題.*2

  • タヌキは旧ソ連によって毛皮のために大規模に飼育された経緯があり,そこから逸出したウスリータヌキが東欧を経て中欧,北欧に分布を広げている.外来種としてのタヌキの適応力は食性の広いこと,冬ごもり能力があること,繁殖力が高い(父親による育児があることも要因)こと,分散能力が大きいことだ.(生態系への影響や人獣共通感染症(狂犬病,SARS,エキノコックス,疥癬など)リスクなどが詳しく解説されている)
  • 毛皮のためのタヌキの養殖はかつては日本でも行われた*3.現在の狸毛皮生産量は突出して中国が多い.アニマル・ウェルフェアは毛皮産業の大きな問題だ.

 

第4章 タヌキは化かすのか?


第4章はタヌキの民族学が取り扱われていて楽しい.日本の狸民話*4における「化ける「化かす」,キツネの扱いとの対比,「名のある狸」名鑑*5が語られ,最後に著者自身による「昔話」と称するフィールド話が収められている.
 

第5章 タヌキにまつわる諸問題

 
第5章ではタヌキに関するいくつかの問題が扱われる.本章の最後では「武道における間合い」を引き合いに出して,私たちは野生動物と適正な距離を保つべきだと力説されている.

  • ロードキル:タヌキは交通に対して「立ち止まり型」行動*6をとり,自動車や列車に轢かれるリスクが高い.タヌキのロードキル数は狩猟や捕獲による死亡を遥かに上回る.高速道路に対する単純なアンダーパスやオーバーブリッジは効果がない.タヌキの習性にあわせた調整*7が望まれる.
  • 餌付け:意図的餌付けおよび(残飯や農作物残渣の放置,放任果樹,無防備な農地など)意図しない餌付けはロードキルや農作物被害を増加させる.
  • 農作物被害:日本における農作物被害の双璧はシカとイノシシによるもの(それぞれ42%,37%)で,タヌキ,ハクビシン,アライグマによるものは比較的少ない(それぞれ1%,3%,3%).それでも防備することによって減らすことができる.
  • 外来生物:日本におけるタヌキと競合する外来生物にはアライグマがある.アライグマの有害捕獲数および防除捕獲数は,それが特定外来生物に指定されて(2006年)から急増しているが,同時にタヌキの有害捕獲数も相関係数ほぼ1で増加している.これは外来生物防除捕獲および有害捕獲政策が科学的でも倫理的でもないことの証左である.

 

第6章 タヌキの幸せ,ヒトとの共存

 
第6章はタヌキを研究してきた著者の思いが込められた章になっている.ある意味「魂の叫び」的な章だ.冒頭ではヤブイヌの研究を例に,興味が研究を進め,理解が得られ,それが共感につながる過程が説明される.

  • 私は「好き」→「知りたい」→「研究」→「もっと好き」→「もっと知りたい」という無限ループにはまってタヌキを研究してきた.タヌキを研究しているというと,しばしば「それがなんの役に立つのか」という反応を返される.そして現在日本では研究費を得るためにそれが問われる.だとすると野生動物はそれが問題を起こすか絶滅に瀕しないと研究できないことになってしまう.それは我が国が野生動物に価値を認めていない*8ということだ.
  • タヌキの知見が少ないのはそれが(野生動物を科学的に観察して記述する土壌のある)西欧や米国に分布していないという事情と無関係ではない.
  • 野生動物にかかるニュースにおける日本のメディアの常套句には「我が物顔」「居座る」「占領」「大繁殖」などがある.かつてタヌキの怪我などの治療には傷病鳥獣教護制度からの補助があったが,「害獣」と認定され,この対象ではなくなった.この寛容のなさはなんなのか*9
  • ヒトはあらゆるレベルで生物多様性に大きく関わっている.しかし自分たちの行動は「生態系の保全」から切り離して決めているとしか思えない.環境包容力はヒトの許容性次第なのだ.私がタヌキであれば,ヒトに対して「生物多様性」と「ランドスケープの連続性」への配慮を望むだろう.

 
タヌキの本としての本書の本文部分はここまでだが,これまで別のところに寄稿したタヌキに関する巻末エッセイがいくつか収録されている.根性でタヌキを追跡する奮闘記や,様々なタヌキの逸話が語られていて大変楽しい読み物になっている.
 
以上が本書の内容になる.タヌキについてどのような動物でどのように進化してきたのかという科学的な知見が語られたあとは,タヌキをめぐる様々な問題や世間や行政のタヌキの扱いヘの批判が情熱的に語られていて,読者としてはその熱気に当てられるように読み進められる本だ.私的には進化史の部分が勉強になった.ちょっと異色な本だが,日本の野生哺乳類に興味がある人にはとても楽しい一冊だと思う.

*1:極真の黒帯は博士になるより難しいと自慢しており,この本の各所に著者自身の手による黒帯を締めたタヌキのイラストが登場する.

*2:冒頭に「この先,読んで悲しくなるかもしれません」というトリガーワーニング的注意書きが表示されている.どのような残酷な描写があるのかと身構えたが,いくつかの感染症の説明と毛皮産業でのタヌキの飼育状況や殺狸状況が酷いものであったという抽象的な描写があるだけなので,(残酷場面が苦手な人も)それほど恐れる必要はないように思う.著者は人間の都合で振り回されるタヌキの苦境に強い共感があるようだ

*3:軍隊の防寒装備用として奨励された経緯があるそうだ.なおこの養殖ブームは1939年の毛皮価格の暴落により終焉したそうだ.文字通りの「捕らぬ狸の皮算用」が生じたらしい.

*4:狸の話は四国に突出して多いのだそうだ

*5:ここは特別に楽しい.日本三大狸は「佐渡の団三郎」「屋島の太三郎」「淡路の柴右衛門」だそうだ

*6:米国研究者による分類だそうだ.この他には「無反応型(鳥類など)」「駆け抜け型(ボブキャット,ミュールジカ,アカカンガルーなど)」「忌避型(ハイイログマ,ヘラジカなど)」があるとされている

*7:のり面上の障害や侵入防止柵など

*8:日本の態度は「野生動物は増えすぎれば減らしたいが絶滅だけは避けたい」というものだとされている

*9:これに対する環境省の見解は「野生鳥獣の救護目的は個体の保護ではなく,生物多様性の保全だ」というものだそうだ