From Darwin to Derrida その175

 

第13章 意味の起源について その13

 
ヘイグの意味についての論考.意味を作り出すのはランダムな変異ではなく淘汰だということをサルのたたくタイプライターの逸話で示そうとする.ここでは単純なサルのたたくタイプライターではなく,ボルヘスの「Total Library」の印刷機が登場し,ボルヘス自身その出力自体には意味がないことを指摘していることが解説された.
このことが理解できない自然淘汰の批判者たちの陥りがちな認知プロセスについての考察が続く.
 

サルとタイプライター その2

 

  • 自然淘汰が創造力を持つことを拒絶する別の理由(あるいは別に見える同じ理由)は,淘汰を純粋に否定的なプロセスとして見てしまうことにあるのだろう.それはほかの方法(これこそが真の創造力の源泉)で作られた変異を排除するだけのプロセスだと考えてしまうのだ.それを示唆するコメントをいくつか引用しておこう

 

  • 自然淘汰の機能は淘汰であって創造ではない.それは新しい変異の形成に関与しない.それはどれを残してどれを排除するかを決めるだけだ(レジナルド・パネット)

  • (自然淘汰)は神学の否定的な代用品だ.それは何らかの消滅のみを説明し,形態の出現を説明しない.それは抑えつけるだけで創造しない.(ハンス・ヨナス)

  • 一部のダーウィン主義者が彼等の呼ぶ自然淘汰に創造的な力を認めているのは,私の頭痛の種だ.・・・進化における唯一の創造的な要素は生きている生物の活動なのだ.(カール・ポパー)
  • 適応的な変化はどこから来るのか? 微妙でしばしば見過ごされている点は,それは自然淘汰からはもたらされないということだ.・・・自然淘汰が何かを創造することはない.(ジャン・デュプレ)

 

  • ほとんどのこのような批判は,イノベーションを変異をもたらす突然変異プロセスに帰し,自然淘汰は非創造的にそれらを受け入れたり排除するだけだとみなしている.
  • 彼等は,いわば,創造性をボルヘスの「Total Library」の著者に帰しているのだ.突然変異が創造性の源だというこの見方は,「意味」を誤解している.突然変異に意味はない.はじまりの時点で,違いの起源は,無意味なのだ.

 
この認知的なバイアスはそれほど普遍的なのだろうか.「意味があるものを残し,そうでないものを排除する」という プロセスを単に「何かを排除するマイナスな過程」として見てしまうというのは,あまりに近視眼的というか,あまりに自然淘汰を嫌いすぎという感じで個人的には理解しがたい.
 
批判者についてわかったことは以下の通りだ.

レジナルド・パネットは英国の遺伝学者.この引用は彼の著書「メンデリズム」(1913)からのもの.

Mendelism

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ハンス・ヨナスはドイツの実存主義哲学者.この引用は著書「生命現象:哲学的生物学に向けて」(1966)からのもの 
カール・ポパーはいわずとしれた大御所科学哲学者.この引用は1986年のメダワー講演の講演録かららしい. 
ジャン・デュプレは英国の科学哲学者 この引用はInterface Focus誌に掲載された「The metaphysics of evolution」という論文から
philpapers.org

 
カール・ポパーのこの言葉はかなり衝撃的かつ幻滅だ.私の中の彼の評価はかなり下がってしまった.