War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その80

 
ターチンは14世紀末から15世紀前半のフランスの第二の崩壊過程,そしてそこからの回復過程を眺め,回復過程が英仏両国で異なったことを解説してきた.ここからこの回復過程で両国にセキュラーサイクルの波の位相ズレが生じたが,位相がズレたまま似たような経緯となったことの意味が議論される.
  

第9章 ルネサンスについての新しいアイデア:なぜヒトの抗争は森林火災や疫病に似るのか その10

  

  • 英国とフランスが14世紀半ばに軌跡を分岐させてから,この2つの社会が位相シフトさせて共振していたことは興味深い.例えばフランスの次の不安定期は宗教戦争(ユグノー戦争:1562~1598)で始まりフロンドの乱(1648~53)まで続いた.英国では不安定期は清教徒革命(1642)で始まり,名誉革命(1688)とともに継続し,スコットランドのジャコバイト蜂起(1745)まで続いた.つまりフランスの不安定期は1560~1660年代,英国のそれは1640~1740年代ということになる.

 
ターチンは1642年の英国の不安定期の始まりをThe Great Revolutionと呼んでいる.聞きなれない呼び名だったので調べてみたが,これは英国史ではThe First English Civil War(第一次英国内戦)と呼ばれることが多く,(ピューリタンの民衆暴動が生じたことより)イングランドとウェールズの戦いだったことが重視されている呼び方のようだ.そしてさらに前後のいくつかの内戦を合わせてThe Wars of the Three Kingdoms(1639〜1660)と呼ばれることも多いようだ.だとすると不安定期の始まりは1639年とした方がよかったのではという気もする.ジャコバイトは名誉革命に対する反体制派の総称で,名誉革命後も反対勢力との間でごたごたが続いていたということになる.
 

 
そしてターチンは両国がこの位相のズレの後も同じような経緯をたどったことこそ,内的要因によりセキュラーサイクルがひきおこされていることを実証するものだと主張する.
 

  • この観察データは.セキュラーサイクルを気候要因から説明しようとする仮説にとどめを刺すものだ.南部イングランドと北部フランスは非常によく似た気候を持ち,気候が原因なら両国の興亡は位相を揃えるはずなのだ.しかしそうなってはいない.そしてもしサイクルが内部要因で生じているなら,一旦生じた位相シフトが継続することこそ予想されることなのだ.