「系統樹思考の世界」


系統樹思考の世界 (講談社現代新書)

系統樹思考の世界 (講談社現代新書)



コンパクトな新書に内容がぎっしり詰まったお買得本だ.


私の興味は進化生物学の中でも行動生態,進化心理中心なのだが,古生物や系統にももちろん興味がある.最初にこの手の本を読んだのは1990年頃,今は亡き蒼樹書房から出ていたエルドリッジとクレイクラフトの「系統発生パターンと進化プロセス」だった.これは難解で,クラディスティックスの基本はわかったが大部の本の詳細な議論はよくわからずに,その後しばらく分類とか系統とかの本は敬遠してしまったほどであった.本書中に著者自身の経験談があるが,専門教育を受けていても理解が難しかったのだから,生物体系学論争の背景など何も知らずに読んでもわからなくて当然だったと15年ぶりに何となく安心してしまった.
ようやくもう一度挑戦する気持ちも出てきた2000年頃読んだのは三中先生の大著「生物系統学」.これは衝撃的に面白かった.系統と分類は深いところでまったく異なる知的営みであること,系統分析がNP完全問題を通じて離散数学との深い結びつきがあることなどまさに目から鱗が落ちるような読書経験だった.何より著者の渾身の気迫が伝わってきて,なかなか難解なところもあったが読んでいる間中わくわくし通しだったのを覚えている.


そして本書である.新書版であり,一般向けということで非常にわかりやすく,話題は多いが手際よく裁いていて見事である.著者自身の就職時のエピソードからのつかみに始まり,豊富な話題に乗せて,読者を系統樹思考に深く深く誘い込んでくれる.


まず第一部は系統樹思考のもとになる科学哲学について.仮説をデータで検証できる体系があれば科学と呼べる知的な営みであり,過去を復元することは十分科学たり得る.そしてその営みのためにはローカルな科学哲学が重要である.この科学哲学で有用なのはアブダクション(データにもっとも適合する説明は何かという推論)である.そしてそのような共通の科学哲学のもとにある学問分野(古因学:写本,生物,言語などの由来を探索する知的営み)は現在認められている学問的境界を越えて広がっている.
由来を共通にするものについての考察をアブダクションという推論形式と系統樹というイコンにまとめて科学哲学の重要性を強調している.おそらく日本では科学哲学について科学者自身の興味が薄いこともあり,ここには少し力が入っている.


インテルメッツォとして高校生の書く系統樹と過去の生物体系学論争が語られる.


第二部は系統樹の説明.無根のグラフと有根のグラフの説明,最節約性基準からの最良の系統樹の選択,そしてグラフの点が増えると計算が爆発してしまうためしらみつぶし探索が不可能になり,さらに推論が必要になること,さらに系統と因果の違い,より高次のネットワーク型等への発展が説かれる.
最後に分類思考と系統樹思考の違いについて少しふれつつも,著者の造詣の深い「種」概念についてちくりと指摘して大団円となる.
ここはページ数に余裕があればもっともっと説明したかったところをぐっと抑えてさらっと流している風情がよくでている.興味のある方は是非「生物系統学」をという感じなのだろう.(うーむ,私ももう一度読みたくなってしまいました)


全編トゥーランドットが基調になっており,カバー裏に「セフィロトの樹」があるのもおしゃれである.知的好奇心のあるすべての人に力強く推薦できる.



(蛇足として最後にひとつ)
本書はすべての議論が大変分かりやすく,かつコンパクトになされているのだが,248ページの系統ジャングルのところの図と説明だけは難解だ.小文字のa,b,cの順序がこの図の通りだとすると,私にはこの本文中の説明と図の整合性がよく理解できない.ここだけはあと1,2ページさいて分かりやすく解説した方がよかったのではないだろうか.


生物系統学 (Natural History)

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トゥーランドットカレーラス版はこちら

プッチーニ : 歌劇「トゥーランドット」(全曲)

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(8/1追記)「生物系統学」再読始めました.もう一度読み始めるとまた止まりません.