読書中 「The God Delusion」 第4章 その1

The God Delusion

The God Delusion



第3章で神の実在についての議論を粉砕した後,第4章はドーキンスがなぜ神は(まず間違いなく)実在しないのかを議論する.ドーキンスの基本的な立場は「それはほとんどありそうもないから」(argument from improbability)だ.

ドーキンスのポイントは,神が世界を作ったという説明はともかくとして,その神自体はどこからきたのか?というところだ

創造論者はボーイング747が嵐によって偶然組み立てられることは起こりそうもないとして,自然淘汰に反駁しているつもりになっている(彼等は自然淘汰が偶然だけの理論と誤解している)しかしこれはそのまま神について適用できる.どうやったら神のようなものが存在しうるのだろう.神こそ究極のボーイング747なのだ.

そして複雑なものが生じる仕組みを説明する自然淘汰の議論の強力さを強調する.これは直感的な古い考え,「あるものを作れるのはそれより複雑なものだけだ」という創造のトリクルダウン説を覆すものだ.これはすべてのデザインについての仮説を根底から考え直させる.いったんこの議論の強力さを実感すると世界が変わって見えるのだ.


(それまでと世界が違って認知されることの例として,フェミニストが三人称代名詞の使い方にかみついてから,英語圏のライターはheとかhisを使うときに非常に意識しなければならなくなったことをあげ,余談としてあるフェミニストHistory の代わりに Herstory をつかえと強要した話が枕に振られている.常日頃からなかなか物書きには煩わしいことなので,ちょっぴり皮肉を混ぜずにはいられなかったのだろう.)


続いて創造論者が,自然淘汰を偶然の議論と誤解していることを指摘し,問題は偶然かどうかではなく,偶然からいかに逃れるかであり,それこそ自然淘汰の議論の本質なのだと強調する.確かに自説を誤解されたまま反論されて得意になられることほど議論をしていて腹立たしいことはない.この誤解にはドーキンスも相当辟易としているようだ.そして創造論者こそ神が偶然に生じることはありそうもないことについての説明が全くないと批判する.


次に宗教が無知を崇拝し理解しないことで満足することを指摘する.さらに創造論者の議論の特徴として科学知識のギャップを探してそこに神の説明を付けたがることをあげる.これは政治的な効果として科学者が「この問題は面白い.どうやってこれが進化したのかわからない,是非調べてみよう」とつぶやくのを控えさせる圧力になるのだと述べて,この戦略の悪影響を嘆く.


ギャップについてはさらに,化石のギャップを探したがるのも創造論者の特徴だと指摘.「化石がどこまでも連続して出ることはもともと期待できない.そもそも現在の進化理論を否定するにはホールデンが言ったように「先カンブリア紀からウサギの化石がでれば」十分なのだ.」と創造論者の議論の幼稚さを指摘する.


さらにつづけて,手厳しく創造論者のロジックを批判する.

「これ以上単純化できない複雑なもの(それは進化したはずはなく神による創造の証拠だ)仮説」は要するに想像力の欠如だ.何かがこれ以上単純化できないことを彼等は証明しようとしない.単に想像できないから自明だというだけだ.まったく科学とは呼べない代物だ.手品の種が見つけられなければすべて奇跡だと考えてよいとでも思っているのだろうか?

このあたりは続け様に痛快に相手をこき下ろすドーキンス節が満開で,たたみかける論旨に切れ味の良さがある.


さらにBeheへの批判.Beheはバクテリアの鞭毛モーターで「これ以上単純化できない複雑なもの仮説」を展開したということだが,これもまさしく想像力の貧困と切って捨て,モーターの進化の道筋を紹介している.



第4章 なぜこの世にはまず間違いなく神はいないのか


(1)意識覚醒者としての自然選択


(2)これ以上単純化できない複雑さ


(3)ギャップへの崇拝