読書中 「The God Delusion」 第4章 その2

The God Delusion

The God Delusion


「ありそうもない」という論拠でまず間違いなく神はいないと議論したドーキンスは次に人間原理について説明を始める.ドーキンスの立場からはいったん太陽系と地球が今ある状況で存在し,最初の生命が起源した後は,現在の生物界の状況は基本的に自然淘汰を中心とする進化生物学で説明できる.
しかし生命の起源と,太陽系と地球が今ある状態で存在すること,そして宇宙の開闢と物理法則が現在ある内容であることの説明は自然淘汰では説明できない.この部分については神の実在の証拠といえるのだろうか.

これに対してのドーキンスの答えは,それは神を持ち出すより,人間原理で説明した方がよいというものだ.人間原理とは「我々は今地球に存在している.だから地球は様々な可能性の中からちょうど我々のような知的生命体が存在しうるような条件を持っていたはずだ」というような考え方だ.そしてこの説明の方がよいとドーキンスが考える理由は,なぜなら神を持ち出すなら,結局なぜ神があるのかを説明しなければならない.それは人間原理の説明より遙かにありそうもないことだということだ.


まず生命の起源

生命の起源そのものは化学的にレプリケーターがどのようにできたのかということだ.これもとても起こりにくいが,一度生じたからこそ我々はここにいるというわけだ.惑星は莫大な数で存在する.仮に生命が起源するオッズが十億対一でも宇宙には十億以上の惑星で生命が起源することになる.要するに人間原理からは生命の起源は百京分の1以上の確率で生じうることを示せば十分だということになる.(もっとも私自身はもっとオッズは大きいと思っている,数年のうちにラボで生命を作り出せても驚かないだろう)


さらに真核生物の起源,意識の誕生などは人間原理で説明すべき一度限りの起こりにくい出来事なのかもしれないと付け加えている.


次に宇宙について

物理法則や物理定数.6つの基礎的な物理定数がほんの少しでも違っていたら,現在ある生命が生まれるような宇宙はなかっただろう.
これも神の説明と人間原理の説明がある.神のよる調整説は,そもそもそのような計算ができる神がどのようにして生じたのかを説明しない.このような存在は物理定数が今ある数値の組み合わせになっていることにくらべて遙かにありそうもない.

さらにこの問題と関連して,リー・スモーリンのマルチ宇宙間の自然淘汰のアイデアを紹介している.
娘宇宙(親宇宙の一部ブラックホールから生まれる)は物理定数のいくつかを親宇宙から”遺伝的に”受け継ぎ,より生存してより娘宇宙を生み出す物理定数の組み合わせを持つ宇宙がより増えるというものだ.これによるとブラックホールを持つためには星が生まれるような宇宙でなければならず,そういう宇宙が進化するのだ.


最期にドーキンスは,神の説明のほうがより単純な説明だと固執する神学者に反論している.ドーキンスのじれったさはよく伝わるが結局何が自明かと言うことはどこかで主観的な判断にしかならないのだろう.

たとえば神学者のリチャード・スインボーンは逆に同じ性質を持つ粒子がたくさんあること自体が不思議だとするところから出発しているらしい.彼にとってはすべての粒子がすべて独自であるほうがより説明が不要だというのだ.そして神こそが多くの粒子が同じ性質を持つことの説明だとする.

これに対してドーキンスは次のように返している.私から見るともっともな議論だが,ただ固執する神学者を説得できるかというとなかなか難しいのかもしれない.

しかしどうしてスインボーンは神がすべての粒子に常に干渉しているという姿のほうがより単純な説明だと思うのだろうか?彼は神はたったひとつでありそれだけですべての粒子の性質を説明できるのだと断言している.(だから一神教のほうがより単純な仮説となる)これは知的傲慢だと思う.すべての現象を説明できる単一要因が神であり,それがもっとも単純な仮説だということだ.

もちろんこの説明は単純ではあり得ない.神の内部が複雑でないということがあり得るだろうか?(さらにスインボーンの神は人の行動や感情にも干渉し,さらに人に苦難を与えるために祈りに選択的に答えないのだ!)この答えに賛同する他の神学者もいる.彼等は説明するということや単純ということががわかっていないのだ.


第4章 なぜこの世にはまず間違いなく神はいないのか



(4)人間原理:惑星バージョン


(5)人間原理:宇宙バージョン