読書中 「Moral Minds」 第2章 その3

Moral Minds: How Nature Designed Our Universal Sense of Right and Wrong

Moral Minds: How Nature Designed Our Universal Sense of Right and Wrong


第5節は狩猟採集民についての話から始まる.
ボームによる平等主義的な社会構造を下敷きにし,大きな獲物をどう配分するかという主題,配分の必要性と既得地位の保持の動機から,各文化で公平感の規則が生まれ,それは地域の生態やそれ以外の文化要素によって異なるのだろうと説明している.つぎに実験経済学者による,実験前に親密にコンタクトをとった場合にはより名声や罰が効くようになる結果が紹介されて,文化間で公平感の規則が異なることがまず強調される.


ここで,このような狩猟採集民の公平感とロールズの正義の関係はどうか?と問いかけが入る.


そして政治学者のフロリッチとオッペンハイマーが学生にさせた討論が紹介される.
彼等は無知のヴェールのもとで討論した結果,ロールズの原則と少し異なる結論に至ったという.ロールズのいうもっとも恵まれないものに最大に配分するということではなく.彼等は恵まれないメンバーには最低限保証を行い,それ以外は社会の生産性最大になるような配分を選択したのだ.

ここは最初に私がロールズの考えを知ったときの違和感とマッチする.なにやら現代日本の経済政策論争じみてくるが,多少の格差より全体のパイを大きくするという選択肢はそれほど非難されるべきものではないだろう.


では合意できればその通りに行動できるのかという問題に移る.
フロリッチとオッペンハイマーの実験によると,同じ上記の通り最低限保証を行い,それ以外は社会の生産性最大になるような配分を選択したとしても,それが討論の結果か,実験者からの押しつけかによって,結果は異なった.押しつけであった場合にのみただ乗り者が出現したのだそうだ.これは最低限保障を権利と誤解したのかもしれないと注意されているが,自分たちで議論の上選んだことが重要だと示唆している.


ここから得られる規則として次の言明がなされる.

選択の自由+どの原則を使うかの議論がなされたこと=その配分案は公平としての正義を持つ



ハウザーはロールズの考え方について,もともと自由原理と格差原理が対になっているののであり,政治的右翼は,誰かの所有する権利を奪うものだと格差原理を非難し,政治的左翼は結果平等に至らないと非難すると説明する.つまり,これが絶対的な正義だとはそもそも認められていないということをいいたいのだろうか.このあたりは私のリテラシー不足でよくわからないところだ.


ハウザーは「フロリッチとオッペンハイマーの実験が示しているのは,人々はもっとも恵まれない人が満足に暮らせるなら,それ以上の平等には関心を払わないと言うことだ.そしてグループの生産性が上昇するように配分することには誰も反対しないと言うことだ.これらの結果はヒトの配分についての無意識の原則と感情にかかる直感的なプロセスを示している.」とまとめているが,この辺のつながりはよくわからない.この章は難解だ.


ここでいきなり話はカーネマンとトヴェルスキーに飛ぶ.
人が利得と損失,その確率について異なるウェイトを置いているという有名な「プロスペクト」理論が登場.これは経済的な問題だけでなく,道徳的な問題についても同じ構造であると議論されている.また時間割引関数が指数的でない構造もやはり道徳判断で同じ現象が見られるという.
私には要するに経済判断と道徳判断について人は同じモジュールを使っているという話のように思われる.


次はやはり有名なフレーミング効果について.ハウザーによるとやはり道徳判断でもフレーミング効果が見られるという.そして例題が出される.次の例は公正かそうでないかを考えてみようという趣向だ.

  1. 金物屋春の嵐の時にシャベルを値上げする.
  2. 地主が,借家人が良い仕事について引っ越ししたくない状態にあるのを知り,家賃を値上げする
  3. カーディーラーが,ある車種について品薄の時に定価より値上げする.
  4. 業績のよくない雇用者が,損失を小さくするために,賃金を5%カットする.
  5. 地主が,2つの似たようなビルについて,片方は基礎に金がかかったので高く家賃を徴求する.

多くの人は×××○○だそうだ.私は○×○○○だった,うーん,シャベルの値上げがいけないことだとはあまり思えないが,私の判断バイアスは通常の人と違うらしい.多くの人は値上げするものが力があると,それは力の乱用になりやすくアンフェアで不正を感じるそうだ.原則は力の乱用を不正と感じ,その閾値は文化や学習によって異なるということらしい.


続いて喜びや痛みの主観的感覚が行動判断と結びつく傾向について.
14°の水に60秒手を浸し,その後1.手を引き上げて乾かす.2.引き続き水に浸したままだが15°に暖める.という実験を行って,被験者に次はどちらがましかを聞くと,2を選ぶという傾向.人々は総額が同じでも,報酬が増していく方を選ぶという観察事実だ.
これは痛みのピークと最後の経験によって不快感が測定されており,持続時間は問題にされていないことがわかる.やはりこの判断様式が道徳判断にも現れるらしい.


本節の議論の筋はわかりにくい.主に,ロールズの正義の詳細は実際の観察事実と微妙に異なるという話と,人は自分が議論に参加した基準についてより納得するという話,最後に社会心理学で観察される経済判断の「非合理性」は道徳判断でも示されるという話が並べて提示されている印象だ.


ハウザーは取引にかかる経済的な問題と道徳判断の関係を問題にしているのかもしれない.道徳判断を経済現象に当てはめるのは政策的に適当なのかどうかは,おそらく全体の経済合理性からは適当ではなく,総合的な政策論としては大変難しい判断になるということなのだろう.なかなか悩ましい部分だ.




第2章 すべてにとっての正義



(5)ネアンデルタールの財産