読書中 「Moral Minds」 第2章 その3

Moral Minds: How Nature Designed Our Universal Sense of Right and Wrong

Moral Minds: How Nature Designed Our Universal Sense of Right and Wrong



strong reciprocity (他人と協力する傾向と,自分でコスト(それが回収できる見込みがなくとも)を払ってもだましを罰しようとする傾向)は通文化的に見られるのか?

人類学者と心理学者と経済学者によって調査がなされているそうだ.それによると公平感の詳細は文化的に異なっているとハウザーは紹介している.

  • 非産業社会の小さな社会では最後通牒ゲームではオファーは15-50%でさまざまで,受取人は低いオファーを拒否しなかったり,拒否しても50-80%程度しか拒否しなかった.
  • パプアニューギニアの農耕民,アウ族やナウ族ではオファーは40%,(これは先進国並)それへの拒否は50-80%と先進国より高い.これらの文化では贈り物を受け取ることとそのお返しへのコミットメントの重要性が高いということが説明になる.望んでない贈り物は拒否しやすいのだ.
  • パラグアイの狩猟採集民アチェ族はオファーは40%より高く,低いオファーでも拒否しない.これは獲物を分け与える彼等の文化と適合的だ.ペルーの焼き畑農耕民マチグエンガ族は低いオファー(15%)でかつ拒否しない(拒否率10%).これは協力や交換のない彼等の文化にあっている.


これらの紹介はわかりにくい叙述のみでなされていて,読者としては非常に欲求不満におちいる.先進国のデータとあわせてグラフ(せめて表)で表示して欲しいところだ.逆に単純に比較できないデータ群なのでグラフ化することによる誤解を恐れたのだろうか?


このような結果からのハウザーの結論は,公平感;フェアネス」はユニバーサルで,おそらく文化による小さい頃の経験で調整される「分ける責任があるのか」,「拒否するオプションがあるのか」などのパラメーターセットを持つということだ.


この辺の解釈は難しいところだ.もちろん公平感の違いによって結果は異なってくるだろう.しかしこのゲームが実生活にどう関連するかという想像によってもこのゲームの結果は結構可変的であることが想像される.たとえば,また同じ人と会う可能性もあり,大学の心理学実験という抽象性もなければ,このゲームにより実生活に後々に貸し借りが生じてしまうリスクを被験者は重大に受け止めるだろう.自分自身でも都会の大学の教室でゲームに参加するのと,小さな集団で暮らしているときにその集団内の人とゲームをするのでは違うオファーをするかもしれないと思ってしまう.特に最後通牒ゲームでどうオファーするかは,公平感より,後々への影響のリスク評価の方が大きいのではないだろうか?


もちろんハウザーのいうような小さい頃からの文化的な刷り込みも大きいだろう.ペルーのデータはそういう意味で説得力がありそうだ.
ハウザーは交換のルールは文化によって差があり,経済理論は交換のユニバーサルな制限とパラメーターを前提に作られるべきだと主張している.


第2章 すべてにとっての正義


(4)ボンゴボンゴでも