「生き物たちは3/4が好き」


生き物たちは3/4が好き 多様な生物界を支配する単純な法則

生き物たちは3/4が好き 多様な生物界を支配する単純な法則


英国のサイエンスライター,ジョン・ホイットフィールドによる生態学の啓蒙書.原題は「In the Beat of a Heart」だが,特に動物の身体に対する代謝アロメトリー指数0.75の普遍性に焦点が当てられていて,邦題の「生き物たちは3/4が好き」というのもあながち的外れではない.私としては「これからの進化生態学」において生活史戦略の理解において非常に普遍的で基礎的な発見として紹介されていたので興味を引かれて本書も読んでみたものだ.丁寧な取材と基礎知識の深さが英国の科学啓蒙書の伝統を感じさせる作りになっている.


本書は大きく2つの部分からなっており,前半は上述した代謝アロメトリー指数を巡る学説史が中心,後半はそれに絡んだ様々なマクロ生態学の取り組みの紹介が中心になっている.


前半部分は,まずダーシー・トムソンの人生と学説の紹介から始まる.私も昔トムソンの名著「On the Growth and Form」の抄訳である「生物のかたち」をUP選書で読んだ口だが,そのときの印象通りの孤高の学者だったようだ.

そこから代謝効率と身体の大きさの謎を巡る物語に入っていく.動物は身体が大きくなると単位体重あたりの代謝効率が下がっていく.その関係がどうなっているのか.化学物質の体内と体外の交換が代謝だと考えれば,それは表面積に比例するはずで,体重は表面積に対して2/3乗で増えていくから,体重と代謝効率は2/3乗の関係にあるのではないかとまず考えられる.そして生物学者は涙ぐましい努力で動物の表面積を計測し,その関係が成り立つと結論する.しかしそれは誤りだったのだ.実は多くの生物群で体重と代謝効率にかかるアロメトリー指数は3/4に近いことが明らかになっていく.では何故そうなのか.それが明らかになるのはそれから20年かかることになる.ウェストによるその説明は単に表面積ではなく,身体の隅々にまで化学物質を運ぶ輸送系ネットワークの性質にかかるものだというものだ.そのようなネットワークはフラクタルな性質を持ち,それがもうひとつの次元を作り出してアロメトリー指数が2/3ではなく3/4になるというものだ.
このあたりは秘められた学説史的な味があってなかなか面白い.いかにもそれらしい学説が,多くの追試を乗り越えていくのだが,ついにそれが暴かれるという話は時々聞くところだ.ちょっと残念なのは,輸送系の工学的な設計がフラクタルな性質のために,アロメトリー指数3/4を示す部分の数学的な解説があまりはっきり書かれていなくてよくわからないところだ.一般向けの啓蒙書としては難しかったのかもしれないが是非チャレンジして欲しい部分だった.


後半は生態学周りの定量的な一般法則を巡る様々なトピックが集められている.最初は生物の寿命と代謝を巡る話題.しかしこれは鳥やコウモリの例外を考えれば,何らかの特定条件下でのみ現れる法則であり,一般法則というにはちょっと踏み込みすぎの記述のように思う.次は植生の大規模調査から現れた樹木の大きさと生息密度の関係.これを代謝から考察することができるという話題だ.これは最後にはマクロ的に釣り合いがあうはずなのでなかなか興味深い.
次は生態学における大きな問題,ある生態系における種数を決めるものは何か,何故熱帯の生態系は複雑なのかという話題だ.ここはまだ決着がついていない問題だが,様々な学者の様々なアプローチが紹介されており,面白い仕上がりになっている.著者はハッベルの中立生態学の取り組みのような個別にとらわれないマクロ的な見方を,個別の生物やニッチを見ていく考え方と対比するもの,興味深いものとして紹介しているが,このような取り組みはむしろほかに何も情報がないときのベース予測として意味があるものだろう.当然ながら生態系の理解には,マクロ的な見方と個別生物,個別ニッチの理解とあわせて考えることが重要だ.その中でベース予測をはっきりさせるのは,様々な考察を統合して取り組む際のベイズ法的な考えには親和的だと思われ,そのような基礎的な部分の紹介として大変興味深いものだと思われる.


本書全体としては生態系の中の大きな法則を探そうという努力について,学説史を織り込みながら,その興味深い進展を追いかける楽しい読み物に仕上がっている.著者としては,主流とは別の角度からの生物,生態系の理解の物語としてまとめたいようであるが,その部分はそれほどドラマティックに効果があるわけでもない.むしろ非常に基礎的な理解に向けての研究物語として語った方が良かったのではないかという気もする.
また実際にそれらの取り組みが生態学全体の中でどのような位置を占めているかについてはそれほど説明がなく,全体像はわかりにくいかもしれない.「これからの進化生態学」のような本とあわせて読むとより楽しめるだろう.



関連書籍


生物のかたち (UP選書 (121))

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ダーシー・トムソンの名著


これからの進化生態学 ―生態学と進化学の融合―

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生活史戦略の解説においてこの代謝アロメトリー法則が非常に普遍的な原則だと紹介している.
私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090517



In the Beat of a Heart: Life, Energy, and the Unity of Nature

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原書