「Spent」第7章 誇示的無駄遣い,精密性,名声 その2

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior


ミラーは前節で,消費者が何かを見せびらかす際には,その信頼性を保つためにコストが必要なこと.そのコストは大きく言って「誇示的無駄」「誇示的精密性」「誇示的名声」などに分類できることを説明した.


ミラーはここで,様々な立場がこれらについて異なる倫理的スタンスをとっていることについても触れている.なかなかシニカルで面白い.

  • 社会主義者環境主義者は誇示的消費の無駄を問題にする.それは富者の都合でリソースや環境を貧乏人から取り上げるからだ.環境主義者にとってはiPod nanoよりハマーH1の方がはるかに悪役になる.
  • 貴族主義者は,消費者主義から逃れられない点では成り上がり者と同じだが,無駄より精密さと名声を好むところが異なる.
  • サイエントロジーのレベル8になるために大金を払う信者は自分たちは,高額な時計を買うビバリーヒルズの金持ちより精神的に優れていると思っているだろう.でも両者とも名声信号を追っているのだ.


ではそれぞれの内側のレトリックはどうなっているだろうか.ミラーは順番に裁いていく.



<誇示的無駄>

これはわかりやすい.要するに無駄なものがコストなのだ.生物学的にいうと,生物の無駄は要するに繁殖に回せる以上のリソースを得てそれを捨てているということだ.そのリソースをため込むより信号に回した方が得になるからそうしている.
金持ちが宴会にかけるコストをエナジー換算すると狩猟採集社会では考えられないようなエナジーの無駄を行っていることがわかる.貧乏人にこの真似はできない.
ウェブレンは「有閑階級の理論」で誇示的消費の無駄を皮肉り長口舌をふるったが,何故それがこんなにも攻撃的に感じられるのかは説明しなかった.のちに「ヒトは道具作りを通じて効率的なものへの美的感覚があるからだ」と書いている.ウェブレンは正しいエンジニアリングの世界を夢見ていたのだ.


では正しいエンジニアリングの世界は美しいのか?ミラーにいわせるとエンジニアリングの効率性への好みは「精密性」と関連している.



<誇示的精密性>

ミラーは,実際にはウェブレンの夢はおおむね20世紀のモダニズムミニマリズム,技術フェチシズムによってかなええられたと解説している.これらはヴィクトリア朝の過剰装飾を追いやった.富裕層は引き続き高い家具を買うが,それはロココ様式のゴージャスな飾りのためではなく,デザイナーが新奇なアイデアを考えるために多大な時間を費やすことにより高いのだ.


ミラーはこれの好ましい点も上げている.
デザイナーはより創造的なデザインを考えることができるようになったし,グロテスクな金ぴか時代の乱費を最小化した.小さいことは良いことだという動きにもなったし,より小さいもののエンジニアに光が当たった.消費者はスマートで信頼できる商品を入手できるようになった.


しかしその基本的な理屈がコストである限り,精密性もやはりランナウェイ的にばかげたものになり得るのだと指摘している.
本来最適なデザインはすぐに見つかるだろう.そしてそれが伝わっていくなら,誰も新製品を買わなくなってしまう.これは1950年代のビジネスマンの悪夢だった.そしてそれは,計画的に忘れ去られることや偽の進歩という方法で解決された.ミラーはそれをよく示す本としてヴァンス・パッカードの一連の本を上げている.私はちゃんと読んだことはないが,「人間操作の時代」(1977)「浪費をつくり出す人々」(1960)あたりのことだろう.


ミラーは家電製品や自動車には次々の最新の新機能が搭載されることも取り上げている.例としては自動車についてエアコン,パワーウィンドウ,パワステ,クルーズコントロール,3点式シートベルトなどを上げ,マイナーな新技術や偽技術と呼んでいる.
ここでLPプレーヤーからiPodまでどれだけ買い換えただろうとか,携帯電話は成人男性にとって小さくなりすぎているなどとこぼしているのは面白い.


しかしこれらは「誇示的精密性」の例としてはあまりいいものでなく,あまり説得力のある議論にはなっていないように思う.このような新技術で自動車は確かに快適でより安全になっているし,LPプレーヤーよりはiPodの方がはるかにいい.(CDになったときにスクラッチノイズやワウフラッターから解放されてどれだけうれしかったか)そして自動車のシグナル性はブランドや動力性能や内装によるところが大きいのではないだろうか.マイナー技術や偽技術というならマイナスイオンだとか,ファジー家電などの方が例として適切だろう.

私が「馬鹿げた誇示的精密性」の例をあげるとするなら,現代の機械式の高級時計が頭に浮かぶ.クオーツや電波時計が安価で利用できる現在,(そしてほとんどの場合携帯電話があれば腕時計自体不要になりつつある現在)これらはまさに馬鹿げた精密性と呼ぶべきものだろう.


ミラーはまた「この非物質化は幻想でもある,結局私達は製品自体の大きさから,そのエンジニアリングや製造の能力に視点を移しているだけだ.精密機械を作るにはしばしばものすごい装置が必要なのだ」とも指摘している.



<誇示的名声>

この場合信頼性はマーケティングとブランドの上にある.それは消費者とそれを観察する人の頭の中にあるのだ.そしてそれは感覚を通じてしか操作できない.
ミラーはコカコーラのブランド価値は2006年のレポートで670億ドルと試算されているが,これは人々がブランドに払うプレミアムの価値であり,この会社が毎年20億ドル広告宣伝費をかけて築いたものだと指摘している.本来誇示的名声のコストは,偽造に対する制裁のはずだが,ここでのコストはこの広告宣伝費といっているようにも読め,ちょっとわかりにくい.


ここでミラーはちょっと面白い指摘をしている.このブランド価値は,ブランド品の購入層だけでなく,彼等が見せびらかす相手の人々にも理解されている必要がある.だから高級ブランドはVogueに広告を載せ,そのモデルは高い地位にいる女性のように装い,こちらを見下したような顔をしているのだそうだ.


ミラーはさらに誇示的名声は信号原則からは効率的だし,それは情報と広告に頼っているから環境負荷が小さく,そしてディスプレーしたいものはきちんと押さえていると付け加えている.信頼性のためのコストはどうやっても無駄なのだから,広告宣伝で人々にイメージを植え付ける方がいっそすっきりしているというところか.



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