「Spent」第8章 自己ブランドの身体,自己マーケティングの心 その1

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior


さて,ここまでに消費者中心主義と信号理論の関係を議論してきたミラーは,一転して実際の人々が何を伝えたがっているかというところに話を移す.


基本的に伝えたいのは自分の適応度が高い(だから配偶者として魅力があるし,互恵的な関係を築く相手としても優れている)ということだ
当然ながら最初のディスプレーは自分自身の身体ということになる.誰もが人を外観で(ある程度)判断している.


ミラーはこういっている.

ちょうどクジャクの尾やライオンのたてがみのようにヒトの髪の毛は独特だ.宝石のような瞳と強膜,表情豊かな顔,裏返った唇,毛のないすべすべの肌,器用な手もそうだ.
ダーウィンが気づいたようにこれらはみな性淘汰の産物だ.そして性特異的な広告がある.男性の大きな顎,上半身の筋肉量,ペニス,女性の胸と尻とくびれたウェスト.これらは配偶マーケットに出てくる思春期に現れる.また性的に興奮すると強調されるものもある.


本当にヒトの身体の様々な特徴は性淘汰形質なのだろうか.90年代に性淘汰についての理解が進むまではおそらく多くの生物学者はそうは考えていなかっただろう.ダーウィンのヒトについての性淘汰説は人種差を説明しようとしたものだが,(人種という政治的に危ないテーマだということもあるだろうが)多くの生物学者はそれについてはあまり真剣に取り上げていなかった.あるいは(ニュートン錬金術のように)ダーウィンがそんな風変わりなことをいわなければよかったのにという気持ちから触れないようにしていたということかもしれない.しかし性淘汰および信号理論についての理解とともに,過去15年間進化心理学者はこれらの身体的特徴が適応度インディケーターであることを主張し,さまざまに検証してきた.

これらは明白で,セクシーで,コストがかかり,複雑で,フェイクしにくい.それらは男性向け視覚ポルノ,女性向けロマンス小説の焦点だ.これらは老齢になったり健康が損なわれると縮小ししなびてくる.これらは基本的な身体に現れる適応度インディケーターであり,身体的な適応度を表している.
これらは適応度についての信頼できるインディケーターだ.とても魅力的な映画スターの身体的適応度はあなたの高校のクラスの上位20%と同じぐらいだ.この身体的魅力の反対側は,不完全な身体に対する嫌悪感だ.私達が美容製品を買うときには何らかの欠陥を隠そうとしていることが多い.
このようなインディケーターはあまりに明白だが,一皮むいたあとの内臓や筋肉の善し悪しは見てもわからない.臓器市場(違法市場でも,医学学校向けの市場でも)では生前の魅力は考慮されない.
実際のヒトの身体はみな非常によく似ていて,私達はわずかな差について騒ぎ立てているのだ.


さてこのような身体ディスプレーが消費者中心主義を組み合わさるとどうなるのか.ミラーはトライアスロンを例に引いている.

1970年代にジョギングの流行があった後,ランナーはマラソンのタイムを競い始めた.

しかし適応度信号の視点からはマラソンには問題がある.それはあまりにも簡単すぎる.結局半年ほど訓練すれば15歳から55歳までなら誰でも完走できるのだ.しかしレースに勝つのはプロでなければ不可能だ.さらにマラソンはあまり魅力的な身体を作るわけではない.上半身の筋肉や,胸や尻の脂肪は落ちてしまう.さらにあまり金もかからない.

もっと完走が難しく,魅力的な身体を作り,金がかかる別のスポーツが必要なのだ.そして1977年にトライアスロンが発明された.
水泳があるので上半身の筋肉や脂肪が必要になる.そして自転車やウェットスーツに金がかかる.(トライアスロンは狩猟採集時代のハンターに必要とされる運動に近いのだろう)そしてトライアスロンはマラソンよりより名声確立手段として愛されるようになった.


つまり見せびらかそうとするならマラソンよりトライアスロンの方が何かと効率的だということだろう.確かに趣味の高額のガジェットはなかなか得難い魅力がある.ゴルファーが道具に凝り,バードウォッチャーがスワロフスキーの双眼鏡に釘付けになるのには,その機能を越えたしかるべき理由があるというわけだ.