「Mind of the Raven」

Mind of the Raven: Investigations and Adventures with Wolf-Birds (P.S.)

Mind of the Raven: Investigations and Adventures with Wolf-Birds (P.S.)


本書はベルンド・ハインリッチによる「ワタリガラスの謎」の続編とでもいうべきもので,ワタリガラスの様々な行動生態と認知能力についての本である.ハインリッチは「ワタリガラスの謎」において,「なぜワタリガラスは,時に餌を見つけると大声でわめき立てて他個体を呼び寄せ,共同採餌するのか」(それは一見利他的行為に見える)という謎に取り組んだが,その際にワタリガラスを捕らえて個体識別して飼育するという手法を採用している.その経験を通してワタリガラスの魅力に取り憑かれたハインリッチはこの動物をさらに研究することになる.


まずハインリッチはワタリガラスのヒナを捕ってきて育てるところから話を始めている.これがいかに大変な作業かが延々と語られた後,ヒトとの間に絆が生じることを扱っている.この場合の絆は,ワタリガラスが,感情とムードを持つように感じられ,ヒトとコミュニケートできるところがポイントだ.


そこからハインリッチは様々なワタリガラスの不思議な行動特性を語り始める.

  • ヒナから育てるとヒトに対して刷り込みが生じるが,(ハイイロガンのような)配偶相手種としての性的な刷り込みはない.
  • ヒナのうちには極めて好奇心が強い(目新しいものは必ずチェックして食べられるかどうかを学習する)のに,成鳥になると新しいものを極度に恐れるようになる.
  • 鳴鳥類としては例外的に雑食性で,地域によって餌とするものは様々.
  • 巣立ち後は広く分散する.若鳥の群れは社会的に確立されたグループとなっているわけではない.
  • 配偶ペアはなわばりを持ち,その広さは餌の豊富さに依存する.生態的には他のカラスよりもワシタカ類に近い.ペアの絆は強固で生涯続きうるが,EPCもある.
  • 鳥小屋で複数羽飼育するとオス内,メス内で順位制を作る.順位は入れ替わることがある.
  • 一旦成立したペアは順位が変わっても不変.
  • 明らかに同種個体間で個体識別をしている,優位個体は劣位個体の邪魔をし,また友人と敵を作る.優位オスとペアになったメスはいじめられなくなる.
  • 集団によりカモメを襲ったり,リスを狩ったりする.タカなどを襲って獲物を横取りすることもある.ただし集団で大型動物を狙うことはない.(そもそもクチバシは猛禽類と異なって哺乳類の皮膚を切り裂くようにできていない)
  • 育児中にヒナを加えても受け入れる.卵も識別しない.(托卵されないので適応が生じていないらしい)
  • 哺乳類の死体の肉は冬期の主要な餌だが,死体を極度に恐れる.毛や羽根のある物体への恐怖は生得的.
  • 猛禽類やコヨーテが餌を食べている横でそのおこぼれを狙うことがしばしば観察される.
  • 音と状況を結びつけることができるようだ.
  • ねぐらは若鳥の情報センターとして機能している.


ここからハインリッチはまずワタリガラスの生態について1つの仮説を提出している.それは「ワタリガラスは大型補食動物との共生環境で進化してきた.特にオオカミとの関係が深く,オオカミに付き従って,(時に獲物のありかを教え)オオカミが倒した死体を食べるのに適応している.そしてここ数万年はヒトとも同じような共生関係を築いてきた」というものだ.これは腐肉食なのに死体を怖がり,むしろ死体に近寄る他の動物から奪おうとするワタリガラスの行動特性をよく説明するものだ.
ハインリッチは,オオカミとの関係を示す世界のワタリガラスにかかる神話を紹介し,また狩猟採集社会でのワタリガラスとヒトとの関係を見るためにカナダのイヌイットを訪ねている.そこはシロクマとイヌイットワタリガラスの土地であり,ワタリガラスがハンターの殺したアザラシのおこぼれで生きている様子が語られている.


後半部分はワタリガラスの認知能力について書かれている.動物に意識や知性があることを示すのは非常に難しい.確定的に検証するのは困難だがと前置きしつつ,ハインリッチはできる限りの観察や実験を行ってそれを語ってくれている.
飼育下のワタリガラスは餌を互いに隠したり見つけたりを繰り広げる.そしてそれが意識的な計算の結果だと思われるエピソードを数多く紹介している.(印象的なのは隠し場所について同種個体をだまそうとしているように見える行動だ)ハインリッチは,少なくともこれはこれまで観察された動物の行動の中でももっとも柔軟な行動の1つであり,マキアベリアン仮説にも符合するだろうとコメントしている.
また集団内のルールに反したものがいじめられるという状況と解釈できる事例(小屋のなかに入れられた劣位個体が,優位個体の隠しておいた餌を盗るという行動を繰り返した結果,集団全体に攻撃され,つつき殺された),集団防衛事例(モビングなど),遊びだと思われる事例も紹介している.


ハインリッチはさらに意識的な考察ではないかと思われる事例(パズルを解く,ドーナツを一度に2個運ぶ方法を発案する,脂肪の塊を切り分けるときに見せる行動など)も議論している.もちろんこれは偶然の結果を学習した行動でないと証明はできない.そこでハインリッチはまったく新規な状況を作って実験する.課題は「糸の先につけた餌をたぐり寄せて取る」というもので,様々な工夫したバージョンを組み合わせていてなかなか面白い.ハインリッチはこれが単なる学習ではなく洞察に基づいたものだと結論し,論文にまとめて投稿するが,5度もリジェクトを喰らったそうだ.(なお最終的には発表できたようだ*1)おそらく自分がワタリガラスに愛着を持って擬人化していると誤解されたのではないかと書かれているが,いかにも口惜しそうだ.
ハインリッチはこのようなワタリガラスの知能の高さは,ワタリガラスが高度に社会的な生態を持つことから,社会関係仮説とも整合的だろうとコメントし,さらにより良い選択をするには過去のフィードバックと将来の洞察が必要で,また他個体の動きを読んだり特定個体と絆を作るには価値を持つ方が有利であり,それは意識に結びつくのではないかと示唆している.このあたりは推測ベースだが,長年動物を観察してきたハインリッチの言葉には重みが感じられる.

ハインリッチは最後にヒナから育てたワタリガラスを野生に返した経験を語り,一緒に暮らした日々を振り返って本書を終えている.


というわけで本書は前書ほどスコープがしっかり絞れているわけではないが,ワタリガラスについてさらに詳しく語られた本に仕上がっている.苦労話に混じってワタリガラスの行動生態が次々と語られる部分は読んでいて大変楽しい.オオカミとの共進化仮説も説得力があって面白い.認知能力の部分はなかなかハードサイエンスにはなりにくい部分だが,ハインリッチの実験はその限界の中で工夫が効いていて結果とあわせて興味深い.日本にワタリガラスが(冬期の北海道をのぞいて)分布せず,身近に観察できないのが本当に残念に感じられる本だ.


関連書籍


前作

ワタリガラスの謎

ワタリガラスの謎

私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090310


同原書

Ravens in Winter (Vintage)

Ravens in Winter (Vintage)


私が昔出会ったワタリガラスの写真も再掲しておこう

*1:an experimental investigation of insight in common ravens /Corrus corax/. /The Auk/ 112: 994-1003 (1995)