Nowak , Tarnita, E. O. Wilsonによる「The evolution of eusociality」 その14


Nowak MA, CE Tarnita, EO Wilson (2010). The evolution of eusociality. Nature 466: 1057-1062.


<Hamilton's rule almost never holds>
Supplementary Information,Part A "Natural selection versus kin selection"


Nowakたちは空間構造モデルにおいて「ハミルトン則はまず成り立たない」と痛烈に批判しているが,それはペイオフと適応度成分の関係についてのGrafenの指摘を完全に無視しているだけだというところまで見た.


Nowakたちは,ここで,さらにGardner, West, Taylor, Frankたち包括適応度理論家のスタンスを批判している.

  • Gardner et al. (2007)はTaylorやFrankを引用しつつ「まず集団遺伝学的なモデルやゲーム理論などを使って進化条件を出してから包括適応度でその解釈を考える」事を勧めている.前段には大賛成だが,後段は駄目だ.結果を人工的に作り上げたハミルトン則もどきで解釈しても何ら得られるものはないだろう.
  • 人工的といっているのはGardner et al. (2007)はハミルトン則の「c: コスト」「b: ベネフィット」を,統計的手法で「C: 実効コスト」「B: 実効ベネフィット」に構築し,ハミルトン則を修正しようとしていることを指している.そのような統計的手法は不要なだけでなく純粋な数理的モデルの分析の中でも "out of place" だ.それは常に成立するわけでもないし,B, Cはb, cだけでなくRの関数にもなっていて非常にわかりにくい.それは効果を分離する上で複雑で,何の洞察ももたらさないだろう.


これだけではNowakたちが何を言っているのか(特に後段について)必ずしも明らかではない.ということで原論文にも当たってみた.


Gardner A, West SA and Barton NH (2007). The relation between multilocus population genetics and social evolution theory. Am Nat 169, 207-226.


これは基本的にはマルチ遺伝子座の集団遺伝学モデルを解説した大部の論文で,その中で包括適応度理論との関連が説明されている.論文の中心になっているのは,連鎖不平衡をどう取り込むかということで,擬平衡という概念を使っていくつかの取り扱いを可能にしたと主張されている.そしてそうやって定式化すると,連鎖によって遺伝子座間に関連が生じた場合も包括適応度の拡張として理解できると最後にコメントがある.
マルチ遺伝子座の集団遺伝学モデルはなかなか複雑な作りだが,とりあえずこのNowakたちの批判とは関連がない.Nowakたちが統計的手法による人工的な「実効コスト」,「実効ベネフィット」概念と呼んでいるものについては「社会進化理論: Social Evolution Theoryの基礎」という章に現れる.


ここでGadnerたちはまず「社会進化理論」とは何か(それは行為者と受け手にそれぞれ利得が発生するような相互作用がある行動の進化を考える理論フレーム)を説明し,続いてそれにかかるプライス則と包括適応度を組み合わせたハミルトンの1970年のモデルと1975年のモデル(ここでは前者を近隣調節適応度アプローチ,後者を淘汰レベルアプローチと呼んでいる)を紹介し,それが数理的に等価であることを説明している.なおNowakたちも後で包括適応度理論とマルチレベル淘汰理論が等価かどうかを議論しているので,ここでGardnerたちの定式化を紹介しておこう.いずれもプライスの共分散方程式からの派生形となっている.


1970年のモデル
 \Delta \bar{z}=Cov(w_{ij}/\bar{w},z_{ij})


1975年のモデル
 \Delta \bar{z}=Cov_{I}(w_{ij}/\bar{w},z_{i})+E_{I}[Cov_{J}(w_{ij}/\bar{w},z_{ij}|i)]



そこまで整理した後でGardnerたちはハミルトン則の解説を行っている.
そしてここで何が解説されているかというとプライス則からハミルトン則を導出するという説明だ.


まずプライス則の共分散になっているところを回帰係数と分散の積という形を使って表す.(ここではマルチ遺伝子座の集団遺伝学モデルとの対比になっているのでzは行為者の育種価(breeding value)を表している.)


\Delta\bar{z}=Cov\left(w/\bar{w},z\right)=\beta_{w/\bar{w},z}\sigma^{2}_{z}


問題の性質が進化するにはこれが正になればいいわけだから,(問題の形質に分散がある限り)右辺の回帰係数が正になればよい.
ここで,相互作用の相手方の平均育種価を\hat{z}とおき,問題のw/\bar{w}からzへの回帰係数を,偏回帰を使って分割する.


\beta_{w/\bar{w},z}=(1/\bar{w})\cdot(\beta_{w,z\cdot \hat{z}}+\beta_{w,\hat{z}\cdot z}\beta_{\hat{z},z})


すると問題の形質が進化する条件は以下のようになる.
\beta_{w,z\cdot \hat{z}}+\beta_{w,\hat{z}\cdot z}\beta_{\hat{z},z}>0


ここでまず\beta_{\hat{z},z}=\frac{Cov(z,\hat{z})}{V_{z}}なのでこれは血縁度の定義と一致する.(これは私が「その7」で示した共分散形式の血縁度定義だ.これが本論文で使われている血縁度と一致することはハミルトンの1980年の論文などで示されている)


Gardnerたちは,すると先ほどの条件を以下のように置き換えると BR>C となりハミルトン則を導けるとしている.


\beta_{w,z\cdot \hat{z}}=-C


\beta_{w,\hat{z}\cdot z}=B


Nowakたちは上記の式を指して,人工的に構築された「実効コスト」「実効ベネフィット」と呼んでいるようだ.そして最初に上げた2点の批判のうち後段で,「これはコストやベネフィットだけでなく血縁度の関数になっている」と批判している.


しかしこのNowakたちのこの批判は正当なものだとは思えない.
確かに偏回帰係数というのはいかにもテクニカルな定義だが,これはプライスの共分散方程式を出発点にして包括適応度理論を記述したものに過ぎず,何かを修正しているわけではない.そして相加性が前提の世界でこの偏回帰係数が何を意味しているかというと,-Cで示されているものは,「受益者の育種価」を固定したときの「行為者の育種価」から適応度への回帰係数だ.これは要するにある行為の相互作用の影響のうち行為者経由で適応度に効く成分を意味している.つまり行為者が被るコストがどれだけ繁殖成功にマイナスになって現れるかという意味だ.そしてBの方は受益者経由の成分ということになる.経路ごとに適応度影響を切り分けているということだ.図示するとこういう形になる.


何故このように記述しているかというと,こういう形にすると適応度の変化について,経路ごとの偏微分方程式の形にできるため,適応度最大化の平衡解を偏微分方程式を解く形で処理できるということにつながるためだ.まず適応度を育種価で微分したものを経路ごとに偏微分に直すとこういう形式になる.


\frac{dw}{dz}=\frac{\partial w}{\partial z}+\frac{\partial w}{\partial \hat{z}}\frac{d\hat{z}}{dz}=\frac{\partial w}{\partial z}+\frac{\partial w}{\partial \hat{z}}R


これがzの平衡点z*で0になればいいから偏微分方程式は以下のようになる.


\left(\frac{\partial w}{\partial z}+\frac{\partial w}{\partial \hat{z}}R\right)|_{z=\hat{z}=\bar{z}=z*}=0


これは包括適応度理論を用いた非常に有用な解析手法だと思われるが,Nowakたちはこのような解析が自分たちの「標準自然淘汰理論」で可能なのかどうかについてコメントしていない.(基本的に等価なところがある理論だから不可能ではないと思うが,直感的に分かりやすく導出するのは難しいだろう)



結局私の理解ではこの定義は,「コストとかベネフィットという形でハミルトン則で取り扱われるものは,適応度への影響として定義されなければならない」ということをはっきりさせているもので,特に何かを修正したわけではない.だから血縁度の関数にはならない.そして実務家にとって抽象的で意味がとれないかというと決してそんなものではなく,行為者の繁殖成功,受益者の繁殖成功を考えればいいだけだ.


Nowakたちの一次元円環モデルでいうならこのB,Cはゲームのペイオフのb,cの関数になっているだけで(具体的には相手ごとにb/4, c/2などになっている)血縁度の関数にはなっていない.結局NowakたちはここでもGrafenの指摘「ハミルトン則を使うには単なるゲームのペイオフとそれが適応度に与える影響をきちんと区別しなければならない」を無視しているということになるだろう.だから私の評価ではこの指摘は明らかに見当違いの批判だということになる.


では前段の批判はどうだろうか.Gardnerたちの原文を見てみよう.これは論文の最後のリマークだ.

However, a crucial point here is that the generality of Hamilton’s rule is possible only because of the subtlety of its component terms, in which potentially complicated details are implicit. The same caveat applies to Price’s theorem, from which Hamilton’s rule has been derived. This means that Hamilton’s rule and Price’s theorem should generally be used in the interpretation of theory and not as the starting points in the analysis of specific problems, because this can easily lead to mistakes (Price 1970, 1972; Taylor and Frank 1996; Frank 1998; Pen and Weissing 2000; Gardner and West 2004c). The most powerful and simple approach to social evolutionary problems is to start with a method such as population genetics (including the multilocus approach), game theory, or direct-fitness max- imization techniques. The results of these analyses can then be interpreted within the frameworks that Price’s theorem and Hamilton’s rule provide. The correct use of these powerful theorems is to translate the results of such disparate analyses, conducted with a variety of methodologies and looking at very different problems, into the common language of social evolution theory.


要するに「ハミルトン則やプライス則はなかなか難しくて間違えやすいから気をつけてね」「(よくわかっていない人は)まず集団遺伝学モデルなどを使って結果を出してから,その結果を解釈するのにハミルトン則を使う方が無難だよ」というアドバイスを行っているということだと思われる.
この論文の議論に関していえば,集団遺伝学モデルなどで出た結果をハミルトン則で再解釈することによって何か新しい洞察が得られるかどうかがNowakたちの批判を正当化するかどうかの分かれ目だろう.
そして包括適応度理論に照らして解釈すると,なぜある遺伝子の頻度が増加するのかが,個体間の遺伝子頻度の関連(血縁度)によるものなのか,それとも遺伝子が直接適応度に与える影響によるものなのかを考えることができるという意味で有益な洞察が得られるのではないかというのが私の印象だ.(ちょうど一次元円環モデルで「社会的関係度」を巡るやりとりのように)
だからNowakたちのこの部分への批判はあまり的を射ているようには思えない.少なくとも再解釈をやってみて何かいけないことがあるだろうか?


(もっともこの文章をもう一度よく読むと,Nowakたちの反発の感情も少しわかるような気もする.何しろいわゆる「上から目線」だ.要するに「僕たちは英国のオクスフォードで洗練された数理手法に通暁しているからいいんだけど,よくわかっていない君たちは地道に計算してから使わないと間違っちゃうからね」とでもいわんばかりなのだ.
反発したい気持ちはわかるとしても,理論的に反論するならもう少し誠実にすべきだろう.無視するのではなく,まずGrafenの議論を要約してから反論すべきではないか.この部分のNowakたちの批判は,ややずれた理解の上で,単に「何の洞察ももたらさない」と言い張っているだけで,あまり筋のいい物ではないように思われる.)



さらにNowakたちは章立てをかえて "Relatedness measurements alone are inconclusive" 「血縁度だけでは何も結論できない」という文章も付け加えている.
ここでは「実務家たちは血縁度さえわかれば利他行為が進化するかどうかわかると考えているようだがそうではない.集団動態なしでは何の洞察ももたらさない」と主張している.
これは何を言っているかというと,血縁度と(そしてゲームのペイオフ)だけでは一次元円環モデルのDBアプデートの場合とBDアプデートの場合の違いを説明できないだろうと言うことだ.


ここもこれまでの批判と基本的に同じだ.一次元円環モデルのDBアプデートの場合とBDアプデートの場合の違いはそれがどう適応度に効いているかによって生じるのだ.そしてそれは包括適応度理論を適用することによって明確になる.
NowakたちはやはりここでもGrafenが鮮やかに「それは包括適応度にかかる適応度成分の計算の問題だ」と解析して見せていることを無視している.だからこの部分も批判としてはずれたものでしかないように思う.



このNowakたちの批判が滑稽に見えるのは,それが自分の共著論文で見過ごされて「社会的関係度」なる怪しげな解釈をしてしまったことについてコメントせずに批判しているところだ.
そこまで踏まえるとこの部分でせいぜいNowakたちがいえることは「包括適応度理論を使うときには,血縁度の計算だけでなく,(モデルの前提によって)コストやベネフィットの計算にも注意を払わなくてはならない.ちょうど(ハーバードの教授である)自分たち(でさえ)も失敗してしまったように」と言うことぐらいではなかったか.


それにしてもこの部分全体における,強引な相手の主張の無視振り,すれ違い振りは強烈だ.私は何か見過ごしているのだろうか.それともこれはわざとやっていることで,論争にGrafenをひっぱりだすための罠なのだろうか?



この的外れのハミルトン則攻撃の後,Nowakたちはようやく「包括適応度理論の脆弱な前提」の議論に移る.




関連書籍


上記のGardnerたちの偏回帰係数による包括適応度の整理とそれにかかる偏微分方程式を用いた分析についてはこの本が詳しい.非常に明晰に書かれているのでお勧めである.

Foundations of Social Evolution (Monographs in Behavior & Ecology)

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