「Why everyone (else) is a hypocrite」 第2章 その1

Why Everyone (Else) Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind

Why Everyone (Else) Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind



第2章 進化と分断された脳


脳は何故そもそも汎用計算機ではなく,モジュールで構成されているのだろうか.進化心理学ではそれを自然淘汰による適応デザインとして説明することになる.そしてクツバンはこの章で機能を中心に考えると脳がモジュールから構成されていることが理解できるということを説明する.


まずクツバンの好きな本としてBraitenbergの「Vehicles」が紹介されている.これは純粋な思考実験として単純な車に次々と機能を付け加えていくものだ.
最初は熱を避けて走行するようにする.すると熱センサーとそれを避けるように走る仕組みが実装される.クツバンに言わせるとこれがひとつのモジュールということになる.つまりモジュールは「機能」から定義されるのだ.このような機能を付け加えると複数のモジュールが実装されるが,これらはちょうどコンピュータソフトのサブルーチンのようなものになり,互いに他のモジュールが何をしているかを知らないと説明される.*1


そして機能が増えるにつれて,複雑な行動ができるようになる.クツバンは,一見反直感的であるようだが,単純な機能をつみあげることにより柔軟に行動できるようになるのだと強調している.


次はモジュール同士のコンフリクトの説明だ.例えば熱をきらうモジュールと生命体を好むモジュールはコンフリクトを起こす.
クツバンはこれを解決するためにモジュール同士が直接連結している必要はないと説明する.例えば,両方のモジュールからの指令をモーターで足し算するということでもいい.また連結して協調して働く仕組みでもいいがこれは干渉しやすい.さらに片方が完全に優先する仕組みもでもいいが,これはモジュールが増えると仕組みを作るのが難しくなる.
つまりいろいろな解決方法があり,最終的に全体がどのような目的を持っているかによってどれが望ましい解決方法かは変わるということになる.


クツバンはここまで説明してから,一転し「進化心理学」について概説する.
まず面白そうな話題(モジュール性)で読者の興味をつないでからという順序だろう.進化心理学はリベラル志向の人からは食わず嫌いにされやすいのでということかもしれない.*2


進化心理学は,きちんとした普通の科学の一領域で,「心」は何らかの情報処理をしているもので,複雑な機能を持つものであるから自然淘汰以外の説明はあり得ないと考えるものだとまず主張している.

この「自然淘汰」による心という概念は,論争を呼ぶようなものではないにもかかわらず,誤解されやすいのだとして,特にフォダーの本「The Mind Doesn't Work That Way」をあげている.この題名はピンカーの「How The Mind Works」に対するものだということだ.*3


ここから誤解されやすい部分の解説が始まる.ここでは説明されていないが,おそらくフォダーの議論はこのあたりが混乱したものなのだろう.


<適応が過去の環境に対してなされているものであること>
だから新奇環境には適応していないこともあるが,過去環境への適応で得られた能力で新奇環境に対処できることもあるし,(ヒトの心に関して)過去とあまり環境が変わっていないこと(物理法則や,親や親戚を持ち,グループに属していることなど)も多いとコメントしている.


<適応の証拠>
基本的にはある機能に対してよく練られたデザインがその証拠になる.ここではコノハムシの擬態が例にとられて説明される.そしてそれは完全であることを要求しない,なぜならそれはエンジニアリングと同じでコストとのトレードオフがあるからだ.また特殊化による効率と機能の広さにもトレードオフがある.
特殊化と汎用性のエンジニアリング的トレードオフの例についてはトースターが説明の例に使われていて面白い.トースターはガスバーナーに比べてトーストを作る効率はよくなるが汎用性は失われるというわけだ.



ここから「心がモジュラーの集積であることが適応で説明できる」という議論になっていく.


脳の機能が情報処理であるとすると,エンジニアリング的には特殊化について情報システムのトレードオフを考えることになる.


まずクツバンがあげるのはプログラムの中のサブルーチンだ.
コンピュータサイエンスの世界では大きなプログラムを書くときにはサブルーチンに分割する方が良いことが知られている.問題をはっきりさせるほどコードが書きやすくなるのだ.これはソフトウェアエンジニアリングにおける基本原理となっている」と指摘している.
つまりクツバンは脳が様々な処理を必要とする情報システムで,自然淘汰の結果エンジニアリング的にうまくデザインされているなら当然モジュラー的になっているはずだという主張を行っていることになる.モジュラー性でない方が不自然なのであり,モジュラー性でないと主張する方に挙証責任があるだろうというわけだ.


クツバンはさらにコンピュータ言語についても同じような議論ができると補足している.コンピュータ言語には特殊ドメイン言語と一般目的プログラミング言語(C,Javaなど)があり,特定の問題を解決するのに明晰な言語があり,その様な問題が繰り返し現れるなら,その様な特殊ドメイン言語を使う方が有益だとされていて,実際に,かつては優秀な一般言語が一つあればいいと考えられていたが,現在ではプログラマーはいくつかの言語を使い分けるのが普通だそうだ.また分かりやすい例としてiPhoneをあげている.数多くのアプリがそれぞれのモジュールというわけだ.*4


これらは繰り返し現れる特殊な問題が複数あるような状況ではそれぞれに特殊化したモジュールを用いることが効率的であり,自然淘汰がかかる場合には必然になるという一般原則だと説明したいようだ.


クツバンは,ここでモジュール性はいわば「エンジニアリング的必然」だが,それは何か馬鹿げた固定的な反応を意味しているのではないと注釈している.そのような誤解が多いのだと思われる.


次にクツバンは「特殊化したモジュールの集合体がエンジニアリング的に合理性があり,進化適応産物に当然予想される特徴だ」ということを「心」以外のもので具体的に示していく.


まず動物の身体自体がそうなっている.特定問題に特殊化した身体のパーツの例としてはフィンチの嘴があげられる.
次に行動.クモの巣の建築,ハチのダンス,アズマヤドリの東屋の飾り付け,オポッサムの死んだふりなどが特殊化の例としてあげられる.

そしてあるひとつの動物はこのような特殊化したパーツや行動パターンの集合体であるということだ.フィンチはクチバシのほか,様々な目的に特殊化した身体パーツの集合体なのだ.ヒトの身体も様々な臓器やパーツからなっている.


クツバンはヒトの心理でも「視覚」については特殊化した機能(例としてはエッジの検知があげられている)の集合体であることがはっきりしているとしている.視覚の認知科学史は,認知科学者は進化生物学をやっているつもりはなかったが,機能があると仮定して研究を進めたところ多くの特殊メカニズムを発見したことを示しているのだと指摘している.


このように考えるとヒトの心のほかの側面も特殊化したモジュールの集合体であることが期待される.しかし一部の論者は「配偶相手を見つける」「友達を選ぶ」「グループに加わる」目的のモジュールが心にあるということを頑強に認めようとしない.
これはモジュール性にかかる進化心理学の主張に対する論争があるということだ.ここからクツバンはこの議論を始める.



関連書籍


モジュールの説明に用いられたBraitenbergの「Vehicles」

Vehicles: Experiments in Synthetic Psychology (A Bradford Book)

Vehicles: Experiments in Synthetic Psychology (A Bradford Book)

*1:クツバンは「サブルーチン」としているが,どちらかというと「オブジェクト」とした方が「モジュール」には近くなるような気もする,もっとも一般読者には逆に難しい説明になってしまうので避けているのかもしれない.

*2:クツバンは,進化心理学は基本的に政治的にはニュートラルで,実際の進化心理学者は個人的にリベラルが多いにもかかわらず,(グールドたちのおかげで)リベラル派からウルトラ保守と誤解され攻撃される(さらに保守からは進化自体を攻撃される)ことについて,本書でもまた別のところでもしばしば不満をこぼしている.

*3:このあたりの言い回しにもリベラルからいろいろたたかれることについてのクツバンの不満が良く出ている.

*4:このあたりはコンピュータ言語に詳しい人から見ると突っ込みどころがあるのかもしれないが私にはよくわからないところだ.(何かお気づきの点があれば,お教えいただければ有り難い)