「Why everyone (else) is a hypocrite」 第2章 その2

Why Everyone (Else) Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind

Why Everyone (Else) Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind



第2章 進化と分断された脳


ここまでにクツバンは「繰り返し現れる特殊な問題が複数あるような状況ではそれぞれに特殊化したモジュールを用いることが効率的であり,自然淘汰がかかる場合には必然になる.」ということを説明し,そして「ヒトの心もそうなっている」という進化心理学の主張に批判があることをみてきた.


批判者は心が一般目的の計算機だと主張することになる.


クツバンはまず「一般目的」なる概念から攻撃する.
そもそも一般目的を持つものを想像することができるだろうかというこのクツバンの議論は面白い.確かに「一般目的マークシート用紙」「一般目的クレンザー」「一般目的レンズ」などがどんなものであるかを考えるとこの概念が意味のないものであることがわかる.どんなものも恐ろしく特殊な機能を持ってしまうのだ.
また逆に特殊な機能を持つものでも実に様々なことができることがあることも指摘している.(例にはGoogle検索があげられている)


心のモジュール性を否定する論者は「何でも学習できる」というようなことが念頭にあるらしい.例えば免疫システムは個別の病気に対するものではなく,何でも学習できるというような例を持ち出すそうだ.クツバンはこれについての個別例への特殊性と機能の特殊性を混同した議論だと批判している.免疫は非常に特殊化した機能を持っているのだ.クツバンはこうまとめている「有用なものは,そのタスクにあった形をしている.一般目的という概念はナンセンスなのだ.」


クツバンはさらに,特殊化の議論を行う.
機能を持つものは何らかの特殊化を伴い,トレードオフの上にある.
どこまで細分化してモジュールにするかは機能とコストのトレードオフにより決まる.だから多目的な道具は多モジュール性を持つか,トレードオフ上の妥協となって単一モジュールで多タスクをこなしているかのどちらかだ.そして脳が行っている極めて多くのかつじゅうようなタスクを考えると,脳はコストをかけたモジュールの集合体であるに違いないのだ.



ではこのような多くのモジュールはひとつの脳の中でどうつながっているのだろう.
クツバンはあるモジュールは別のモジュールにつながっているかもしれないが,つながっていないかもしれないと主張する.


クツバンはそう考えると第一章で議論した様々な事象が説明できるとする.確かに脳梁切断患者は本来つながっていたものが切られたのだ.そしてヒトは(脳梁切断患者でなくとも)(端から見て明らかな理由があるのに)自分の行動の理由を説明できないことがあることをつながっていない例としてあげている.


さらにクツバンはこのつながったりつながっていなかったりという配線の問題(これを情報のカプセル化の問題とする)について3つの立場を整理する.これは本書のこれからの説明の鍵になるものだ.


1.モジュール間は単につながっていたりつながっていなかったりする(それは偶然だ)
2.モジュール間の配線にはエンジニアリング的な理由がある.(コンピュータプログラムの場合には切断されている方がプログラム修正が容易になる)
3.さらに特定モジュールは単に切断されているだけでなく,時に間違った情報を持つ方がいい場合がある.


当然クツバンは3の立場に立って偽善を含む様々な問題を議論していくことになるのだろう.