「Did Darwin Write The Origin Backwards?」 第1章 「ダーウィンは『種の起源』を逆向きに書いたのか?」 その1

Did Darwin Write the Origin Backwards?: Philosophical Essays on Darwin's Theory (Prometheus Prize)

Did Darwin Write the Origin Backwards?: Philosophical Essays on Darwin's Theory (Prometheus Prize)


第1章 「Did Darwin Write The Origin Backwards?」


では本書第1章の「『種の起源』の議論の本質」を見てみよう.章題は本書全体の題と同じく「Did Darwin Write The Origin Backwards?」.ソーバーはダーウィンがいかにして「種の起源」における議論全体を組み立てたのかを考察している.つまり「種の起源」の読み方についてだ.これはダーウィンオタクを目指す私にとっては見逃せないところだ.

ソーバーはダーウィンの議論は次の2つの主張が合わさったものになっているとまず書いている.

  • 全生物は共通起源性をもつ
  • 進化の主要な機動力は自然淘汰だ.

そしてこの2つは論理的には別の議論であるが,ダーウィンの理論の中ではこの2つが結びついているとソーバーは指摘する*1ダーウィンの理論を理解するには,この2つの主張が「観察される証拠」といかに結びついているかについての理解が重要だというのがソーバーの見立てになる.そして,共通起源性に関する証拠がいかに自然淘汰と関連するか,自然淘汰に関する証拠がいかに共通起源性に関連するかがわかれば,本書の書名「ダーウィンは『種の起源』を逆向きに書いたのか」という疑問への答えがわかると主張する.


ここからソーバーの議論が組み立てられる.


自然淘汰
ソーバーは最初にダーウィン自然淘汰理論の特徴を6つ挙げる.一つ一つ細かく解説している*2が,特徴自体は以下の通りになる.

  1. それは意識的な選択ではない
  2. どの方向に進むかは環境に依存する
  3. 淘汰は「ランダムな」変異の上にかかる
  4. 淘汰の単位は「個体」だが,いくつかの例外がある(ハチの自殺的攻撃,ヒトの道徳)
  5. 漸進主義(ライエルの影響)
  6. 自然淘汰は進化の主要な要因だが,要因のすべてではない.


<共通起源性>
次にソーバーはダーウィンの共通起源性の主張も解説している.ダーウィンの具体的な主張についてはは種の起源の最終章の引用から整理している.基本的にこの主張は単純で以下のようになる.

  • 全生物は『1つかあるいはいくつかの共通起源』にさかのぼることができる.


ここでソーバーは「種の起源」出版当時の論争についてコメントしている.当初のよくある批判の一つは「種の壁は越えられない」というものだった.ソーバーはダーウィンがこれを越えられると確信したのは「自然淘汰」からではなく「性」(及びそれを示す証拠)だっただろうと指摘している.
確かに当時自然淘汰でどこまで行けるかについては家畜の変異ぐらいしか証拠がなかったので,共通起源性を示す証拠は重要だっただろう.



ダーウィンの原則>
ではダーウィンは何をもって共通起源性の証拠としたのだろうか?ソーバーは,ダーウィンは適応形質ではなく「不要器官」や「痕跡器官」を重視したと指摘し,以下の主張を「ダーウィンの原則」と名づけている.

適応的類似形質は共通起源性の証拠にはならない.しかし使い道のない形質や有害な形質の類似性は共通起源性の強い証拠になる.

ここでソーバーはいかにも統計の哲学者らしく,尤度を解説した後,以下のような式でダーウィンの原則を解説する.

P(共通の不要形質|共通起源仮説)/P(共通の不要形質|異なる祖先仮説)>>1
P(共通適応形質|共通起源仮説)/P(共通適応形質|異なる祖先仮説)≒1

要するに不要形質を用いるなら,尤度比をつかって共通不要形質が共通起源性仮説を支持する証拠だと主張することができるが,適応的形質を用いたなら尤度比はほぼいつも1近辺なので,その形質が共通していてもどちらの仮説も支持できないということだ.


これは現代的にいえば,共有派生形質を認めるために(それは相同形質でなければならないので)相同と相似をどう区別するかという問題に相当する.オーウェンは解剖学的な対応関係において「相同」を議論したが,ダーウィンはいかにもダーウィンらしく淘汰的な議論でそれを解決しようとしたということだろう.


ソーバーはこの原則には例外もあると指摘する.

  • まず「不要な形質」が浮動形質であった場合には,十分な時間が経過した後はこの尤度比はやはり1に近くなってしまう.
  • 同じく「不要な形質」が,別の何らかの適応的機能と相関がある場合にもこの尤度比は頼りにならない.
  • 逆に適応形質であっても,データが大量にある場合はそれらを統合することにより尤度比は1より十分大きくなれる.
  • 同じく適応形質であっても,収斂するためには適応地形のジャンプが必要である場合,偶然の初期条件に大きく依存したダイナミズム(頻度依存淘汰など)や制約がある場合にも尤度比は1より大きくなれる.

ここはかなり詳しく議論されている.なかなか哲学者らしく細かいところだ.そしてこの最後の議論が,現在,「遺伝子のタンパク質翻訳コードが,全生物でほぼユニバーサルであること」が,(そのコードに適応的意義があるのは明らかなのに)生物の性の大きな証拠とされる理由なのだと解説している.


ここまでが議論の要素の整理だ,ソーバーはいよいよダーウィンの議論の組立を吟味する.



 

*1:なおここで書名である「種の起源」については解決していないし,そもそも「種」というカテゴリー自体に対しても疑いを持っていたとコメントがある.確かにダーウィンは「種」について本質的な定義ができない概念だとしているが,種の起源自体は自然淘汰による分岐的な進化によって説明できると考えていたのではないかというのが私の感想だ.哲学者としては『種』概念に疑問を持つ(あるいは定義しない)立場に立ったままその起源問題を解決できるはずがないということなのだろう

*2:例えば最後の自然淘汰が進化の「主要な要因」(main cause)というときにそれがどんな意味であり得るかについて細かく議論していたりしていかにも哲学者らしい