「The Sense of Style」第6章収録の各論について その5 

The Sense of Style: The Thinking Person’s Guide to Writing in the 21st Century

The Sense of Style: The Thinking Person’s Guide to Writing in the 21st Century


ピンカーの「The Sense of Style」第6章各論の最後は句読法だ.これもなかなか面白い.


<句読法:punctuation>


カンマなどによる区切りは難しい.それは書かれた文章における句読法は,韻律と統語法の両方の役割を持たされているからだ.そしてそれは百年以上にわたる混乱のあとも少ししか整理されずに混乱のまま残り,現在でも大西洋の両側で大きく異なり,出版物ごとにも異なっている.そして流行としか言えないものもある.とはいえいくつかの誤りは明白だ,


カンマの打ち方

  • カンマには2つの大きな役割がある.そのうちの1つは区切りを示すことにある.このなかには「括弧内に入るべき付加的なコメントを区切って示す」「韻律のうち発声の区切りを示す」の両方が含まれる.
  • 「括弧内に入るべき付加的なコメント」には時間,場所,態様,目的,結果,重要性,書き手の意見などのリマークが含まれる.
  • この最もわかりやすい例は関係代名詞の非制限用法だ.ただし「制限用法:restrictive」「非制限用法:nonrestrictive」という名前は誤解の元だ.制限用法の関係代名詞は常に何かを制限しているわけではない.それは文の真偽を決めるために必要な情報を特定しているものだ.これがカンマをつけるかどうかを判定するいい方法になる.(ピンカーはこの非制限用法のカンマは「oh, and by the way」を意味すると解説している)
  • ここまでの話は単純だ.しかしでは何故学生のペーパーのすべての言語的な誤りの1/4をカンマがしめるのだろうか.それはカンマが統語論的な区切りだけでなく意味論的な区切りにも,さらに発声の区切りを示すのにも使われるからだ.これらの位置は必ずしも一致しない.さらにカンマが短い間隔で連続するとぎこちなくなる.特にカンマから文末までが短い場合には省略する方が自然になる.
  • さらに歴史的には,割と最近までカンマの使用はこの中の「発声の区切り用法」こそが主な役割だとされていた.著名な書き手は主に息継ぎが自然だと思うところにカンマを振っていた.
  • だから統語的意味的発声的な区切りに必ずカンマが入るわけではない.どちらでも良い場合がある.
  • とはいえ厳格なルールもある.まず「括弧内に入るべき付加的なコメントを区切って示す」カンマは省略されることがあるが,逆は許されない,一体化された句の中にカンマを入れてはならない.
  • また「『括弧内に入るべき付加的なコメント』が文中にあるときには,その前だけでなくその後にもカンマを打たなければならない」「2つの完全に独立した文をカンマでつないではならない」というルールもある.
  • このようにカンマのルールは,異なる2つの原則が支配しかつ複雑なので,カンマの打ち過ぎ,打つべきところに打たないというエラーが目につくことになる.
  • そしてカンマの打ち間違いは,文の多義性を創り出し,それが容易に避けられることがわかるために読者を非常に怒らせてしまう.


2つの関連する文があることを示すにはどうすればいいか

  • このためにカンマでもピリオドでもない句読点が用意されている.
  • まず2つの文が内容的に独立であるならピリオドで区切り,次の文頭は大文字にする.
  • 次に2つの文が概念的に関連しているが,書き手としてはその関連性が何かについてピンポイントで示したくない場合にはセミコロンが使える(セミコロンはどんな関連性についても使える).関連性がより詳細を示したり例示であるならコロンを使う.二番目の文がこれまでの議論を意識的に遮るものや読者に注意喚起するものならダッシュを使うことができる.
  • 関連性を接続詞で明示するならカンマがふさわしい.(and or but yet so nor although except if because forなどでつなぐ場合)但し,これらを文を修飾する副詞(however nonetheless consequently thereafter)と混同してはならない.これらは前の文とピリオドで区切り文頭で大文字になる.


オックスフォードカンマ(シリアルカンマ)

  • これはカンマの2つ目の役割である「リストにあるアイテムを分ける」に関するジャーゴンで,世界中の編集の世界で広がっているものだ.
  • リストに2つのアイテムがある場合,例えば「サイモンとガーファンクル」は「Simon and Garfunkel」と表記され,「Simon, and Garfunkel」とは書かない.しかし3つ以上アイテムがある場合に,最後の2つのアイテムの間のandの前にもカンマを入れるかどうかが問題になっている.「Crosby, Stills, and Nash」のように最後のandの前にもカンマを入れる書き方をオックスフォードカンマあるいはシリアルカンマと呼ぶ.
  • 入れない派は,オックスフォードユニバーシティプレス以外の英国の出版社,アメリカの新聞.入れる派はオックスフォードユニバーシティプレス,ほとんどのアメリカの出版社,そしてオックスフォードカンマは多くの多義性を減らせると気づいた賢い人々だ.
  • これはオックスフォードカンマを用いないとすると「A, B, C and D」と書いた場合にA B C Dの4アイテムが並列なのか,A B (C and D) の3アイテムが並列なのかの多義性が生じてしまうということだ.

ピンカーは出版社が異議を唱えない限りオックスフォードカンマを使用し,さらにややこしい入れ子のリストについてはセミコロンを使うことを勧めている.


アポストロフィ

  • カンマだけでなくアポストロフィも人生を不幸にする区切り表記問題だ.
  • よくある3つの間違いは,慣行と異なるとされるが,実はどれも正書法に非論理性があるという側面がある.
  • 最初の間違いはgrocer's apostrophe(八百屋のアポストロフィ)とよばれるもので,「APPLE'S 99¢ EACH」のような表示を指す.ルール自体は単純だ.複数形のsの前にはアポストロフィはつけない.Applesでいいのだ.この誤りの背後には,まず複数形のsと所有を示す'sと省略形の'sの混同がある.そして文法構造に敏感であれば単語の不可欠の要素としての音素sと複数形や所有を表す形態素としてのsを区別したくなる.(lensのsは前者でpensのsは後者になる)さらにこの単語が母音で終わるときには後者のsは言葉の不可分な要素に見えるので特に区別したくなる.だからradios, avocados, applesなどの複数形のsの前にアポストロフィをつけたくなるのだ.
  • さらに複数形のsにはアポストロフィをつけないというルールはそれほど徹底的ではない.例えば文字について複数を示すにはp'sと表記することになっているし,単語についても(文章に特定の単語が多いかどうかなどの文脈で使うときに)however'sと表記する方が一般的だ.また年代や頭文字略語やシンボルについても,少し前までは複数形に'sをつけることが多かった.(the 1970's, CPU's, @'s)要するにルールはロジカルではない.しかし表記の正統性に敏感な読者に対しては普通の複数形に'sを使わない方がいいだろう.
  • 次のよくある間違いは代名詞の所有格にyou're, he's, it'sを使ってしまうものだ.he's, it'sなどはある意味つける方がロジカルだが,とにかくつけないと決まっているものだ.
  • 最後の誤りは複数形の単語の所有格を表す時のものだ.通常の名詞の単数形の所有格を示すには'sをつける.最後にsがつく規則型の名詞の複数形の所有格は(非論理的にも)最後のsを省略する.それぞれmother's, mothers' となるのだ.これの混同が3番目の誤りになる.ただこれにも微妙な問題がある.最後にsのつく固有名詞の場合にどうなるかだ.基本的にはルール通り単数形の所有格はCharles'sとなる.しかし一部のマニュアルはMosesとJesusに例外を認める.それは同じような古代の名前のAchillesやSophoclesに広がり,さらにsesの音で終わる現代の固有名詞にも広がりつつある.だから「カンザスの」「テキサスの」という単語は最後はsesesと発音されるのにもかかわらずKansas', Texas' と表記されることがある.


強調を示すクオーテーションマーク

  • 強調を示すためにクオーテーションマークを使うことを毛嫌いする人々がいる.例えば「CELL PHONE MAY "NOT" BE USED」などの表示だ.
  • これらの表示は,かつてワードプロセッサー普及期の初期に,(つまりターミナルやプリンターにイタリックがなかったときに)アスタリスクや<>を使って強調を表していたのと似ている.しかし異なる部分がある.それはクオーテーションマークには既に標準的な用法が定まっているということだ.
  • クオーテーションマークの標準的用法とは,「書き手はその中の語句を言葉の真の意味で用いているのではなく,単語の羅列として表示している」というものだ.上記の強調表示はこれと矛盾し,読者の信用を失わせる.
  • もうひとつのクオーテーションマークの論争はピリオドやカンマとの順序にかかるものだ.アメリカの出版業界の慣行では,全体の文にかかるピリオドやカンマであってもそれがクオーテーションマークと隣接するときにはクオーテーションマークの内側に来る,"like this." これは明らかに非論理的だが,とにかくアメリカの出版業界は遙か昔に「その方が美しい」と決めてしまったのだ.
  • このアメリカンルールはコンピュータサイエンティスト,論理学者,言語学者から批判されている.その非論理性に加えて,このルールは時に真に伝えたいことを書けないという問題を引き起こす.ある詩の一節を引用するとすると,それが完全な文なのか,その一部なのかがわからなくなってしまうのだ.
  • ウェッブ文化は出版社のこの非論理性の押しつけからの自由をもたらし,論理性に重きを置く多くの書き手がこれに反旗を翻してクオーテーションマークの外側にピリオドやカンマを書くようになっている.最も有名なのはウィキペディアで,彼等はこれを「論理的句読法:Logical Punctuation」と呼んでいる.

ピンカーは最後に,この動きはいつの日か,フェミニズムがMissとMrs.を葬り去ったように,業界ルールを変えるかもしれないが,それまではアメリカで出版物を出版する限りこの非論理性を受け入れる覚悟をするしかないと締めくくっている.


以上がピンカーの各論だ.非論理的なルールに関してはなかなかシニカルで面白い書きぶりになっている.


<完>