「形態学」


本書は比較形態学およびエヴォデヴォの碩学,倉谷滋による形態と発生と相同についての考察が収められた小本で,丸善出版のサイエンスパレットの一冊.発生の本はどうしてもドイツ観念論の影をまとって大部な本になりがちだが,本書は焦点を絞ってコンパクトにまとめられていて嬉しいところだ.

冒頭ではルネサンス期のレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画「受胎告知」が振られる.レオナルドは解剖学の知識を元に正確な人体の図を描いたことで有名だが,「受胎告知」ではその知識が天使の翼をよりリアルに見せていると評されている.しかし倉谷は異を唱える.真に動物の身体の成り立ちを知っていたなら天使の翼を背中にリアルに生えさせることができるはずはないのではないかと.確かにそう言われて「受胎告知」をググって画像をよく眺めてみると,その翼は翼単体としてはリアルだが,天使の身体にフィットしているようには見えないし,さらにとてもそれで飛べるようには思えない.ではそれはなぜ不自然に感じるのか,ここから倉谷は比較形態学の学説史に分け入る.


キュビエは動物界全体に見られる「むらのある多様性」を機能面からの「形態的センス」で捉え,「枝分かれ」という用語でもって,互いにあまり関連性を持たない4つ(脊椎動物,軟体動物,環節動物,放射動物)のグループに分類した.ジョフロアはパーツごとの位置関係に着目し,様々な動物の形態の背後にある動的な共通性あるいは変容の規則を模索した.
ゲーテは「原型」が繰り返して分節し変容するとして形態を説明しようとし,オーウェンはその方向を進めて原形の動物を想定した.その究極的な仮説は頭蓋骨椎骨説に現れている.ハクスレーは進化的視点に立って問題を再考察し,発生過程を観察してこれを批判した.このあたりから形態学は反復説の影を背負い込むことになる.この濃密な学説史の記述において倉谷は観念的な議論のところどころに今日的な理解を注釈的に入れ込みながら読者の負担を緩和させる工夫を採っていて読者としてはありがたい.


続いて進化の観点を取り入れた後の形態学に進む.形態は発生に淘汰圧がかかって生まれるとするなら形態学は発生を注視することになる.そこから発生の軸と3つの胚葉の話が語られ,さらに倉谷は反復説をここで総括する.メッケルの発生において下等動物から高等動物という階梯を繰り返すという初期の反復説の後,べーアは観察を元に前成説を否定し,発生の途中で様々な動物の胚が似ること(現代でいうファイロティピック段階)を観察し,そこに「原型」を見いだし,さらに胚葉に相同の起源を求めた.そして進化を受け入れたヘッケルが明瞭に反復説を主張する.ヘッケルは一部で想像図まで含めて事実として主張し,これがために英米での評価は極めて低いが,倉谷はかなり擁護的だ*1.総括の最後に倉谷は反復説の現代的理解*2と残された課題を,脊椎動物の鰓の問題を例示しながらきちんと解説している.


反復説の総括の後,倉谷は「相同」をめぐる深い世界に分け入っていく.相同は元々身体の各部のつながり方のパターンの感知から生みだされた概念だが,その進化的な本質において共有派生形質と深くつながっている.だからそれには変容の階層性と関連して「深度」があるのだ.そしてこの深層の相同性は発生と絡みつく.倉谷は相同性と系統についてさらに解説を加え,「側系統」概念は実は非常に有用なことがあるともコメントしている.ここまでで相同の問題はすでにかなり深い.
しかし相同は遺伝子との関係を考えるとさらに深い概念になる.ある形態要素に対して多くの遺伝子が関係し,ネットワークを作ってそれぞれ相互作用するからだ.結局「相同」はある意味で相対的な概念になるのだ.
そして遺伝子と形態の複雑な関係についての倉谷の解説は最新のエヴォデヴォにおける概念の解説に進む.最初は「発生システムの浮動」であり,形態的には相同とされるままでありながら発現する遺伝子が移り変わっている現象をいう.次は「コ・オプション」.これはある形態のための遺伝子発現セットが,それまでと別の場所で発現することによって新奇な形態を産むことをいう.要するに遺伝子は相同だが形態は相同ではないということになるのだ.さらにツールキット遺伝子,ホメオティックセレクター遺伝子群,分節における発生のコンパートメントが解説され,相同の相対性が実感されるとともに話は深く深く進む.このあたりは倉谷の独壇場であり,本書のまさに読みどころだ.


倉谷は最後に動物の起源の章をおいている.普通の進化学の本では共通祖先の形質の推定という問題になるが,ここでも倉谷の説明は,体節性の起源を絡めてヘテロクロニー,ヘテロトピー(それぞれある発生イベントについて発生の途中での時間や場所が移ること)の解説に進み,最後までその深さを失わない.


というわけで本書はその装丁の軽やかさとは対照的になかなか深い解説の連続する重い本だ.そして概念が深層で絡みつく様をこれでもかと解説していく倉谷ワールドに引きずり込まれる様な読書体験はある意味で非常な快感だ.図版も充実しているしお買得な本だと思う.



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これは訳書.これも大部な発生の本だ.

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なおしばらく多忙になりますので7月中旬まで本ブログの更新は停止する予定です.


 

*1:倉谷は「英米では20世紀中葉以降,反ドイツキャンペーンとともに反復説がタブーとされてきたが,その間教科書に反復説を載せ続けた日本は立派だ」とコメントしている

*2:初期胚と中期胚と後期胚において状況が大局的かローカルか,発現する発生プログラム間の相互作用がどう異なるかによってファイロティピック期を説明するもの