「クモを利用する策士,クモヒメバチ 」


本書は東海大学出版部の「フィールドの生物学」シリーズの一冊.今回はクモをホストにする寄生バチの物語だ.

冒頭でまずハチの進化と生態の概説が行われている.分子系統樹を元に推測すると膜翅目*1の起源的なグループは幼虫が植食性で腰のくびれていないハバチやキバチの仲間らしい.この植物の中に卵を産む性質から幼虫がほかの穿孔性昆虫の幼虫を食べる性質(捕食寄生性)が進化し寄生バチとなる.そして腰をくびれさせて産卵時の動きの自由度が増し,さらに幼虫時には無脚で排泄を蛹になる直前まで止めるようになり,細腰亜目を形成する.それに含まれるほとんどのハチは単独生活で捕食寄生性だ.(そのごく一部が有剣類と呼ばれる単系統群を構成し,スズメバチ,ミツバチなどの社会性ハチ類,アリ類,ベッコウバチなどの狩りバチ類が含まれる.)
捕食寄生性の中では殺傷型と飼い殺し型が生態的には重要な区別になる.飼い殺し型はホストの免疫に対抗する必要があり特定ホストにこだわるスペシャリストになりやすく,またホストの脱皮時の脱落リスク等から内部寄生型が多い.
本書の主役であるクモヒメバチは細腰亜目の中のヒメバチ科に属する単系統群(クモヒメバチ属)を形成し,すべてクモをホストとする飼い殺し型の捕食寄生者だ.この起源は元々ガへの寄生を行うヒメバチ(ミノガヤドリヒメバチ)がガの繭を探索する際に糸の存在を手がかりにしたことから,それがクモに転用されたと推測されているそうだ*2.そして例外的に外部寄生型になっている.これはカラー写真が掲載されているが,確かにクモにハチの幼虫がとりついていていかにも不気味だ.


ここからはリサーチ物語だ.著者は甲虫類の研究蓄積がある愛媛大学の環境昆虫学研究室に属していたが,ある日未分類標本整理作業の中でヒメバチ科のオナガバチに出会う.そしてこの姿と寄生習性というかっこよさからヒメバチを研究したいと志し,(同じ研究室に専門家がいない中で)手探りでリサーチをスタートさせる.リサーチ対象をいずれも普通種のオオヒメグモとマダラコブクモヒメバチのホストパラサイト系に定めるが,なかなか採取できない.地道な調査から何とか神社に多いことを発見し,その生活史をまず明らかにし,最初の学術論文となる.


次にホストであるクモについて詳しい解説がある.ここは力作だ.クモの節足動物門内の位置づけ,その進化史,糸の獲得,その多様な種類と紡績メカニズム,その進化生態的意義,網の仕組みと息もつかせない.もう少し膨らませればクモの概説書にもなろうかという充実ぶりだ.


修士課程に進んだ著者は次にこのマダラコブクモヒメバチの産卵行動に焦点を絞る.ここも手探りの苦労話が楽しい.クモヒメバチはどのようにオオヒメグモの不規則立体網をかいくぐり,クモを襲うのだろうか.野外観察,そして苦労の末の飼育系の確立による屋内観察で明らかになったのは,襲撃の戦術には何種類かあること,クモの大きさによって雄雌を産み分けていることだ.前者はどのように戦術を使い分けているのかに興味が持たれるし,後者は(著者はあまり詳しく解説していないが)トリヴァースウィラード型の性比調節例ということになるだろう.著者は今後進化史の謎も解明していきたいとしている.


次のテーマはこのマダラコブクモヒメバチの子殺し行動だ.同じホストに先に寄生が生じていれば,(後寄生の方が有利という特別な事情がない限り)これから産む我が子には不利になる.だから可能であれば産卵メスはすでに寄生している別個体の子である幼虫を殺すように進化することが容易に予想できる.しかしそれを実証するのは全く別の話だ.著者はこれにチャレンジしていく.さまざまな苦労を重ね実験系を作り上げ,先行研究の数理モデルから得られた予測を検証していくのだ.


続いてなぜクモヒメバチは飼い殺し型なのに外部寄生なのかという問題が扱われる.幼虫はどのように脱落リスクを避けているのか.ここからはメカニズムの分析で,細かな解剖,組織切片の観察から,幼虫は孵化直前からクモの腹部を穿孔しリンパを吸い上げて,そこを起点に一齢幼虫時には鋲を形成して強固に付着していることを見いだす.これが外部寄生を可能にする適応というわけだ.


論文執筆における英語の苦労話*3を挟んで,パラサイトによるホスト操作のテーマになる.著者は神戸大学の博士課程に進み,マダラコブクモヒメバチの産卵行動多型の遺伝解析を行おうとするが,飼育下のハチがどうしても交尾してくれずにいったんあきらめざるを得なくなる.ちょうどそのころ丹波篠山の神社で希少な寄生系であるギンメッキゴミグモとニールセンクモヒメバチを見つける.すでにこのハチがホスト操作して円網形態を変えるとの報告があり,これを研究することにする.これもまた手探りで,いかに繊細で気むずかしいギンメッキゴミグモを円網ごと室内に持ち帰り,ハチに寄生させて造網させ,それを記録するかという格闘が始まる.そして2年越しで何とか標本を集め,動画撮影を行い,糸の物理的強度を測定し,通常の捕虫用の円網とは異なるハチの幼虫の生存に有利な網が(ホスト操作として)造網されていることを示す.ここでは網のさまざまな糸とその組み合わせの機能が詳しく解説されていて充実している.白帯の進化的意義の解説は特に興味深い.獲物の誘引用という説と,鳥などが網を壊さないための目印という説が対立していたが,どうやらそれは種ごと環境ごとに異なる多義的なもののようだ.そしてこのゴミグモの場合には白帯がある部分は休息用の網で捕虫機能を持たないので後者の機能でしか説明がつかないということになる*4


最後に博士課程の一時期にインドネシアで行ったクモとクモヒメバチ寄生系の多様性と標高の関係に関するリサーチが紹介されている.ここもそのようなリサーチをすることになった経緯*5やリサーチの苦労話*6がなかなか読ませる.リサーチ自体は標高が高いとクモの多様性が減り,逆にホスト一種あたりの密度が増えて寄生ハチが多様になるという仮説を巡るもので概ね仮説を支持するデータが得られているようだ.


本書はシリーズ共通の若手学者の自伝的なリサーチ物語の味わいを保ち,さらにクモやハチに関するなかなか深い解説が加わった充実した読み物になっている.やはりホストパラサイト系の話は面白い.そしてあまり強い問題意識なくハチを研究するようになった著者がどんどん深くその世界にはまっていくのを読者は追体験することができる.読後しばらくは神社を訪れたらクモを探そうと思わずにはいられなくなるだろう.もしそのクモの腹に小さな白いハチの幼虫が付いているのが見つけられたらどんなにうれしいだろうか.


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クモについてはこの本が楽しい.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20130820

クモはなぜ糸をつくるのか?

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*1:本書では最近の文科省の方針に従ってハチ目と表記しているが,ここでは私の好みに従って膜翅目という従来からあるラテン語の意味に準じている用語を用いる.

*2:ここも詳しく解説されている.詳細はさらに複雑で面白い.

*3:結構延々と愚痴話がかかれていて楽しいインターミッションになっている.相当苦労したようだ.

*4:なおいろいろな謎は残っているようだ.著者は学会で発表すると必ず「天敵に見つかりやすく不利なのではないか」と質問されるとこぼしている.それでも白帯がコストをかけてまで作られているところをみると作成コストとその不利益を上回るメリットが実際にあるに違いないとコメントしている

*5:実は修士課程後民間就職を決めていた著者にインドネシア派遣計画への参加話が持ち上がる.就職を蹴ってそれに参加する気になった著者だが,その選考に落ちてしまい失意のどん底から研究者生活をスタートする話は涙なしには読めないところだ

*6:ものすごいスコールとダニやヒルと戦いながら山に登っていく話は壮絶だ.