Language, Cognition, and Human Nature 第1論文 「言語獲得の形式モデル」 その20

Language, Cognition, and Human Nature: Selected Articles

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ピンカーはここまでの整理が持つインプリケーションをまとめている.

IX 発達心理言語学へのインプリケーション


言語学習理論に向けて>

  • これまで扱ってきた中で,2つの理論がヒトの言語獲得理論のプロトタイプとして考察に値するだろう.それはアンダーソンのLASとハンバーガーたちの変形モデルだ.
  • LASは認知条件,入力条件,時間条件をクリアーできるが学習可能性条件,等潜在能力条件をうまく扱えない.変形モデルは学習可能性条件,等潜在能力条件,入力条件を満たすが,認知条件と入力条件は満たせていない.月並みだが,この2つをうまく混合したモデルが必要なのだろう.
  • つまりアンダーソンのモデルのように心理学的にリアルな理解過程を持ち,変形モデルのように意味論構造が豊富であり,仮説を扱う過程が十分に制限されている必要がある.そうすることによりその理論は山のようなアドホックルールやヒューリスティックスに埋まらずにすむのだ.
  • もちろんそのような理論を開発するのは言語そのものに対する適切な理論を欠いているために難しい.様々な領域や個別の言語にある言語現象の適切な説明,そしてそれの理解モデルが欠けているのだ.
  • 新しい理論をこの場で提示することはできないが,発達心理学者にとってのインプリケーションをまとめておこう.


発達心理学者と言語獲得デバイス

  • 最近の発達心理学者たちの言語獲得過程モデルに対する態度は,あるリサーチフレームワークの運命に大きく影響されている.それは1960年代に言語獲得デバイス(LAD)として受け入れられたものだ.
  • 実は言語獲得デバイスというときには2つの意味があり,その区別は重要だ.
  • 1つの定式化はチョムスキーによるもので,子供を,対象言語のサンプル文に基づいて未知の言語のルールを作り出す抽象的デバイスとして理想化するものだ.そしてそのデバイスの働きを記述することが言語学と心理学のゴールだとする.これはいわば電解質の制御に関心がある生理学者が脳を「塩水で満たされた袋」と考えてその膜の構造やイオンの分布などを考察するのと同じだ.そして私はこの論文でこの立場から言語獲得デバイスについて考察してきた.
  • もう一つの定式化は,特定の理論に基づくものだ.これは,子供は変形文法にかかる特定の高度な知識を含む精神能力を生得的に持つとする.それは周りで話されている会話から深層構造を引き出し,変形規則を採用し,最終的にその言語の変形文法を獲得する.先ほどの生理学者の例えでいうと,「塩水で満たされた袋」はいくつかの特徴を持ち,特定の電解質制御機能を持っていることが仮定されているのだ.この立場の論者は,子供は断片や複雑な準文法的表現を元に学習し,高度な統語関係をマスターし,変形の積み重ねで言語を習得していくと主張する.
  • しかしこのようなアプローチは実際に子供に向けられるのがよく定式化されて構造的に簡単な文であり,意味論情報も用いていて,初期の発話が統語的というより認知的あるいは意味論的関係に基づくものが多いという事実が知られることによってあまり支持されなくなってしまった.
  • この結果,「言語獲得デバイス」(LAD)は発達心理言語学者から「単なる仮説」として棄却されてしまった.それと同時に子供は単純化された会話を聞き,意味論の助けを借り,特別な言語獲得能力ではなく一般的認知能力によって言語を獲得するのだというコンセンサスが形成されたように思われる.
  • しかもLADはより一般的な意味においても棄却されてしまった.そして不幸なことに,ほとんどの発達心理言語学者たちの議論は統語論の獲得メカニズムを特定しようという視点からなされなくなってしまった.
  • そしてそれを特定しようとするときにはこれらの議論は全く変わってしまうはずだと私は考える.


ここの部分のピンカーの指摘は学説的には面白いところなのだろう.後付けで私たちが振り返ると.そこに既にゴールドの定理があり,片方でチョムスキーの生得的制限の議論があるにもかかわらず,何故生得主義が徹底的に否定され続けていたのかについては(イデオロギー的な理由という説明があったにせよ)あまりにも不自然に感じられる.しかしそこには言語獲得デバイスを狭い意味で使ってしまってそれが否定され,この問題は解決済みとされてしまったという不幸な歴史的偶然があったということなのだろう.