「文化進化論」

文化進化論:ダーウィン進化論は文化を説明できるか

文化進化論:ダーウィン進化論は文化を説明できるか


本書は英国の文化進化の研究者アレックス・メスーディによる文化進化リサーチについての一般向けの解説書である.
文化を進化的に理解しようという試みはかなり古くからある.有名なところではドーキンスが「利己的な遺伝子」(1976)の中で(あくまで進化という現象が,遺伝子が自己複製子である生物進化に限られない例として)取り上げたミームの議論があるし,EOウィルソンも「Genes, Mind and Culture: The coevolutionary process」(未邦訳:1981)において文化と遺伝子の共進化について考察している.しかしこれらの取り組みはその後あまり花開くことなくしぼんでしまっているように見える.結局取り組み視点としては面白いのだが,あまり充実した結果が継続的に得られなかったということなのかもしれない.その中である程度成功している取り組みとしてはカヴァリ=スフォルツァとフェルドマン,およびボイドとリチャーソンによる理論的定式化があるということだろう.本書はこれらの定式化を数式を使わずに解説し,さらにこの基礎の上になされた応用リサーチ,さらに文化系統学的リサーチを総説しているものということになる.
私自身はミーム論の衰亡以降あまりこの文化進化論には深入りして勉強してこなかった.ボイドとリチャーソンについても,理論的定式化の部分はともかく,ヒトの利他的傾向を遺伝子と文化のグループ淘汰で説明しようとする部分があまりにスロッピーに思えて,やや遠ざけてきたところだ.そういう意味では本書の出版はもう一度俯瞰して文化進化を眺めてみるにはよい機会となってくれたといえるだろう.

第1章 文化的な種

最初は当然ながら定義から入っている.ここでの「文化」の定義は「模倣,教育,伝達,言語といった社会的な伝達機構を通じて他者から習得する情報」ということになる.行動を含めずに情報,自分で生みだしたものを含めずに他者から伝達されたものに絞っている.このあたりは定式化で扱いやすい形に工夫しているところなのだろう.
続いて文化の重要性が扱われる.われわれの行動に文化が大きな影響を与えていることは直感的に疑いないところだが,メスーディはきちんとエビデンスを並べる.ここではアメリカ人の市民の義務に関する感覚が移民元のヨーロッパの各国文化と相関を持っていること,最後通牒ゲームでの対応が文化圏によって異なることが示されている.このほか個人的学習だけ,遺伝子だけでは行動の違いを説明できないことなどが解説されている.
なおメスーディはここで進化心理学について,行動を遺伝子レベルの適応として説明しようとし,文化を軽視していると批判している.しかしこれは誤解だ.進化心理学は行動をすべて遺伝子で説明しようとしているのではなく,環境や文化の影響を当然認めている.行動を決定する際の心理メカニズムに文化に依存しないユニバーサルがあり,それが適応形質であると考えているだけだ.このあたりはよくある誤解とはいえ,学問の統合を提唱する割には関連分野についての学識の浅さが垣間見え,本書の残念な部分の1つだ.

第1章の最後ではこれまでの文化研究の問題点が列挙されている.以下のような感じだ.

  • 経済学者,認知心理学者,進化心理学者は人間の行動を文化の観点から説明することは無意味だとして取り組んでこなかった.また文化を静的な環境としか扱わず動的に捉えることをしない.
  • 文化人類学民族誌学として出発したが,社会構成主義者の批判に萎縮して,定量化や仮説検証を捨て,主観的かつ質的な記述学問に退行した.
  • 文化を扱う社会科学の各分野(経済学,社会学言語学歴史学,心理学,人類学,考古学)は分断され,互いに矛盾する仮定を抱え,知見が共有されていない.

2番目3番目はそういうことだろうという感じだが,1番目については言い過ぎだろう.彼等は無意味だとしているのではなく,当面興味のあるテーマについては文化は静的な環境要因と近似的に仮定して問題ないと考えているということだし,また経済学,社会学,心理学が通常興味を持っているトピックについては「文化進化」が問題になるようなタイムフレームを考慮する必要があまりないということだと思う.

第2章 文化進化

第2章では「果たして文化は進化するのか」が扱われる.メスーディはダーウィンの議論に戻り進化の条件を変異,競争,継承(遺伝)として個別に吟味する.通常ダーウィン示した条件は,「個体変異があること」「変異のなかに遺伝性のあるものがあること」「そのような変異に生存や繁殖の差をもたらすものがあること」「生存や繁殖についての競争があること」の4つとされることが多いのでやや違和感がある.メスーディは自然淘汰による進化以外の現象も取り込むために,意識的に適応度について変異があることについて条件から外しているのだろう.しかしそのためダーウィンの明晰な議論がぼけてしまった印象は否めない.

  • 変異:明らかに文化は多様で,いろいろな変異がある
  • 競争:人間の記憶容量と時間は限られた資源であって,各文化はそれについて競争していると考えることができる.(不規則動詞や土器の模様などが例にとられている)
  • 継承(遺伝):文化は人から人と継承される.


そしてさらなる類似点として何点かを挙げている.

  • 適応形質が観察されること:文化にも累積的に改善がなされ見事に合目的的なデザインになっているものがある.
  • 適応はある目的に対して完全になるとは限らないこと:文化にも経路依存性により最適化がはばまれているものがある.(QWERTY配列が例にあげられている)
  • 収斂:類似した文化が独立に生じることがある.(文字が例にあげられている)


こう読んでくると,メスーディは文化進化を取り扱うに当たって「個別の文化進化が真に自然淘汰的か,意識的なデザインによるものか」についての厳密な吟味を不要と考えているらしいことがわかってくる.そしてこれに絡んで文化進化論者がよく巻き込まれるであろういくつかのテーマが次に扱われている.

  • 文化進化はダーウィン的かスペンサー的(必然的進歩)か:様々な文化が同じ段階を経て進歩していくという歴史的事実はない.文化の動態は「進歩」とは異なるし,そう扱うべきではない.本書では文化進化はダーウィン的なものとして取り扱う.
  • 文化進化はネオ・ダーウィン的(遺伝は粒子的な遺伝子により生じ,獲得形質は遺伝せず,変異はランダムに生じる)か:文化要素は必ずしも粒子的ではなく,時に融合する.(ただし巨視的にはそう見えるが,脳神経化学的な理解が進めば微視的には粒子的に説明できるのかもしれないと留保している).獲得形質の継承があるか(あるいは文化進化はラマルク的か)については激烈な論争があるが,結局遺伝子型と表現型をどう考えるかということに帰着する.素直に外から観察される文化要素は表現型であるとし,「獲得された文化要素が次世代に継承されることがある」と考えれば,ラマルク的だと扱って差し支えない.また文化の変異が人々の意図に影響されることは間違いない.そういう意味で文化進化はネオ・ダーウィン的ではない.


本章の最後にメスーディはミクロとマクロの融合というテーマを取り扱っている.生物についてネオダーウィニズムの集団遺伝学理論が小進化と大進化についての考えを統一できたように,文化進化についても個人の行動を扱う心理学のようなミクロの議論と,社会全体の文化を扱う文化人類学や考古学のようなマクロの議論を統合すべきであり,文化進化論こそがそれを可能にするという主張だ.そしてどのようにそれが可能になるかは第3章以降で説明するということになる.

第3章 文化の小進化

ここではカヴァリ=スフォルツァとフェルドマン,およびボイドとリチャーソンによる文化進化の理論的定式化が解説される.結局いろいろな文化伝達があるのでバラエティに富んだメカニズムが定式化されている.基本的には垂直,水平,斜めの伝達があり,伝達には「1対1」と「1対多」形式があり,変異にはランダムなものとそうでないものがあり,粒子的な文化要素と融合的な文化要素があり,浮動と淘汰の両方があるという形になる.
興味深いのは,この枠組みでは進化の方向性は,「変異自体の方向性(誘導バイアス)」と「淘汰」という2つの力により決まることだ.そしてどのように淘汰がかかるか(つまりどのようなものに高い適応度があるのか)についても生物進化より広くなる.それはその文化要素の内容に魅力がある場合(内容バイアス),誰に教わるかによりより継承されやすくなる場合(モデルバイアス),さらにヒトの心理的傾向から頻度依存効果がかかる場合(同調バイアスなど)があるとされる.このようなモデルからわかることとして以下のような解説がある.

<継承形式>
  • 基本的には水平文化伝達,誘導バイアス(ラマルク的な要素)があると素速く広がり(変化しやすくなり),同調バイアスがあると正の頻度依存効果がかかる.また垂直伝達が主要な文化要素は安定する.メスーディは宗教がこれに当たるとしている.
  • 文化要素が融合的なら,なぜすべて融合して一様化されないかが問題になる.カヴァリ=スフォルツァとフェルドマンの理論では文化要素は融合されることが基本になっているが,変異が生まれやすいこと,同調バイアスにより異なる集団で異なる文化が広まることでそれが防がれるというモデルになっている.
<変異>
  • 変異の現れ方に誘導バイアスがあると,淘汰とは異なる方向に進化しうる.ただ誘導バイアス自体が一様でなく,誘導方向自体に淘汰が効きうるのですべてそれに依存してしまうわけではない.
<淘汰>
  • 内容バイアス:淘汰による文化進化動態を考える上ではどのような内容がより魅力的かということが重要になる.既存の信念体系と矛盾せず,役に立ち,理解しやすいものが魅力的だということになる.広まりやすい文化要素と世代が変わらないと広がらない文化要素の違いはこのような分析により理解できるようになる.ここは実際のリサーチ(ハイブリッドコーンの普及は変異の誘導バイアスよりも内容バイアスによる淘汰によってうまく説明できる)も紹介されている.
  • 頻度依存バイアス:正の頻度依存(同調バイアス)と負の頻度依存のものがある.人が他人の意見に左右されることは社会心理学者がよく示してきている.ただし同調が生じている(より頻度が高いとより模倣する)のか単純な模倣のみなのかをテストするのは難しい.これは実際に生じた普及カーブから識別可能だ.同調バイアスがあると頻度が低い場合には内容バイアスによる淘汰に抵抗する力となる.
  • モデルバイアス:ボイドとリチャーソンはこれをモデル化して適応行動を習得する方法として,名声のあるモデルをより模倣することに利点があることを示している.(要するに名声者の一部の行動はその名声と関連しているということだろう)そして実際に人々にこのバイアスがあることも示されている.この淘汰過程は名声とその模倣される特徴のランナウェイを生みだしうる.
<浮動,拡散>
  • (淘汰ではなく)浮動によって文化進化が生じたかどうかは文化要素の頻度が冪乗分布をとっているかどうかで推測できる.陶器の模様,ポピュラーソング,犬種の流行などがこれに当てはまることが示されている.
  • 文化がある地域から別の地域に広がる場合には,ヒトの集団自体が移動する場合(デーム型拡散)と文化要素のみが広がる場合(文化的拡散)の2通りある.


なかなか複雑な数理的なモデルが数式なしにうまく説明されている.淘汰のところを読むとなぜメスーディが第2章で適応度について進化条件から外していたかがわかる.結局文化進化においては生物の自然淘汰のように変異自体が適応度に効いている場合以外にも,同調バイアスやモデルバイアスによる進化過程があって,それだけでは進化動態を説明できないということなのだろう.
メスーディは説明を避けているが,結局伝達や淘汰様式が多様なので,どのような文化が進化するかという予測は難しいだろう.特に適応度がその変異と無関係に決まるので,生物の進化理論のように適応形質をその特徴から数理的に記述できないことになり,そして浮動もランダムな過程ではないので数理的な処理が複雑になる.だから理論が実際に応用されるのは,実際に生じた文化進化がどの様式によるものだったかについて過去を振り返って調べるという部分に限られやすくなるのだろう(そしてこれだけパラメータが多いとほとんどどんな現象も後付けで説明可能になってしまうのではないかという印象だ).

第4章 文化の大進化1 考古学と人類学

ここでは文化進化のメカニズムから離れて,歴史的に生じた過去の文化進化経路を推測するという文化系統学がテーマとなる.
メスーディはまず系統学の基礎,最節約法を解説し,それを過去の文化進化過程の復元に応用する試みとして文化系統学を説明し,その代表的な取り組みとしてまず北米の尖頭器形状の推移についてのリサーチ,サブサハラの牧畜農耕文化とと相続慣行の推移の推定リサーチを紹介している.その上で,文化的パターンの分析についてのいくつかの論点を提示する.

  • 文化の推移は生物進化のようにツリー状になるのか:確かに文化要素は融合しうるので,文化進化はネットワーク状になり得る.しかし実際のリサーチによると分岐的になることが一般的であることが示されている.何故そうなのかについては「伝達分離メカニズム」(自民族中心主義など)が挙げられている.
  • 浮動をモデル化した文化多様性の分析:機能上の目的がない文化要素は浮動しやすいと考えられる.主として浮動により文化進化が生じるなら文化の継承が多い集団内では多様性が抑えられ,文化の継承の少ない集団間では多様になるというパターンが生まれるだろう.北米のウッドランド期(B.C.200-A.D.800)の陶器の模様のリサーチではこのモデルでうまく説明できたが,欧州の新石器時代の陶器の模様ではうまく説明できなかった.リサーチャーは後者においては反同調バイアスにより浮動モデルの予測より多様性が生まれたのだろうと考えている.
  • 同じく浮動のモデルによる集団の大きさについての分析:ハンドアックスの幅と長さにおける多様性を分析した結果は初期ホミニンの出アフリカ時のボトルネックモデルと整合的だった.

第5章 文化の大進化2 言語と歴史

まず言語の系統学的なリサーチが紹介されている.挙げられているのは,系統学を応用した言語系統樹の推定,インド=ヨーロッパ語族の起源の探求,言語の進化パターン,語彙の消滅と使用頻度の相関性の分析などだ.

  • 言語の進化は漸進的か断続平衡的か:バンツー語族,インド=ヨーロッパ語族,オーストロネシア語族について系統樹を前提にしたベイズ的な分析により分岐と分岐の間に生じた語彙変化の量を推定した結果,断続平衡的だという結果が得られているとしている.理由については分岐時に環境の変化が大きくなったり社会的なアイデンティティへの希求が生じやすいことが示唆されている.

また写本の系統学のリサーチとしてカンタベリー物語の写本の系統図の推定も取り上げられている.
次に歴史への応用として帝国の興亡を説明する微分方程式モデルが紹介されている.ただこれは進化学というより個体群生態学の応用であって,本書のテーマとはやや別のところにあるもののように思える.どうやらメスーディはこのモデルの中へ社会的結束要因を付け加えるべきであり,それはボイドとリチャーソンの文化グループ淘汰モデルの具体的応用と位置づけられるとして提示しているようだ.文化グループ淘汰モデルについては詳しい説明もなく,ややスロッピーな印象だ.
ここで歴史を単純なモデルで分析することについての批判が取り上げられている.「文化は複雑すぎて単純なモデルでは分析できない」「文化は独特で特別だ」という批判だが,フレームの単純化は問題理解のための有用な手法であること,文化にも一般化できる要素があり,それに注目することで理解が深まることを挙げて反論している.もっともな反論だろう.

第6章 進化の実験

ここまで扱った文化進化リサーチは理論的定式化と既に生じたパターンの分析だ.しかし文化進化リサーチにおいては実験も可能だというのが本章の主張だ.まず生物進化についてレンスキの大腸菌進化実験を解説してから,文化進化の実験例についていくつか紹介している.

  • 伝言ゲーム形式などにより被験者から別の被験者へ繰り返しある内容を伝えさせ,伝達の正確性と内容の関連を調べるもの.社会関連の話がより正確に伝達されやすい(ゴシップがよりうまく伝わる)という「社会脳仮説」と整合的な内容バイアス結果が得られている.また「最小限の反直感性を持つ概念」が生き残りやすいという結果(これは内容バイアスと誘導された変異の両方が効いている)も報告されている.
  • ごく限られた概念を扱う全く新しい「言語」を被験者に作らせて,被験者を入れ替えながら使用させるもの.何世代か経ると単純化が生じてエラー率が下がることなどが観測されている.
  • 複数のナッシュ均衡を持つゲーム(男女の争いゲーム)を被験者を入れ替えながら行って選ばれる均衡に文化的な継承があるかどうかを見るもの.いろいろな情報を与える形式を比較すると,被験者は過去の総履歴より直前の均衡に強く影響されることがわかった.
  • 写本を実際に作らせて写本データから系統樹が再構成されるかどうか調べるもの.結果うまく再現できた.
  • 被験者にコンピュータ内で矢じりの形状をデザインしてもらい,その際にその矢じりの効果を仮想狩猟シミュレーションにより評価したものを被験者にフィードバックするという実験において,誘導された変異的状況と名声バイアス的状況を対比させ,多数の被験者の作る矢じりの多様性にどう影響するかを調べるもの.予想通り名声バイアスがある状況下では矢じりの多様性は小さくなった.

いろいろな実験の様子は楽しい.メスーディはこのような実験について既存学問では得られない結果を生みだしうると評価している*1が,やや言い過ぎだろう.ここで挙げられている実験はかなり初歩的なもので,社会心理学などの既往知見を伝達形式にして裏付けているものだという印象だ.とはいえ,文化進化理論の様々な仮定や予想を検証できる手法として大きな意味があるのは間違いないところだ.

第7章  進化民族誌

実験の次はフィールド観察になる.グラント夫妻のガラパゴスフィンチの長期リサーチを紹介し,現在の文化人類学が主観的な記述学問に堕していることをもう一度批判し,ここに統計的な手法を持ち込むべきだと主張し,そしていくつかの初期の試みを紹介している.

  • アカ族の文化継承に関する定量リサーチ:50の要素について誰に教わったか聞き取りリサーチしたもの.ほとんどの技術は垂直の文化伝達が優勢であるが,歌や踊りなどでは水平伝達も重要で,新しい狩猟技術(クロスボウなど)は別部落からの水平伝達が重要だった.
  • コンゴの食のタブーのリサーチ:聞き取りだけでなく,タブー食品の組み合わせの類似から伝達経路を推定した.聞き取りでは76%が親からと回答されたが,タブー食品のパターンを調べると,男系継承される先祖伝来タブー,母から継承される妊婦が避けるべき同質タブーの両方があることが見いだされた.また回答は垂直伝達について誇張されていることがわかった.
  • チマネ族の民族植物学知識のリサーチ:270人を対象にした大規模リサーチ.重回帰分析を用いて知識については斜めの伝達が,技術については縦の伝達が重要であることを見いだした.
  • 哲学者デイヴィッド・ハルによる分類学者の間での分岐論の広がりを調べたリサーチ:ハルの観察は「知識は主観的である」という社会構成主義者の主張には合致しなかった.ハルは,分類学者は自分たちの「概念の包括適応度」を高めるように行動している(つまり自分が分岐論を支持しているなら分岐論が優勢になるようにリサーチしたり出版発表を行っている)と結論づけた.メスーディはこれは文化グループ淘汰プロセスと見なせるとコメントしている.

メスーディは最後に.これまでのフィールドリサーチは伝達経路の部分に偏っているが今後はリサーチエリアがより広がるだろうと述べている.またフィールドリサーチにおいて現在の社会学は様々な現象をネットワーク理論で捉えようとしているが,この理論はネットワーク自体の誕生や変化を捉えることはできず,文化進化論との統合が望ましいとコメントしている.

第8章 進化経済学

本章は文化進化論を経済学に応用すべきだという主張をまとめたものになる.ただ全体に上滑っている印象だ.
まずネルソンとウィンターによる議論を紹介している.彼等は従来の経済学は合理的経済人の仮定と静的均衡にとらわれているが,もっとルーティン行動を重視し,動態に着目すべきだと主張した.メスーディはこのルーティン行動の伝達を考察することがこれまでの経済学にできなかった経済現象の理解に有効だとコメントし,ポラロイド社がデジタル技術に対応できなかったことを例にあげている.ここは納得できない説明だ.そもそもこの問題は経済学というより経営学の問題で,経営学ではポラロイド社と富士フイルム社の戦略意思決定の対比について様々な議論があるところだろう.そして分析に経済学理論を使うにしても,経済学の合理的経済人の仮定はすべての企業がデジタル技術に正しく対処できることを意味するわけではないだろう.
またメスーディは企業競争をグループ淘汰のフレームで,企業競争の場面における技術の進展を文化進化のフレームで捉えることができるだろうとコメントしている.なお実際の取り組みはこれからということなので,希望的な観測というところだろう.
次に合理的経済人の仮定に関して,最後通牒ゲームにおける人々の振る舞いを示し,現行の経済学を批判している.ここもよくある筋悪の批判だ.メスーディは第5章においては単純なモデルを使って複雑な現象を理解しようとする試みを擁護している.なぜ経済学も同じことをしているのだと考えられないのだろうか.基本的に合理的経済人の仮定は近似的には十分うまく当てはまり,モデルを単純化して解析を容易にするメリットを与えてくれるものだということだろう.批判するなら,それは近似的にも成り立っていないことを示し,さらに代替フレームを提示しなければフェアではないと思う.
さらにメスーディは最後通牒ゲームの人々を振る舞いを説明するものとしてボイドとリチャーソンの遺伝子と文化のグループ淘汰による利他性の議論のみをあげているが,ここも思いっきりスロッピーだ.最後通牒ゲームにおける人々の振る舞いは利他性を仮定しない形でも十分に説明可能であり(相手の反応の心理的傾向も考慮に入れた上で自己利益を最大化させていると考えることもできる),さらにヒトの利他性についてグループ淘汰を用いないで説明する方法も幾通りもある.このあたりはまさに恐れていた通りの残念さだ.またさらにこの文化的グループ淘汰理論の応用として,企業の拡大と収縮を従業員の利己性と利他性の文化伝達から説明するモデルも紹介している.しかし(メスーディによる紹介を読む限りでは)従業員に対してインセンティブをどう与えるかという制度デザインを無視しているような議論であり,説得力は感じられなかった.

メスーディは,本章の最後で「文化進化は従来の経済理論より正確に経済現象を説明する」と結論をおいているが,より理解するための単純化の前提が完全には正確ではないとあげつらっているだけで,文化進化を使ってより正確な経済現象の理解が得られている例を提供できているとはいえないと思う.文化進化を使って面白いことができるのは確かだろうが,他分野の理解も怪しい中で不必要な批判を行い,文化進化理論を誇大宣伝するこの態度はいただけない.

第9章 人間以外の種の文化

メスーディはここで一転してヒト以外の動物の文化を扱っている.多くの動物の社会的学習,さらに文化的伝統が観察されたことを紹介し,その上で蓄積された文化進化がヒト以外には見られないと指摘する.ではそれを分ける認知能力は何か.メスーディは過剰な模倣傾向,よい方法へ改善する意欲,教育などの議論を簡単に紹介している*2.ここは基本的には生物学の解説ということになるだろう.いずれにせよ文化進化はまだヒトにしか見られていないということだ.

第10章 社会科学の進化的統合に向けて

まず現状の社会科学の「深刻な」問題点が3つ挙げられている.(第1章の復習ということだが,少し中身が入れ替わっている.)

  • 多くの分野では定量的な手法を回避してきた結果,検証可能な予測を立てるのが困難になっている.
  • それを回避していない心理学,経済学は文化を無視して個人行動ばかりに注目している
  • 社会科学はいくつもの分野に分裂し.知見の交流がなく,互いに相容れない仮定に固執している

そしてこれは文化進化のリサーチによって統合できると主張する.その利点については以下のように整理している.

  • 文化伝承の数理モデル,系統学モデルによる検証可能な体系
  • 本質的に分析は静的ではなく動的なものになる
  • 学際的な研究が実際に取り組まれている

続いて文化進化と生物進化の(ややルーズな)分野対比図を示し,文化進化リサーチの空白エリアを今後の有望エリアとしていくつか挙げている,

  • 文化進化発生学:脳の情報がどのように行動,言葉,人工物,制度として現れるかを探索する
  • 神経ミーム学:分子レベルで文化情報がどのように脳内で蓄積,複製,伝達されるかを探索する(生物進化では分子遺伝学に当たるものを考えている.いわゆる「ミーム学」が含んでいる領域のごく一部ということになるだろう)

メスーディは最後にいくつかの未解決問題(何故ヒトだけに文化進化があるのか,大規模な協力社会を実現するものは何か)と文化進化リサーチの将来的なメリット(喫煙,飲酒などの悪習慣,模倣自殺を抑えるなどの方策が得られるかもしれない)を挙げて将来を展望して本書を終えている.

本書は様々なトピックについて文化進化リサーチの現在を教えてくれる充実した解説書だ.一部既存分野への浅い批判と誇大宣伝振りが目につくが,そこを注意すれば,文化進化リサーチの大きな体系(伝達様式の数理化と系統学の応用)とその中での実際のリサーチの進展の状況がわかりやすく示されている.(さらに本書には竹澤正哲によるさらに大きなフレームでの解説が収録されていてあわせて有益なまとめになっている)
リサーチが地道に進展し,学際的交流が増えて,社会科学各分野のフレームの共有が実現すればいろいろと有益なことも多いだろう.文化の変遷やその学際的なとらえ方に興味のある読者には興味深い本に仕上がっていると思う.



関連書籍


原書

Cultural Evolution: How Darwinian Theory Can Explain Human Culture and Synthesize the Social Sciences

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ミーム論の行き詰りについてはこの本.

ダーウィン文化論―科学としてのミーム

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本書で扱われている理論的定式化に関する本

Cultural Transmission and Evolution: A Quantitative Approach (Monographs in Population Biology)

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Culture and the Evolutionary Process

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上記の著者たちによる一般向けの本

Not By Genes Alone: How Culture Transformed Human Evolution

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文化進化についての哲学的な整理についてはこの本が詳しい.遺伝子と文化の共進化,ミーム学のほか文化疫学モデルが整理されている.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20150520

人間進化の科学哲学―行動・心・文化―

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文化系統学についてはこの本.

文化系統学への招待―文化の進化パターンを探る

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ドーキンスミームは「The Selfish Gene」に収録されている.「The Selfish Gene」も初版刊行40周年と言うことで,「40周年記念版」がつい先日刊行されたようだ.

The Selfish Gene: 40th Anniversary edition (Oxford Landmark Science)

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EOウィルソンとラムズデンによる初期の取り組み.

Genes, Mind, and Culture: The Coevolutionary Process

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*1:ナッシュ均衡の文化伝承実験について,これは経済学の理論と衝突する結果が得られたものだと主張しているが,そうだろうか.経済学理論は総履歴を参照する戦略のみがこのゲームの合理解だといっているわけではないだろう.

*2:このほかに心の理論,記号的コミュニケーション,言語なども候補としてあげられている