「進化心理学を学びたいあなたへ」 その8

 

第3章 認知と発達を進化から考える その1

第3章は認知(推論,意思決定,記憶など)と発達が扱われる.

 

3.1 120万人と人口の0.1% 書き方で数の印象が変わるのはなぜ ゲイリー・ブレイズ

ブレイズは数値情報の判断,領域特殊的推論,社会的意思決定を主に研究しているアメリカの進化心理学者,コスミデスとトゥービイのもとで学んだサンタバーバラ学派の1人だ.冒頭はある薬剤の10単位と10,000単位を間違えて投与しあわや医療事故というケースが取り上げられている.私たちの数値に対する判断も進化の影響を強く受けているのだ.

  • ヒトが数値の情報をどのように取り扱うかは進化を通じてデザインされているため現代環境において常に効果的であるわけではない.
  • ヒトが最もうまく数字を扱えるのは「それが頻度として表示されている」「オブジェクト全体,出来事,場所として表現されている」「比較的小さな整数で表現されている」場合であることがわかっている.それぞれ頻度仮説,個別化仮説,参照数量仮説として提唱されてきたものだ.


<頻度仮説>

  • 定量的な情報は様々な形式(絶対度数,単純頻度,パーセンテージ.単一事象確率,割合など)で表現でき,それは相互に交換可能だ.しかし心理的な有効性の点ではこれらは同じではない.
  • この中で情報の頻度表現(1000個の中の400個など)はより良い判断と意思決定をもたらす.まず頻度情報はその根底にあるサンプルサイズの情報を含んでおり,その他のどのような形式にも変換可能だ.そしてそれだけではなく生態学的にもより妥当なのだ.つまり現実世界での情報は頻度として存在する傾向があり,それは進化的時間スケールで世界の本質であり続けた.このため心は頻度データを扱うようにデザインされていった可能性が高い.
  • これは実験によっても示されている.実験参加者は頻度情報が最もわかりやすいと評価する.また子どもは数値情報の解釈についてそれを頻度情報をして受け取るバイアスを持っている.(だから1/2+2/3を「2つのうち1つ」と「3つのうち2つ」と受け取って答えを3/5と解答してしまう)
  • ただし,頻度仮説の主張のうち,「それが進化的に特権的な表現形式である」という主張については議論が続いている.用語の混乱や様々な主張や立場に関する混乱はこの分野ではつきものだ.しかし近年の実証研究はこの仮説を支持している.


<個別化仮説>

  • 頻度仮説は多くの研究結果と整合的だが,では数えられるのは何の頻度なのかということが次の問題になる.世界には数えられるものにあふれており,我々の頭がパンクしていないということは何らかの選別が行われているはずだということになる.
  • 個別化仮説は,ヒトの心がうまく働くのは物体や出来事や場所を総体として数えた頻度を扱う場合である(その一部の側面や様相を数える場合ではない)とするものだ.「魚が15匹」という認知処理は容易だが,「魚の側面が30」は容易ではない.しかし切り身にすれば(個別のものになれば)「切り身が30切れ」という処理が容易になる.
  • 私は一連の慎重な実験で,離散的な要素として知覚される部分へと個別化することでそうした部分についての統計的推論が容易になることを示した.
  • これについても反対意見はあって議論が続いている.


<参照数量仮説>

  • 王暁田たちは,トヴェルスキーとカーネマンの主張した(アジア熱病対策問題の)フレーミング効果が,小集団や家族規模の集団についての意思決定を求められると消失することを見いだした.王はこれはヒトの進化史において繰り返し直接対処してきた数量スケールであることを指摘している.ヒトの心は進化史において典型的に経験してきた量(0〜100程度)を離れた数量スケールを処理できるようにはデザインされていないというこの説明は参照数量仮説と呼ばれる.
  • 私はこの仮説から導かれる予測「非常に低い基準率を大きな参照数量で表現した場合や非常に高い基準率を大きな参照数量で表現した場合,態度や行動に歪みが出るだろう」を検証した.
  • 現代社会にはこのような形式ではない数量を処理する必要がある場面が多く見られる.(住宅ローンの利率,セールの割引率,医療検査の結果解釈など)冒頭の医療事故もこれに対処できなかった1つの例だ.進化的な視点はこのような事故の原因を理解し,回避する手助けになるだろう.
  • 進化的なアプローチには,なお創造論者や文化相対主義者や学問上の純粋主義者からの抵抗があるのは事実だ.しかし理論的に重要で実用的な応用を伴い研究結果はいずれ注目を得ていくだろう.


数量の把握についてもヒトの心は領域特殊的にデザインされているということだが,細かく見ていくのは面白い.「アジア熱病問題のフレーミング効果がEEAで直面したであろう人数に調整すると消滅する」という実験結果は,進化心理学勃興の初期に,このアプローチの鋭さを鮮やかに印象づけるものの1つだったという記憶がある.
なおこの数値情報処理についての関連書籍としては以下のドゥアンヌの本がある.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20100913


3.2 ヒトの理屈はいつだって論理的? 交換と安全の論理 ローレンス・フィディック


フィディックは主に4枚カード問題などの推論課題をテーマにリサーチする進化心理学者で,やはりコスミデスとトゥービイのもとで学んだサンタバーバラ学派の1人であり,この寄稿の冒頭でサンタバーバラ大学院に出願した当時のことを書いている.

  • 1980年代にサイモン・フレーザーの学部生だった私はメンターの影響もあって進化心理学に興味を持ち,1991年にサンタバーバラの大学院に入った.そのときコスミデスは「あなたは社会科学の革命に飛び込んだのよ」と私に話してくれた.そして翌年「Adapted Mind」が出版され,まさに物事は変わっていった.
  • コスミデスの最初の学生として私は4枚カード問題に取り組んだ.(コスミデスたちの裏切り者検知モジュールの議論が解説されている)そして1992年当時,人々は裏切り者検知だけでなく予防措置ルール「もし危険が迫ったら,自分を守る行動をとらなければならない」の侵犯検知も得意であることがわかり始めていた.
  • これはヒトの心が「裏切り者検知」「予防措置違反検知」などの領域特殊的な推論モジュールの集合体なのか,義務に関する領域一般的な推論を行うのかの議論につながる問題だった.私はこの点について研究を行ってきた.
  • 実際にこうした見かけの類似性に反して,社会契約と予防措置に関する推論が異なる神経認知メカニズムによるものであることを示す多くの証拠がある.私は反復プライミング法に基づいてこの2つの推論を切り分けることが可能であることを示した.また社会契約違反検知と予防措置違反検知はその違反が偶然の事故として起こったかどうかに影響されるかどうかに大きな違いがあることも示した(社会契約違反検知の場合のみ大きな影響を受ける).さらに社会契約違反は怒りと予防措置違反は恐れを関連していることも示した.
  • さらに道徳の発達に関する研究では,基準判断として知られる方法が,異なる領域ルールの推論の区別に効果的であることが示されている.大人だけでなく小さな子どもでも義務と社会的慣習を区別することができる.私はこれを用いて,社会契約より予防措置ルールの方がより「義務的」だと判断されていることを示した.
  • そして最も説得的な証拠に神経学的なものがある.(社会契約違反と予防措置違反で異なる脳領域が活性化されていることを示すfMRI研究,脳の領域損傷患者実験が紹介されている)
  • 私は(恥ずかしながら)最近になって不安障害という精神疾患があることを知った.この症状は私の研究と非常に関連しており,(調べていくことにより)予防措置に関する心理メカニズムに豊富な洞察を提供してくれるだろう.
  • また最近は個人差の研究にも関心を持っている.これについてはユニバーサルを強調してきたサンタバーバラ派として気まずさもある.それは個人差は非適応的なノイズであり,重要ではないと考えてきたからだ.しかし精神疾患や発達障害を理解することには意味があるし,非適応的なノイズをよく考察することにより適応産物であるシステムの性質や構成要素についてより見えてくるものがあると考えるようになった.現在,社会契約と予防措置に関して決まったパターンの個人差があるか*1,そしてそのような個人差が今ある(ビッグ5などの)性格特性質問紙調査でこの傾向が捉えられるかどうかを調べている*2
  • 進化心理学が今直面している問題の1つは「進化心理学の射程の再定義」だ.理論的には進化心理学で説明できることは自然淘汰により形作られた心理メカニズムに限られる.そしてそれは過去の進化時間における環境に適応しており,その進化環境は現代の環境と連続しているが違いの方が圧倒的に多い.
  • このようなミスマッチに対してヒトの心がどう反応するかについて進化心理学はこれまであまり注意を払ってこなかった.一部の認知科学者たちはこれに取り組んできたがその説明は「進化で作られた心理メカニズムを単純に転用あるいは拡張利用して帳尻を合わせてきた」というものだ.しかしそのような転用や拡張利用がどのようなプロセスで起きたかの解明は重要だ.
  • まず第1に,それにより単に転用可能なものと,調整に進化時間が必要なものを見分けることができるようになる.例えばコスミデスとトゥービイの最初の4枚カード問題リサーチは社会的交換ルール(直接互恵)の裏切り者検知といいながら,実験に用いた実際のルールは交換とは関連しない「飲酒するなら18歳以上でなければならない」だった.ここを鋭くついた批判もある.しかしもしメカニズムが進化適応してきた問題領域と,それが実際に働く問題領域を区別できるなら,社会的交換を裏切り者検知の進化的説明に入れ込む必要がなくなるのだ.
  • 第2に,転用と拡張の説明を取り入れることにより進化心理学の関連領域は非常に広がる.ある心理メカニズムの進化的説明リサーチは,そのメカニズムが持つ新奇な機能についても洞察を提供できるようになるだろう.そしてそれはおそらく文化や発達にも影響されるはずであり,その結果進化心理学によって真の文化相対主義が説明可能になるだろう.


フィディックの寄稿の前半部分は社会契約ルール違反検知と予防原則ルール違反検知というかなり狭い領域を深くリサーチして得られた知見の解説になっていて,進化心理学の具体的なテーマがどのように追求されていくのかがわかりやすく示されている.後半の進化心理学の将来的展望の部分はなかなか深い.最後の「文化相対主義」に関するコメントには,これまでいろいろ「文化相対主義者」たちからいわれのない批判を受けてきたことへのルサンチマンが垣間見える気がする.

3.3ヒトは何を覚えてきたのか:記憶の進化心理学 スタンレー・クライン

クラインは現在サンタバーバラに在籍し,進化心理学センターの主要メンバーでもある.研究テーマは広いが,ここでは記憶(そして異なる適応領域の記憶は異なるメカニズムによっていること)について語っている.

  • ここでは記憶の科学的研究においても進化がその中心コンセプトになっていることを論証したい.記憶の起源,機能,そして範囲は進化的にどのような適応課題に対して記憶システムがデザインされているかを考察することによって初めて理解できるのだ.
  • 私の研究目的は脳の情報処理の構造を明らかにすることだ.それは心を機能的な単位に解剖することに相当する.
  • 心理学者は長年にわたって情報を符号化,貯蔵,検索するシステムがどのような領域についても同じだと考えてきた.しかし進化的に考えると,異なる適応問題に対して,異なる情報符号化・貯蔵・検索システムのデザインが要求されるはずであることがわかる.例えば鳥がさえずりを覚えるための記憶システムと越冬用貯蔵種子の場所を覚えるための記憶システムに要求される特性は異なるのだ.
  • 個別の記憶システムはそれぞれの適応問題を解決するためにそれぞれの状況で利用可能な手がかりを利用するにようになっているはずだ.つまり記憶のデザインはその動物の生態という文脈抜きでは理解し得ないだろう.そしてそれはその環境だけでなく,注意や学習メカニズムとも共進化してきているはずだ.
  • するとリサーチは適応問題に焦点を当て,機能的ユニットとしてまとまっているシステムを探すという形になる.そして記憶はそのような機能的ユニットの一部であるだろう.記憶は一連の計算プロセスの「相互作用」であり,その一部に符号化・貯蔵・検索がかかわっているだけだと概念化できる.貯蔵された情報が多くの心理プロセスを経て主観的経験になったときそれは「記憶」と呼ばれるのだ.
  • 記憶はプロセス要素間の共適応した関係で,それらのプロセスが共働して特定の適応機能が生みだされる.そしてプロセス要素は符号化・貯蔵・検索に限られない.適応課題を解決するには検索された情報を意思決定や行動に結びつけることが必要になる.さらに適応課題ごとに意思決定メカニズムに必要な情報は異なり,異なる意思決定メカニズムは異なるサーチエンジンと異なるデータシステムにアクセスするだろう.
  • このように考えると,「記憶」などというものはなく,たくさんの記憶システムが存在し,それぞれが特定の問題解決システムと関連しているだけなのかも知れない.
  • ここでエピソード記憶(自分の経験したイベントなどをそれが自分の過去に起こったのだという自覚とともに保持している状態)を考えよう.エピソード記憶は他の記憶システムでは扱えない機能的問題を扱っているのだろう.それは(1)協力関係の履歴を覚えておくこと(2)個人の発言の信用価値を評価すること(3)新しい証拠を得て社会的知識を再評価すること(4)他者に関する一般的範囲を区切ることだ.
  • ヒトは小さな集団で同じ相手と長期にわたる繰り返し相互作用をしてきた.このような社会的相互作用をうまくこなすには「経時的に存在する心理的に一貫した存在」としての自己を表象することが必要になる.このためには単純な符号化・貯蔵.検索以外に(1)自己主体感(自分が自分の行動や思考の主体であるという感覚)(2)内省能力(自分が何を知っているかを知り,自分の心的状態を試みる能力)(3)個人的出来事の連続体として時間を理解する能力が必要になる.
  • エピソードが自分に属するものであること,内省能力があることはエピソード記憶が心の理論システムの構成要素として進化してきたことを示唆している.
  • エピソード記憶の個別のイベントのデータはメタ表象に貯蔵され,「主体」「態度」「判断」などのタグを持つデータ貯蔵構造を持っている.
  • このタグ付けによるメタ表象により,エピソード記憶は意味記憶から分離される.「アレックスは月がチーズでできていると信じている」という記憶は「月はチーズでできている」という記憶と分離されているのだ.これにより自分の世界についての知識ベースを改変することなく他者の信念や欲求について考察可能になる.また妄想的にならずに自分自身の心的状態についての仮想的な推論が可能になる.またメタ表象の「時間」タグも重要だ.これがなければタイムトラベル的な推論は不可能になる.
  • このようなシステム的視点をとることにより,エピソード記憶とは宣言的知識を自伝的な個人的経験に変化させる心的能力のきめ細やかな相互作用から生まれる意識状態であると概念化できる.そしてこの中の構成要素が損なわれるとエピソードの再生に様々な障害が生じることになる.このような例を見ると(様々な例が実例が説明されている),エピソード記憶とはその持ち主が過去に経験した個人的イベントを時をさかのぼって追体験することを可能にし,それを他者との相互作用に関する現在の意思決定に活かせるようにデザインされていることがわかる.


エピソード記憶を進化心理学的に考察するとこうなるという詳しい解説になっている.いかにもサンタバーバラ学派らしい緻密なそして難解な寄稿だ.

*1:これまでのところで社会契約ルールを破る傾向と予防措置ルールを破る傾向があり,両者は区別できることがわかっている

*2:アストンとリーによる人格の6因子モデルがこの個人差をかなりうまく予測することが発見されている