書評 「犬から見た人類史」

犬からみた人類史

犬からみた人類史

 
本書は犬という視点から人類史を見るというテーマで様々な分野の研究者から寄せられた論考を集めたアンソロジーだ.3部構成で第1部は「犬革命」と称して犬の誕生から先史時代まで,第2部は「犬と人との社会史」で前近代から近代まで,第3部は「犬と人の未来学」で現代から未来までを扱う.犬から見たという視点が面白いし,普段読まないような分野の文章も読むことができていろいろ楽しい本だ.

第1部 犬革命

 
イヌの特徴である吠えるという行動がどうして進化したのか,狩猟採集民の遊動型狩猟におけるイヌの役割,縄文人のイヌの使い方,イヌの性格と遺伝子,イヌとヒトの視線のやりとり,犬の比較神話学という論考が並ぶ.
最初の「イヌはなぜ吠えるか」(第1章)という論考は面白い.オオカミはあまり吠えないのにイヌはなぜあのように吠えるのか.まずどのような場面でオオカミとイヌが吠えるのかを分析し,オオカミに比べイヌは「吠え」の制御が情動から相対的に自由になっていると解釈する.そしてイヌへの進化の最初のフェーズは「ヒトの残飯を食べるが繁殖はヒトの制御下に入っていない」という段階であり,そこでは「ヒトにとって怖くない」ことと「ヒトにとって役に立つ」ことが有利になっただろう.そしてガーディングドッグとしての警戒吠えが「役に立つ」ことから,それが有利になって,より頻繁に吠えるために吠えに対する情報的支配が弱まるきっかけになったのではないか.そこから警戒文脈以外でも吠えが可能になり,さらに学習によって吠えることも可能になったのではないかと推測する.そう考えるとおそらく牧畜の開始が食糧生産の増加と共に重要だっただろうと論考を進めている.
狩猟採集民の犬猟のやり方の寄稿(第2章)は詳しいフィールドの記述に迫力がある.縄文犬の寄稿(第3章)は出土した限られたイヌの骨を詳しく記述し,そこからいつ頃からどのような猟にイヌが使われ出したのかを導き出していて面白い.イヌの性格と遺伝子の寄稿(第4章)はイヌの個体差を遺伝子から探るというもので,これも詳細がいろいろ面白い.この中では毛色の濃さと性格の関係についての意外な発見が興味深い.
イヌとヒトの眼の寄稿(第5章)も興味深い.ヒトには霊長類の中で特異的にはっきり白目があり,視線を相手に知らせることができる(視線強調型).これはヒトの社会においては自分の意図を隠すより相手に伝える方が有利になったからだと解釈できる.実はオオカミも集団ハンティングを行う社会性動物で,虹彩と瞳孔のコントラストが明確で視線強調型の眼をしている.しかしイヌは黒目がちで視線を強調するようにはなっていない(黒目強調型).著者はここをいろいろ考察しており,イヌはオオカミから他者の視線への感受性を受け継いでおり,さらに他種であるヒトに対しても自分の視線を送信する能力を進化させている.それには当初オオカミのような視線強調型の眼が役に立っただろう,しかしその後敵対的信号をヒトに向けないイヌが好まれるようになって黒目がちになったのだろう*1と推測されている.
最後の神話についての寄稿(第6章)はいかにも人文学的な寄稿で世界の様々な伝説やおとぎ話を扱っていて楽しい.
 

第2部 犬と人との社会史

 
第2部は前近代から近代の犬を扱う.少し前まで営々と行われていた様々な犬猟や犬ぞりの詳細が扱われていて,あまり知識のない私には大変勉強になった.取り上げられているフィールドはカメルーン(第7章),宮崎(第8章),京都北山(第9章),アラスカ(第10章),樺太(第11章)と続く.このあたりはいかにも犬という視点から描かれた文化人類学的な労作だ.
またそのあとに忠犬ハチ公と日本の軍犬の論考(第12章),紀州犬における犬種の合成(第13章)というちょっと面白いトピックも扱われている.また最後には狩猟者から見た日本の狩猟犬事情(第14章)というちょっと実務的な寄稿もあって面白い.
 

第3部 犬と人の未来学

 
第3部は現代と未来の犬を扱う.ここは全くカオスのようなところで,イヌへの愛とカラハリのフィールドを語るエッセイ(第15章),日本のイヌの葬られ方を淡々と語る寄稿(第16章),ドイツにおけるイヌとのセックス愛好者のレポート(第17章),ブータンの「村の犬」の現在(第18章),コンパニオンスピーシーズとしてのイヌへの論考(第19章)と続く.ただただ寄稿者の提示する世界を受け入れて読んでいくことになる.私的にはこういう文章は普段あまり読まないので大変新鮮だった.
 
このほかところどころに,オーストラリアのディンゴ,南方熊楠と犬,イヌのアトピー性皮膚炎,鹿肉ドッグフードを扱ったコラムもあってそれぞれ楽しい.
 
全体としては犬という視点だけで様々な論考を集めた書物で玉手箱のように楽しい本だと評価できると思う.その中では狩猟犬としてのイヌの実態が非常に詳しく描かれていて充実しているだろう.イヌ好きで理屈好きの人には堪えられない一冊ではないだろうか.


関連書籍
 
生物学的視点からのイヌについてはまずこの本だろう.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20150616/1434454122

イヌの動物行動学: 行動、進化、認知

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  • 作者: アダムミクロシ,´Ad´am Mikl´osi,藪田慎司,森貴久,川島美生,中田みどり
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*1:ハスキーのような例外もあるが,ハスキーの場合には美しい青い瞳に対する好みが優先したのだろうと解説されている