「イヌの動物行動学」

イヌの動物行動学: 行動、進化、認知

イヌの動物行動学: 行動、進化、認知


本書は題名通りイヌの動物行動学について現時点でわかっていることを総説している専門書である.動物行動学(英語ではEthology)はティンバーゲン,ローレンツたちにより第二次大戦後大きく花開いた学問領域だ.私の理解では,動物行動を進化的な視点から観察,実験して,行動・認知の機能,環境との相互作用についての至近メカニズム,発達過程などを考察することが中心になる.この動物行動学は70年代以降,機能と究極因に焦点を絞った行動生態学の興隆とともにあまり脚光を浴びなくなっているイメージだが,もちろんその伝統は途絶えている訳ではない.本書では冒頭に「監訳者まえがき」としてこの動物行動学について簡単に解説されていて親切な作りになっている.原題は「Dog: Behaviour, Evolution, and Cognition」.

第1章「歴史的にみたイヌ,およびイヌの行動研究の概念的問題点」

イヌの行動・認知についての研究史とその問題点が概観される.ダーウィンにも見られる19世紀の擬人的な見方から行動主義の勃興,パヴロフの実験,動物行動学のスタート以降は,オオカミ等の比較観察,認知の重要性についての理解と続く.
ここでやや意外なのは進化的な考察の部分で,グールドの「進化の制約を重視し,適応と外適応を区別しよう」とする議論を好意的に扱っているところだ.イヌの進化を考える際にはごく短い期間の人為淘汰を受けただけで広範囲の形質を説明できず,オオカミ時代にあった土台が重要だということを強調したいという趣旨のようだ.面白いのは比較研究の部分で,大きく擬オオカミ主義と擬赤ちゃん主義があったとしている.ミクロシは両モデルともイヌの進化的な議論を混乱させてきたと批判的だ.
このほかこの章では,ボトムアップモデルとトップダウンモデル,最節約規範,連合主義と心理主義,後成説,社会化,文化化などの概念整理を行い,本書が従うイヌの動物行動学的なモデル「環境からの刺激に対して,知覚システム,参照システム,行為システムの3つのシステムで行動の至近的メカニズムを説明しようとする」が紹介されている.動物行動学の過去の多くの論争がどのようなものであったかが垣間見える記述だとも言えるだろう.

第2章「イヌの行動研究における方法論的問題点」

概念整理に続いて方法論的に難しい部分が解説される.このあたりはいきなり晦渋な問題が延々と議論されていて読者の意欲をくじく作りだが,先に片づけておきたいという趣旨なのだろう.
まずデータの性格.過去の多くの文献にはアネクドータルで定性的なデータで議論が組み立てられているものもある.ミクロシはコラムでそのような主張を切って捨てていて痛快だ.定量データを取る際にはコントロールされた実験が重要になるが,その詳細がイヌにとっての自然な条件になっているかには注意を払うべきことが強調されている.
比較研究ではオオカミとの比較,犬種間の比較の問題点が扱われている.オオカミとイヌの単純な比較は,どれだけなじみのある条件だったかやその動機付けが異なる(イヌの方がヒトを喜ばせたいという動機を強く持っている)かもしれないなどの問題を考慮しなければならない.犬種間比較には固有の問題がある.またイヌにとってはヒト(特に飼い主)の存在は自然だが,それは実験手続きにクレバーハンス効果等の様々な問題を引き起こす可能性がある.片方で最近のトレンドである飼い主等へのアンケート調査にも様々なバイアスが混入するリスクがある.なかなか詳細は難しい.

第3章「人為生成的環境におけるイヌ:社会と家族」

本書はこのあたりから方法論からイヌそのものへの解説に切り替わる.ここでは生物学的にイヌの個体群というのはどうなっているのかがまず扱われる.犬種構成,年齢分布,個体群モデルの推定など楽しい話が続く.アメリカのモデルだと個体群規模は5200万頭で,毎年620万頭が生まれて内580万頭が家庭に入り,引き渡し,野良犬化で毎年360万頭が動物保護施設へ,逆に160万頭が保護施設から家庭に入り,380万頭が家庭で死ぬことになる.
公共の場の中のイヌ,家庭の中のイヌなどはどちらかといえば社会学的な内容も含むがここで議論されている.ここでは「咬むイヌ」についてのリサーチが詳しく紹介されていて面白い.リサーチの多くはイヌの特性のみ見ていて飼い主に注意を払っていないことが批判され,犬種は考えられているほど大きな要因にはならないことが指摘されている.

第4章「イヌ属の比較研究」

まずイヌ属全体が概説される.イヌ属には7つの野生種(オオカミ,4種のジャッカル,コヨーテ,アメリカアカミミオオカミ)とイヌが含まれる*1.この8種はいずれも異種交配可能で産まれた子には繁殖力がある.推定系統樹はいくつもあって難しい問題のようだ.著者は断定していないが,掲載されたいくつもの推定系統樹を見ると,特にアビシニアジャッカルがかなりイヌあるいはオオカミと交雑しているためにその位置が確定できないようだ.いずれにせよイヌがオオカミからの単一起源であることは明白だ.

オオカミはイヌ属の中で特に成功した種で分布域が広く,環境に応じて非常に可塑的で柔軟な行動特性を持つ.亜種とも扱われる多くの地理的な変異があるが,分子的にはごくわずかな違いしかない.ミクロシは様々な局所環境に適応したオオカミが氷河の前進後退にあわせて交雑を繰り返したのではないかと推測している.なおイヌのハプロタイプに最も近いオオカミのハプロタイプはアジアのオオカミ(チュウゴクオオカミ)のものだ.ここからオオカミの行動生態,特にその社会性について詳しく解説されている.群の構造自体も可塑的だが,基本はペアと子供たちというパックだそうだ.
またオオカミからイヌの間には野生のオオカミ,ヒト慣れしたオオカミ,飼い慣らされたオオカミ,社会化されたオオカミ,飼い犬,野良犬,野犬,ディンゴ,社会化されたディンゴなどの広がりがある.野犬の観察においても行動特性の広い可塑性があることがわかっている*2
可塑性については非常に強調されている,イヌの行動を考えていく上では重要なところということだろう.

第5章「家畜化」

ではイヌはどのようにしてオオカミからイヌになったのか.冒頭ではこれまで提示された様々な淘汰理論が紹介されている*3が,進化理論としては些末な問題を扱っていたりナイーブグループ淘汰の誤謬が紛れ込んでいたりして論争自体がぐずぐずであることがわかる.いずれにせよ互いに排他的でないいくつかのシナリオがあって確かなことはよくわかっていないということなのだろう.
続いて化石と考古学的な証拠の時系列が整理されている.イヌの存在の最も古い証拠は1万3千年前,はっきりした初期の証拠は6千年前のものだそうだ.目標を定めた育種の最初の記録はローマ時代のもので小型愛玩犬の存在が知られる.分子的にはイヌの東アジア起源が強く示唆されており,家畜化の時期についてはいくつかの主張があるが,現在のおおむねの合意事項では最初の分岐は2万7千年前で創始者個体数は1万3千頭前後,1万年前から1千年前までのどこかの時期にボトルネックが生じ,現代的犬種はその後現れたということになっている.
家畜化により繁殖期が年2回に増え,生活史戦略も異なってきている.また様々な形態的,行動的な特徴も生じているが,淘汰圧と形質との関係については解釈が難しいものが多い.たとえば「短い鼻面」は注意持続のための淘汰圧の結果である可能性がある.ここでミクロシは全般的ネオテニーの主張を否定し,ベリャーエフのキツネの馴化実験を詳しく紹介している.

第6章「イヌの知覚世界」

ヒトとの比較を通じてイヌの知覚世界が詳しく解説されている.色覚は二色型で聴覚の音域はヒトより広く,そして嗅覚は圧倒的にヒトより優れているあたりは有名だが,本書ではかなり詳細に解説されていて興味深い.面白いのは視覚において時間分解能がヒトよりも細かいことだ.だからイヌにとってはリフレッシュレートが低いテレビ画面はちらついて感じられるようだ.

第7章「物理的・生態的認知」

この章ではイヌの能力が詳しく解説されていて面白い.警察犬のデータでは約半数のイヌが臭いの跡の方向を正確に感知できるそうだ.このほか定位能力,空間的課題の解決(迂回路の発見),隠された物体の記憶能力などが紹介されている.イヌの素朴物理学のリサーチは数多いらしくかなり詳しく論じられている.隠された物体がそこにあることや数や重力などについてある程度の素朴物理学があるようだがそれは簡単に社会的な手がかりに押しつぶされる(検証は難しい)そうだ.

第8章「社会認知」

このあたりは方法論的困難さが増してくる分野であり,議論が非常に慎重になされているのが印象的だ.明白なように思われる飼い主への愛着関係についても安全基地効果と区分できるかという議論があったようだ.ここでは様々なケースにおける愛着関係の証拠を挙げ,比較的短いヒトとの接触でも強い愛着効果が生まれることを示している.逆にイヌ同士の愛着関係について支持する証拠はないそうだ.攻撃関係も様々なことが論じられているが,なかなかはっきりしたことはわかっていないようだ.
コミュニケーションについても詳しい.ここでも方法論的議論が最初に整理されている.イヌは実験において何か課題がうまくこなせないと飼い主を見ようとする.また飼い主に何か持って行くときには飼い主の顔が向いている方向から近づく.またボールの位置を(そのヒトがそれを知っているかどうかに関わりなく)遊んでいるヒトに知らせようとする.またヒトの身振りや指さしを理解できる.ミクロシは慎重な言い回しに終始してるが,基本的に(心の理論は発達していないものの)飼い主とのコミュニケーションに積極的だということだろう.吠え声も詳しく議論されている.イヌはオオカミより吠え,しかもヒトと暮らしているイヌがよりよく吠える.吠え声にも種類があり,飼い主はその意味をある程度理解できる.ミクロシはヒトとの共同生活が発声能力の進化を促したのだろうと推測している*4
そのほか遊び,社会的学習,自己模倣などの社会的影響,協力行動,社会的力量などが扱われている.協力についてはオオカミの共同の狩り起源よりもヒトに飼われるようになった際の淘汰圧の方が大きいのではないかという議論が紹介されている.社会的力量というのは社会的問題解決のためのツールキットを利用する能力のことで,嫉妬,後ろめたそうな様子などが議論されている.なかなかこのあたりも方法論的には難しい領域だ.

第9章「行動の発達」

ここでも最初は機能的アプローチと機構的アプローチという方法論が整理されていてこの分野の特徴をよく示している.
イヌは発達過程における生活史戦略がオオカミと異なっていて,より遅く(第12週齢)まで社会化が可能だ.ここではそれぞれに時期における行動発達の特徴や,愛着との関係が詳しく説明されている.

第10章「気質とパーソナリティ」

ここまではイヌ全体の共通の形質についての議論だったが,ここからは個体差の議論になる.まず気質,パーソナリティ,特性などの用語が整理され,その後記載的アプローチ(行動を記載し評価していくもの),機能的アプローチ(適応的視点から情動反応の機能を考察),機構的アプローチ(遺伝のQTL解析,神経生物学内分泌学的パラメータとの関係を示すモデル)の考え方,これまでの知見などが整理されている.ホットなエリアだが,成果はこれからということのようだ.

第11章「あとがき:21世紀の科学へ向けて」

将来の方向として,イヌの比較行動生物学の基礎付け,人為淘汰による新しい行動の進化,特に収斂現象への注目,多様性,可塑性の説明,大規模な実験,トレーニング方法への応用,オオカミとの発達初期の違い,新しい遺伝学的ツールの利用などが取り上げられている.



というわけで本書はきちんとした専門書であり,これまでこの分野を泥沼の論争に引きずり込んできた方法論的諸問題に注意を払って,慎重かつ抑制的にこれまでの知見をまとめた総説書ということになるだろう.どんどん読み進めて楽しいという本ではないが,様々な方法論的問題を越えたところにイヌの真実の姿がおぼろげながら浮かんでいることが感じられる.特に総説として見事な出来で,この分野に興味のあるリサーチャーには出発点として大変貴重な本ではないかと思われる.
原書はペーパーバックでもKindle版でも50ドルを超えているのに,本書は3800円(税別)という思い切った価格設定になっていて,嬉しいところだ.東海大学出版部には敬意を表したい.



関連書籍


原書

Dog Behaviour, Evolution, and Cognition

Dog Behaviour, Evolution, and Cognition

  • 作者:Miklosi, Adam
  • 発売日: 2009/02/15
  • メディア: ペーパーバック



 

*1:ここではイヌはオオカミの亜種と扱うべきか,独立した種と扱うべきかの問題も議論されている.現在欧州の研究者の多くは独立種派,アメリカの研究者の多くは亜種派なのだそうだ.本書では独立種として扱っている.

*2:なおディンゴの行動特性のところで,子殺しが集団の大きさ調整のための適応として現れた旨の記述があるが,ナイーブグループ淘汰的記述でいただけない

*3:最近ではよく聞くコッピンジャーのヴィレッジドッグ仮説も紹介されているがミクロシは特に肩入れはしていないようだ

*4:なおヒトがイヌに話しかけるときには独特のワンちゃん語(doggerel)を使う傾向があり,これは赤ちゃん言葉とよく似ていると指摘されていて面白い.