Virtue Signaling その24


Virtue Signaling: Essays on Darwinian Politics & Free Speech (English Edition)

Virtue Signaling: Essays on Darwinian Politics & Free Speech (English Edition)

  • 作者:Geoffrey Miller
  • 出版社/メーカー: Cambrian Moon
  • 発売日: 2019/09/17
  • メディア: Kindle版

ミラーはさらに畳みかけ,ニューロダイバージェントな人々にとってスピーチコードがどのように不可解なのかを具体的に説明する.
 

第6エッセイ 言論の自由に関するニューロダイバーシティの擁護 その5

 

ニューロダイバーシティはどのようにスピーチコードの理解を低下させるか

 

  • スピーチコードはニューロティピカルによってニューロティピカルのために書かれているので,ニューロダイバージェントにとってそれはしばしば文字通り理解不能なものになっている.そして意味のわからないルールに従うことは不可能だ.
  • 例をあげてみよう.コードには典型的に「リスペクトフルなキャンパス」「セクシャルなミスコンダクト」「反ハラスメント」ポリシーがうたわれている.
  • それらは以下のことを禁止する:歓迎されない言語的行動,保護されるべき特徴についての歓迎されない冗談,我々のコミュニティーのセンスを逸脱するヘイトあるいはバイアスのある行動,性差別主義者的コメント,下劣な画像,不愉快な物体のディスプレイ,保護されるべき特徴についてのネガティブなポスター
  • これは実際に私の大学のコードにある文言だが,コードとしては典型的なものだ.そして私はこれらの文言が具体的に何を禁止して何を禁止していないのか良く理解できない.実際に私は言論の自由に関する大学の上級委員会やセクシャルミスコンダクト委員会のメンバーであったこともあったが,ずっと理解できないままだった.
  • 性能の高い「心の理論」を持たないアスペルガー症候群の人が,一体どうやればある言辞が自分の知らない人にとって「歓迎されない」ものであるか,そしてどのような言辞が「性差別的」であるかを判断できるというのだろうか.そして一体どうすれば社会規範の正確な理解を欠いたまま,何が「我々のコミュニティーのセンスを逸脱するヘイト行動」に相当するかを判断できるというのだろうか.
  • キャンパスのスピーチコードの言語は正確な定義の幻想を与えるようにデザインされている.しかしそれはまったく曖昧で,誰かが「オフェンシブ」であると訴えた場合,大学側が全く恣意的にどうにでも決定できるようになっているのだ.だから学生や教師は本当は何が禁止されているかについてスピーチコードの行間を読むことを強いられる.
  • しかし人々は言語の理解能力においてそれぞれ異なっている.そしてそれを用いて大学運営ポリシーの複雑さ,ポリコレ文化の激しく移り変わっていく婉曲表現,左翼アイデンティティポリティクスのダブルスタンダードの解釈を行っていかなければならない.スピーチコードの解読には高い言語的社会的感情的知性を使って曖昧な婉曲表現や社会正義標語の裏にある真の意味をはっきりさせることが必要になる.そしてニューロダイバージェントはそれに必要な脳を持っていないかもしれないのだ.
  • そしてスピーチコードは意図的に曖昧に書かれている.それは主観的に攻撃されたと感じた人が誰でもどんなことでも訴えられるようにするためだ.ほとんどの大学のスピーチコードにおいては何がオフェンシブであるかについて「一般通常人基準(reasonable person standard)」が適用されない.ということはつまり,アスピーが大変な苦労の上に「どのような言辞がどのように受け止められるか」についての平均的人間のメンタルモデルを作り上げたとしても,それに頼ることはできないことを意味する.(コードを完全に遵守するには)キャンパスにいるもっとも感受性の高い人に対しても攻撃的と感じさせないようにしなければならないのだ.
  • 結果は「甘やかし文化(”coddling” culture)」になり,大学側はスピーカーのコミュニケーションの権利よりリスナーの脆弱さを優先させるようになる.
  • 大学側は脆弱性を持つのは常にリスナーであると考え,スピーカーがそうであるかもしれない可能性を無視する.PSTD患者がマイクロアグレションを受けるのも防ごうとする反面,トリガーを受けたPSTD患者が不適切なことを口走ってしまいがちになることを全く理解しようとしないのだ.

 
第5エッセイのところでも紹介したが「”coddling” culture」についてはルキアノフとハイトのこの本が詳しい.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2019/04/04/172150