書評 「The Coddling of the American Mind」

The Coddling of the American Mind: How Good Intentions and Bad Ideas Are Setting Up a Generation for Failure (English Edition)

The Coddling of the American Mind: How Good Intentions and Bad Ideas Are Setting Up a Generation for Failure (English Edition)

 
本書は法学者であるグレッグ・ルキアノフと社会心理学者であるジョナサン・ハイトによる近時のアメリカの大学キャンパスで生じている問題についての本である.その問題とは,過度に拡張解釈された学生の「安全」を保護すべきであるとする風潮に学問の自由と学生たちのメンタルが脅かされているというものだ.
 
導入において本書が書かれることになった経緯が描かれている,(冒頭に虚構の寓話が仕込まれていて面白い)著者たちによると現在のアメリカのキャンパスには以下の3つの虚偽がまかり通っているという.

  1. 虚弱性の虚偽:あなたを殺さないものはあなたを弱くする
  2. 感情論法の虚偽:常にあなたの感情を信じよ
  3. 「我々対あいつら」論法の虚偽:人生は善人と悪人のバトルである

そしてこれは古代からの知恵にも,心理学リサーチからの知見にも反しており,これを信じるとその個人にもコミュニティにも有害になるのだと主張している.
そしてこれをルキアノフが気づいたのは2013年に,学生が「トリガリング」内容を講義コースから除去したり,そのような講演者を呼ばないように要求すると聞いたことだったそうだ.トリガリングとは社会正義運動家やフェミニストによる「ある言説の内容が『攻撃的: offensive』であること」を示す用語だそうだ.それはどのようなものが差別発言であるのかの例示なども含み,ホメロスやダンテの文章であってもそう指摘されうる.そして講義に際してそのような内容を含む場合には事前に「トリガリング警告」を行うように要求されるようになった.もちろん学生の過激な要求は昔からあったが,今回の風潮は「学生は脆弱で,守られなければならない」という前提があることが特異的なのだ.
ハイトはこの話をルキアノフから聞き,新しいモラルコードが大学で生まれつつあるのかもしれないと感じて一緒になぜこうなったのかを調べて2015年11月にアトランティック誌に投稿した.その後一連の警官による丸腰のアフリカ系アメリカ人容疑者の銃殺事件,トランプ当選,#MeToo運動などがあり,大学でのこの新しい風潮は加速した.そこで本書を執筆することになったということだそうだ.ここで著者たちは本書の性格についていくつかコメントしている.

  • 過保護は有害になり得る.しかしこれはある意味全般的な進歩の副産物であるとも言える.豊穣な世界の肥満のようなものだ.
  • 本書では道徳的な議論を行わず,実践的な議論を行う.

 
本書は4部構成になっている.第1部でこの新しい『安全文化』の中身を解説する,第2部ではそれが大学や社会にどういう現象をもたらしているかが語られる.第3部でなぜこうなったかが吟味され,第4部で処方箋が提案されている.
 

第1部 悪いアイデア

 
冒頭の3つの虚偽が章ごとに解説されている.
 

第1章 虚弱性の虚偽:あなたを殺さないものはあなたを弱くする

 
冒頭では子どもにナッツに触れさせないことがナッツアレルギーを逆に増やしているという例が紹介され,過保護が逆に子どもの脆弱性につながりうることが説明される.そしてアメリカ国内で子どもの安全について20世紀までは身体的な安全性のみが問題になっていたが(チャイルドシート義務化など)21世紀になって「安全」が拡大解釈されるようになり「感情的安全」を含むようになったことがことが説明される.
しかし他者のどんな言説がどのように「危険」かをどう判断できるというのだろうか.20世紀の「トラウマ」,PTSDの議論を経て21世紀にその基準は完全に主観的なものになった.そしてアメリカの学生は2013年頃から感情的な痛みを感じれば,それは攻撃的で危険だと主張するようになった.これは1995年生まれ以降の世代(iGen)が大学に入ってきた時期になる.彼等は安全に取り憑かれ,安全スペースとトリガリング警告を要求するようになった.しかし子どもは本来様々な考え方に触れることによって精神的に鍛えられるのだ,この風潮は子どもを逆に脆弱にしているのだと著者たちは主張している.
 

第2章 感情論法の虚偽:常にあなたの感情を信じよ

 
この考え方は心理学的知見に真っ向から反している.よく確立された(鬱,食事障害,強迫神経症などに対する)認知行動療法においては,自分のオートマチックに生じる考えをよく吟味し,ネガティブな感情を断ち切ることを行う.そして多くの心理学的なリサーチは数々の認知の歪みを明らかにしている.
そしてこの感情論法が現在キャンパスに横行している.著者たちはいくつかの例をあげている.

  • 最近「マイクロアグレション:microaggression」が問題にされるようになっている.これはデラルド・ウィン・スーが2007年に提唱したもので,意図の有無を問わずに言葉や行動で示される微妙な差別的な行為(「英語がうまいですね」のような言動もこれにあたりうるとされる)を指すものだ.そもそも攻撃は意図的なもののはずだが,スーは問題はそれが与える感情的効果だとし,この概念を正当化する.しかしマインドリーディングではしばしば認知の歪みが生じることを考えるとこれは危ない(容易に意図を誤解されて糾弾される).
  • もう1つの感情論法の例はゲストスピーカーの「講演拒否(disinvitation)」だ.学生を不愉快にしたり怒らせたりする講演者は講演を拒否されるべきだという考え方に基づくものになる.これは現在しばしば大規模な抗議行動を生じさせている.これはソクラテス以来の西洋哲学の方法論を否定するものだ.

 

第3章 「我々対あいつら」論法の虚偽:人生は善人と悪人のバトルである

 
多くの抗議行動は「不正義がなされた」という単純な図式による主張を伴う.しかし事実はいつもより複雑だ.
ここで著者たちは現実の大学で生じた教職者による特に悪意はないとしか思えないメールや言動が「邪悪の意図の元に書かれた」と糾弾され,非難の大合唱の中で辞職を余儀なくされたケースをいくつか取り上げている.そして社会心理学的な「ヒトは容易に部族主義的なマインドセットに陥る」という知見を紹介し,このような「自分たちは正しく,相手は邪悪であり,糾弾されなければならない」という思考様式,特に「共通の敵」アプローチを採るアイデンティティポリティクスの危険性を指摘し,これを乗り越えるにはより包括的な「皆同じ人類だ」というアプローチを採ることが有効だと説明している.また近時のキャンパスではインターセクショナリティによる差別分析(様々な差別の軸を複合的に捉えるアプローチ)が流行っているが,これは学生を細分化し部族主義への傾向を助長しやすいこと,さらにこの「共通の敵」アイデンティティポリティクスとマイクロアグレション理論が組み合わされると「コールアウト文化(敵認定をした相手を公に糾弾し辱めることを是とするもの)」につながり,学生の教育にとっても,彼等のメンタルヘルスにとっても有害だであることが解説されている.
 

第2部 行動におけるバッドアイデア

 
第2部では第1部で解説された近時の風潮が一体どんな騒ぎを引き起こしているのかの具体例が取り上げられる.いずれの事件も迫力のある紹介振りだ.
第4章では2017年のUCバークレーで生じた暴動騒ぎ(これは右派のジャーナリストであるマイロ・ヤノプルスのキャンパスでの講演を阻止しようと一部学生が実力行使に及んだもの)をはじめとした右派講演者の講演実力阻止騒ぎの詳細が取り上げられて,これが「スピーチも暴力になり得る」という残念な思想の影響であることを指摘する.
第5章では「魔女狩り」案件が取り上げられる.まず冒頭で「魔女狩り」の特徴(急速に進行する,社会に対する犯罪が糾弾されるが,実際の行為は些細なものか捏造されたもの,被告を擁護することが難しい)を整理した後,実際の事件としてレベッカ・トゥバル事件(性転換に比べて人種転換Transracialismが非難されるのを考え直そうというエッセイが,トランスジェンダーの人を傷つけるものとして糾弾された)ワックスとアレクザンダー事件(社会問題の解決にはブルジョワ精神にもいい点があるというエッセイが,優越する文化を褒めてはならないというアカデミアのタブーに触れて糾弾された),エバーグリーン事件(人種問題を考えるためにこれまで自発的に有色人種の人々がキャンパスから1日消える形で行ってきた「デイオブアブセンス」を,今回学校側主導で白人が消えるように要請する形式に変えようとすることを批判した教授が糾弾され,最終的に大学全体が無秩序状態になって混乱した)が紹介される.著者たちはこのような状況はクリティカルシンキングに必要な視点の多様性を失わせるものだと憂い,背景にある1990年代半ばから急速に進んだアカデミアのリベラル化の問題を指摘する.
 
この章で実際に紹介されている事件はいずれも衝撃的だ.特に第5章の魔女狩り案件は集団が熱に浮かされたように空気に流されており,アメリカでもこんなことになるのかという驚きを感じざるを得ないものだ.
 

第3部 どうしてこうなった

 
著者たちはここからこのような風潮を創り出した要因を追及していく.著者の指摘する要因は6つある.

  1. 政治的二極化の進展と政党間の敵意の増大
  2. 10代の若者の不安と鬱の亢進
  3. 子育てプラクティスの変化
  4. 自由遊びの減少
  5. 大学の官僚化
  6. 国中を揺るがす大きな事件に対する正義を求める情熱の高まり

 
そしてここから6章をかけて順番に解説される.
 

第6章 二極化

 
アメリカの政治情勢は1990年頃から二極化が亢進している.これは政治的意見を聞くアンケートでも,政党に対する評価アンケートでも顕著に現れている.著者たちはこの原因として,(1)大恐慌,第二次世界大戦,冷戦という国を挙げてのチャレンジがなくなったこと(2)アメリカ人が自分たちをより区分して考えるようになったこと(3)メディアが多元化したこと(4)ギングリッチ以降議会において激しい衝突が生じるようになったことを挙げている.そしてこのような政治情勢の中で1990年代以降大学は左傾化した.これが大学内での右派の活動への敵意を亢進させたというのが著者たちの見立てになる.このような状況で生じる騒ぎについて著者たちは二極化サイクルと呼び,典型的な騒ぎの起こり方*1とその具体例を示している.またこのサイクルはトランプ当選以降悪化しているそうだ.
 

第7章 不安と鬱

 
著者たちが2番目の要因に挙げるのは2010年代以降若者の不安と鬱の比率が上昇しているというものだ.そのような不安心理が保護を求める動きにつながったというのが著者たちの見立てになる.著者たちは不安心理の上昇をコホート効果で説明しており,いわゆるiGen(インターネット世代:1995年以降に生まれたアメリカ人世代)を取り上げる.彼等はスマホやソーシャルメディアの影響を大きく受け,飲酒喫煙率が低く,成熟が遅く,より安定志向であり,不安と鬱の比率が高いとされる.そしてなぜiGenの(特に少女たちの)不安が大きいのかについてスマホとSNSの利用普及による仲間はずれ恐怖の増大を挙げている.
ここはピンカーが,診断基準の拡大やリサーチ方法の問題点から疑問視している部分であり,アメリカでも決着がついていないところなのだろう.著者たちは診断基準に関する批判にも言及しつつ,診断されることによる自己実現的な部分もあるとコメントしている.

 

第8章 パラノイア子育て

 
ここでは最近のアメリカの子育て風潮の変化が取り上げられている.アメリカでは1981年にハリウッドのシアーズで親が目を離した隙に誘拐された6歳の子供が遺体で発見された事件が全米の注目を浴び,(実際の誘拐リスクは極めて小さいにもかかわらず)子どもから目を離すことについての恐怖感がすり込まれた.著者たちは「子どもを絶対に1人にしない」はアメリカの新しい子育て行動基準になり,たとえば最近1人でニューヨークの地下鉄に乗ることを我が子に許可した母親がSNSで激しい非難を浴びるような風潮を創り出しているのだとする.
著者たちはこのような安全主義・ゼロリスク症候群は新たな問題を作るのだと指摘している.子どもが本来経験すべきことを経験できないことはスキルや独立心を得ることの障害になり得る.そして子育てプラクティスは社会階層の問題と絡む.中層以上家庭はこの安心主義さらに濃密干渉主義子育てに浸り,下層家庭は放任主義になっている.一見経験を積める下層階級の方が有利になるようにも見えるが,この文化の分断自体が下層から上層に移る障害になってしまう.
そしてこの中層以上のパラノイア子育ては3つの虚偽に直接結びつくと著者たちは主張する.子どもたちは世界は悪意に満ち危険だと教えられ,「我々対あいつら」世界観に容易にはまり込む.安全ではないという感情を信じるように諭されるのだ.
 

第9章 遊びの減少

 
哺乳類にとって遊びは成熟したあとで用いるスキルを学ぶために重要だ.だからヒトの子どもも遊びが大好きだ.ここで著者たちは“experience-expectant development”概念を解説し,いかにヒトの(言語や社会生活面での)発達にとっても遊びが重要かを説明する.だから子どもには子どもたち同士で自由に遊ぶ経験を積ませるとが重要なのだが,それが減少している.自由遊びは協力や争いの解決スキルの習得にとって重要だ.この能力が低いと3つの虚偽に誘引される.これが著者たちが指摘する4つ目の要因になる.著者たちは自由遊びが減少している理由について,前章で示した誘拐への恐怖もあるが,そのほかに大学入学のための(テスト勉強を含めた)準備時間の増加やスマホの普及があるとしている.
 

第10章 安全主義の官僚化

 
著者たちが挙げる5つ目の要因は大学側の問題だ.大学組織の官僚化は意図せざる悪い結果を招いているというのだ.
学生を守ろうとする官僚的規則は時に学生を非人間的に扱ってしまう(学生が悩みをカウンセルと相談しただけで,自殺的な思考を周りに感染させないようにという脅しのような文章が届く例が紹介されている).この背景には大学が肥大化して企業化することがあり,その結果レピュテーションリスクや法的責任リスクに対して過剰に反応してしまうこと*2.予防的な過剰規制がなされることなどが生じる.それでは教職と学生の間の信頼感は醸成されないだろうと著者たちは訴えている.
さらにここに主観的な感情だけに基づくハラスメント糾弾が加わる.これは発言を萎縮させ,キャンパスにおける言論の自由を蝕むものになる.著者たちは大学は「威厳の文化」から(トリガリング警告,マイクロアグレション,安全空間が要素となる)「被害者の文化」に変容しつつあり,これは学生にモラル依存を生じさせ,争いの解決能力を失わせるものだとコメントしている.
 

第11章 正義の追求

 
著者たちが挙げる最後6つ目の要因は少し面白い.まず著者たちはアメリカ政治の謎を提示する.アメリカでは1950年から54年にかけて生まれた白人はその前後に比べて民主党支持比率が高いのはなぜか.政治学者のギタとゲルマンはアメリカの投票パターンを分析し,人の政治傾向は18歳ぐらいの時の経験に大きく影響を受けると主張した.彼等の議論を受け入れると50年代生まれの白人が民主党支持に傾くのは公民権運動が燃えさかった時にその多感な時期を過ごしたからだということになる.
するとここ数年の政治環境がiGenの政治指向に大きな影響を与えることになる.それは警官による無抵抗な黒人容疑者射殺事件への抗議,ゲイマリッジ運動,49ersのQBキャパニックの国歌斉唱時の起立の拒否による抗議,#MeToo,そしてトランプ政権,銃規制を求めるデモということになる.著者たちはこれらの雰囲気は1968年から1972年にかけてのものとよく似ていると指摘する.iGen はより社会正義に敏感なのだ.
ここから著者たちは正義とは何かという解説に入っている.まず直感的には分配的正義(インプットに比例した報酬の平等)と手続的正義(機会の平等)があり,社会正義としてはまず直感に沿う「比例的手続き的社会正義」(誰かが分配的正義,あるいは手続的正義を無視されたらそれを見つけて解決する)があり,それはまさに公民権運動の柱になった.そしてもう1つは「結果の平等的正義」であり,これは直感とは食い違い,分配的正義や手続的正義を満たさない結果を要求することになる.著者たちはこれがクオータ制やアファーマティブアクションがしばしば激しい議論になる理由だとする.そして著者たちは今日の若者の正義への要求がしばしば後者の「結果の平等的正義」を追求するものであり,因果と相関を取り違えてグループアイデンティティ間の結果の差異を差別が原因だと断定しがちであることを憂えている.

第4部 気づこう

 
第4部では,ではどうすればいいのかが扱われる.著者たちの処方箋は以下のようなものだ.またこれらの改善の兆しもあるとしていくつか例を最後においている

<子育て>

  • 子育ての方向性を変えよう,試行錯誤をさせ,打たれ強くなるように育てよう.(自転車通学を許可しようとかサマーキャンプに参加させようとかいろいろな具体的なアドバイスもある,”LetGrow.org” のサイト(https://letgrow.org)も推奨している)
  • 最悪の敵も自分の誤った思考法ほど害悪ではないことを理解しよう.(認知行動療法やマインドフルネスを進めている)特に世界を善悪の対立と考えるのは有害であることを知ろう.
  • 学校のやり方も変えよう.宿題を減らし,監督下にない子どもの活動を増やそう.身体的なものを除き「安全」という用語を使わないようにしよう.中学以降は"intellectual virtues”を育て,ディベートや理性的議論を教えよう.
  • スマホなどのデバイスに触れる時間を制限しよう.その影響を子どもと議論し,睡眠を確保させよう.
  • 大学進学前にギャップイヤーを作って社会経験を積ませるようにしよう.

 
<大学>

  • もう一度「知的追求の自由」へのコミットを噛み締めよう.学生や教授が言論の自由を奪われそうになっていることを直視し,大衆の激情に流されないというポリシーを確立しよう.抗議者に講演者の排除権を認めるべきではない.
  • 多様性を確保しよう.ギャップイヤーを推奨し,"intellectual virtues”育成を実践している高校の枠を広げよう.
  • 明示的に3つの虚偽を否定しよう.
  • 細分化されたアイデンティティポリティクスに拘泥せずに「我々」の輪を広げよう.「本大学の精神」を掲げ,より多様な意見を大学内で表明できるようにしよう.

 
 
本書は現在アメリカの大学で生じている変化を扱う「教育と智恵」についての本になる.トランプ当選以降のアメリカのリベラルの憤りは深く,いろいろきしみが生じているだろうなあとは思っていたし,UCバークレーの騒ぎは聞いていたが,こうして読んでみるといろいろ深刻な部分があることがわかってくる.日本のキャンパスでは(若者の安倍政権支持率が比較的高いこともあって)少し事情が異なるようにも思うが,やはり思想的な影響は受けるだろうから,今後は注意が必要なのかもしれない(先頃「ヌードの美術講義が『セクハラ』だとして女性が京都造大を提訴」のようなニュースが流れたのは記憶に新しい).
また第3部の原因追求パートは現代アメリカのいろいろな側面が捉えられていてなかなか興味深い.私的には本書の読みどころだった.
処方箋のところは理想論に流れていてどうやって実践するのかのところが難しいだろうという感想だ.スマホの時間制限の是非というのも微妙な気がするし.「抗議者による講演者の排除を認めるべきではないこと」に関しては「あからさまなヘイトスピーチの場合にどうするのか,例外を認めるなら線引きをどうするのか」が実務的には最大の課題になると思われるが,本書はそこに触れておらず,やや物足りない.
本書はピンカーの「Enlightenment Now」やマット・リドレーの「The Rational Optimist(邦題:繁栄)」の議論に大いに触発されたとも書かれているが,それでもところどころピンカーの言う進歩懐疑主義的な記述もあって面白い.それもこれも合わせていろいろと参考になった一冊だった.
 

*1:左派の教授による右派のやり口を非難するコメントに対して右派のメディアがその一部をねじ曲げて取り上げてレイシストだと反撃,それに学生が乗せられて教授の糾弾騒ぎに発展し,大学当局は教授を擁護できないという流れが典型的だそうだ

*2:HBOの人気テレビシリーズ「ゲームオブスローンズ」の「我は自らのものを火と血でもって得るだろう(I will take what is mine with fire and blood)」というスローガンが入ったTシャツを着た娘の写真をSNSに投稿した教授にたいして「FireはAK47を連想させる」として休職措置をとった例が紹介されている