書評 「人が自分を騙す理由」

 
本書は「ヒトは行動の動機について意識的に気づいていないことがある」ことをテーマにした本になる.著者はこのテーマについて深く興味を抱いた2人で,1人はコンピュータ科学と科学哲学を学んだ後にベンチャー企業でエンジニアをしていたケヴィン・シムラー,もう1人は社会科学者かつ経済学者(修士は物理学と科学哲学)であるロビン・ハンソンであり,いかにも知的好奇心と才能にあふれた2人組だ.邦題の副題は「自己欺瞞の進化心理学」となっているが,著者たちが本職の進化心理学者であるわけではない.しかし関連文献をしっかり読み込んだ上で書かれていて内容は深い.
原題は「The Elephant in the Brain: Hidden Motives in Everyday Life」.「部屋の中のゾウ」というのは,そこに明らかに存在するのに皆それが存在しないかのように扱うことを指す英語の慣用句で,原題は脳の中に意識的に気づいていない動機があることをうまく表現したものになっている.
 
本書の構成は序章のあとで総論の第1部,各論の第2部という形になっている.
 

序章

序章では著者の2人がそれぞれ隠された動機に気づいたときのことが書かれている.ハンソンにとってはそれは医療政策に取り組んだときに,医療を受ける行為については「自分がケアされていることを見せびらかしたい」という動機もあるとしなければ説明できない様々な現象を目のあたりにしたことであり,シムラーにとってはベンチャー企業内の人間関係が単に業績を上げる以外の様々な動機に基づいていることを発見したときだったそうだ.そして2人にとって最大の謎は,なぜ人々はよく考えると明らかなその隠された動機に意識的には気づいていないのかということだった.そして彼等は進化心理学,ミクロ社会学,認知社会心理学,霊長類学,経済学の知見を漁り,それを統合して様々な社会の矛盾について解説する本書を書き上げたということになる.
 

第1部 なぜ動機を隠すのか

 
冒頭では動物の行動においても行動の見かけから推測される目的とその進化的動機が食い違っている例が挙げられている.霊長類のグルーミングは皮膚の衛生が目的のようだが,実際には社会的絆の強化の機能も持つ.そして(ザハヴィの観察した)アラビアヤブチメドリの歩哨行動は群れのための警戒行動であると共にオスの順位ディスプレイでもあるのだ.このあたりは動物行動の究極因を理解するのは意外と難しいということで,自己欺瞞に直接結びつく話ではないが,一見それらしい「目的」「動機」が真の進化的要因とは限らないという意味でのウォーミングアップというべきものだろう. 

ここからヒトの行動における様々な適応課題を挙げ,その中で意識的にはあまり認めたくない課題(性的嫉妬,仲間内の地位争い,夫婦間の権力争い,不正行為の誘惑など)があること,そのような場合には自分がよく見える説明を好むことを見る.著者たちは明確に断っていないが,ここで扱われているのは単に「適応的に行動するために究極因を意識的に理解している必要はない」ということより深く,「うまく行動するには真の「動機」に沿った行動調整が必要になるが(そしてそれは良く考えれば明白であるが),意識的にはそこは隠されている」という問題になる.
著者たちは進化的な適応問題は同種個体間での相対的な優劣にかかるものであることが多いことを指摘し,トリヴァースの自己欺瞞仮説なども参照しながら解説を進める.ポイントはこれらの問題(配偶,社会的地位,政治)の解決には相手からパートナーとして選んでもらうことが重要であること,そのために自己の評判を保つことが重要であること,そのためのシグナルとハンディキャップ原理になる.
 
ここで著者たちはヒトの社会の規範の問題に進む.ボームによる狩猟採集民の平等主義規範を紹介した後,その強制性の謎(罰の連合執行とそれを可能にする武器の登場,評判形成)を解説し,そこから「意図」の重要性,自慢や見せびらかしあるいやごますりをあまりあからさまに行うことの問題点,身勝手な動機を隠すことの有利性を説く.つまり社会規範は適応課題についての利己的な競争関係を制限するものであり,それをかいくぐれると有利になるが周囲にばれると罰を受ける.このためヒトは他人の視線の敏感になり,「恥」の感情を持つ.
さらに著者たちはここで「共有知識」という視点から一段深く議論する.不正はそれが共有知識になると告発が容易になる.だからヒトは自分の不正が仮にばれても少なくとも共有知識にならないような様々なテクニックを用いる.ここはいわゆる「間接話法の有用性」の問題だが,なかなか面白い.
そこから著者たちは「自己欺瞞」の問題に進む.まず旧来の自己欺瞞についての見解であるフロイト的「防衛」が成り立たないことを説明し,トリヴァースの自己欺瞞の議論をもう一度採り上げ,対戦型ゲームにおける(相手方に自分の選択を信じ込ませる)戦略として理解すべきであるとする.まずこちらの手を読もうとする相手を操作するためには,自分の手が制限されていることを相手に信じさせることが有用な戦略になる.そしてそのような操作戦略を無意識に押し込めて意識の上では自己欺瞞に陥っている方が相手に見破られにくいことから自己欺瞞の有利性が説明される.著者たちはそこから自己欺瞞をタイプ別(狂人,忠臣,チアリーダー,詐欺師)に分類し,それぞれの具体的実例を示している.また自己欺瞞により誤った決定を行うリスクについては,モジュール性からそれが最小化されている(つまり意識は自己欺瞞に陥っていても無意識下のモジュールでは真実を把握している)と説明する.
さらに著者たちはクルツバンの意識=報道官説を紹介して,この自己欺瞞により我々は(対人関係が問題にあるような文脈において)一般的に自分の行動の真の動機について無知であることを指摘する(これが脳の中の最大のゾウということになる).ここではこの知見がどのような実験的続きで明らかになったのかも解説され,最後に著者たちの経験した実社会での実例も紹介されている.
 
著者たちの基本的なストーリーはボームの平等主義と規範,規範にかかる罰と共有知識,そして対人関係の戦略における自己欺瞞という形でつながっている.規範についてはもっと広い議論があるし,共有知識をそこまで強調しなくとも単にばれたらうまくいかない戦略があるというだけでもいいような気もするが,基本的には自己欺瞞の話に持っていくための前段ということなのだろう.自己欺瞞の部分については関連文献をしっかり読み込んだ上で噛み砕くように丁寧に説明がなされており,一般の読者にとってはわかりやすい解説になっているだろう.
 

第2部 日常生活の中の隠れた動機

 
第2部は第1部で解説された自己欺瞞つまり隠された動機についての各論になる.著者たちの独自の考察もいろいろと含みつつ様々な問題について説得的に仮説を提示している.
 

  • ボディ・ランゲージ:我々は自分のボディランゲージにほぼ無自覚で,他人のそれにもあまり気づいていない.この表現形式は(言語の語彙と異なり)ユニバーサルで,不随意であり正直なシグナルになりやすい(自覚的に行おうとすると不自然でぎこちなくなる).なぜ自覚的ではないのか.脳の処理能力が足りないという問題もあるが,基本的にはボディランゲージはしばしば醜い動機を表しているからだろう.(ここで配偶,政治,地位争いにかかる具体例の解説がある) ボディランゲージは曖昧なので,報道官が知らなければ自信を持って醜い動機を否定できる.これは重要だったのだろう.実際にこれらのボディランゲージが何を意味しているかの公的な場所での指摘はしばしばタブーになっている.

 

  • 笑い:笑いの一部は社会的規範の境界線を探るために用いられており,重要な社会的合図への反応であり,不随意な社会的行動と捉えることができる.ハーレー,アダムズ,デネットはユーモアが存在する理由を考察したが,本書の視点とは少し異なっている.笑いを社会的機能という視点から考えると,それは「危険なことをしたりしゃべったりするけど本気じゃないよ」というシグナルになる.そしてこれを通じて曖昧で文脈依存的な規範の境界線や笑いの対象者の社会的地位を探ることができる.そして多くの人はその機能に気づいていない.この無知はこれらの社会的関係を探るための戦略と考えることができる.(ボディランゲージと同じく)笑いが比較的正直であり,また曖昧なために否定可能であることはこれらの機能と関連しているだろう.

 

  • 会話:会話を行うのはなぜか.よくいわれる「情報の共有」は,我々が返報なしにしゃべりたがること,互いの発話内容に関連性があることが求められることを説明できない.ミラーは会話における発話は自分が配偶相手,友人,同盟相手として望ましい素質を持っていることをディスプレイしているのだと指摘した.内容の関連性要求は(制限をクリアできるような)より多彩な能力のディスプレイに向いているからだと説明できる.人々がニュースに夢中だがその正確性には無頓着なのも,ディスプレイのための「お題」だとすれば理解できる.そして学術研究の発表においても名声が影響を与えるなど様々なディスプレイ要素を見ることができる.

 

  • 消費:消費の多くの部分は競争のシグナリングと解釈できる.これはヴェブレンが顕示的消費と呼び,ミラーが説得的に議論しているものだ.例えば我々が「エコ」商品を(環境への真の影響にはあまり頓着せずに)買うのは環境を助けているように見られたいからだ.これは向社会的資質のディスプレイだと考えることができる.このほかにディスプレイされているのは,特定のサブカルチャーへの忠誠,流行への感受性,知性などがある.そして我々はこのディスプレイの動機(配偶者,友人,同盟者として相手から選ばれたい)については無知だ.「ライフスタイル」広告はこのディスプレイのための共有知識の観点から理解できる.

 

  • 芸術:ミラーは芸術について選り好み型性淘汰の適応度ディスプレイとして説明した.(動物の選り好み型性淘汰の特徴,ヒトの場合双方向淘汰であることの説明がある) さらに芸術は友人,同盟相手として選ばれるためのディスプレイにもなっているだろう.そして芸術家はやはりこの動機を意識する必要はない.オリジナルと同じように美しい複製が評価されないこと,写真の登場により写実的絵画の価値が大きく下がったこと,多くの芸術が非実用的であることはディスプレイ説により理解できる.また鑑識眼は芸術家の適応度を評価する上で重要であるだけでなく,(それを手に入れるのが難しいことから)それ自体が適応度ディスプレイとなっているだろう.

 

  • チャリティ:社会で見られるチャリティの様相は効果的利他主義と相容れず,偽善そのものだ.寄付を行うものは問題の規模や寄付の効果に無関心で,多数のプロジェクトに分散して少額寄付することを好む.自分の慈善行為が目に見えることを好むこと,仲間の圧力に敏感なこと,(慈善の決定にあたって)距離的な近さを重視すること,具体的に共感できる相手を(慈善対象として)優先すること,異性が見ている前でより慈善行為を行う傾向があることを考え合わせると,慈善行為は自分の向社会性の(配偶者,友人,同盟相手として選ばれるための)ディスプレイであると考えられる.距離的な近さが重要視されるのはリーダーとしての資質として内集団重視が好まれるため,具体的共感が重要視されるのは,計算尽くで功利的に慈善行為とするのではなく,目の前の困っている人を思わず助けるような人間であることが配偶者や友人の資質として好まれるためだろう.

 

  • 教育:現在ほとんどの学問はオンラインなどにより非常に小さなコストで学ぶことができる.だから多くの人々が多額のコストを払って有名校をめざすのは情報や技術の習得という目的では説明できない.また多くの卒業生は学んだ知識を長期間保持しないし,学校はより良い教育方法が知られているにもかかわらず採用しない(宿題,相対評価,教科をまとめて教えることの問題点は早くから指摘されているそうだ).これらは学位が雇用者への自分が優秀だというディスプレイであると考えて初めて理解できる.また有名校は巨大な人脈作り機関,(子息を有名校に行かせるという)顕示的消費としても機能しているだろう.政府が公立学校をより効率的な学習機関に変革しようとしないのは,学校の国民の洗脳機関(従順に指示に従って労働するように飼い慣らす)としての有用性があるからかもしれない.雇用者が学位をシグナルとして認める背景にはこの有用性があるのだろう.

 

  • 医療:アメリカ人は医療に大金を支払っている.尋ねられると医者にかかるのは健康になるためだとほとんどの人が答えるだろう.しかしこれは「自分が支援を受けケアされている」「自分はケアすべき相手をケアしている」というディスプレイ(顕示的医療)である側面が大きいのだ.実際に医療の歴史は効果のない治療法であふれており,人々は医療行為の効果には無頓着で,助けるべき相手に医療を受けさせない場合の非難は激しい.この結果医療は過剰になっている(それを示すエビデンスがいくつもあげられている).また医療の多くが顕示的医療であると考えると,医療費について知り合いに負けまいと見栄を張ること,より犠牲が大きい医療が好まれること,病院や医者の名声が重要視されること,医療効果を率直に問うことがためらわれること,予防医療よりドラマティックな治療が注目を集めることなどがうまく説明できる.

 

  • 宗教:宗教ほど脳の中のゾウを見事に体現しているものはないだろう.非常に大きなコストのかかる行動(イスラムの巡礼,戒律遵守など)を行い,根拠のない不思議な信念を持つ.多くの人類学者と社会学者はまず信念があって行動が生じると考えている.しかしすべての宗教が信念を問題にするわけではなく,問題にする宗教も「信念を公に受け入れているかどうか」は問題にしても個人的に信じているかどうかを厳密に追求することは稀だ.そして宗教的行動と極めて似ている行動はスポーツファンなどにも見られるが,そこでは信念が原因になっているわけではない.つまり信念は二次的でコミュニティこそが重要なのだ.ハイトが議論しているように,宗教は通常の社会規範に加えて,儀式的犠牲によるコミュニティ内での地位獲得,それをめぐる聖人間の軍拡競争を通じて大きな規模で協力的なコミュニティを作ることができる.宗教に向社会的規範が多いこと,同調性の儀式があること,明瞭なメンバーバッジがある場合が多いことはこれで説明できる.このコミュニティの中で不思議な信念を受け入れることは(そのコストの大きさから)忠誠のシグナルとして機能する.

 

  • 政治:現代民主主義国家における国民の投票行為は,実際に与える政治的影響が極小であるために経済行為としては成り立たず,なぜそういう行動をとるかが問題になる.しばしばある説明はそれがより良い政府を得るための正義の行いだからだというものだが,投票者は票の決定力,政策の実用的詳細に無関心であること,彼等の意見は凝り固まっていて強い感情を伴うことは説明できない.投票にコストがかかること,投票バッジに魅力があることを含め,投票行為は特定グループへの忠誠シグナリングと考えると最もうまく説明できる.

 
著者たちのボディランゲージ,医療についての議論はオリジナリティがあり,なかなか面白い.会話,消費,芸術,チャリティについての議論は,ミラーの議論に沿ったものになっている.ただしミラーが特に強調するパーソナリティのシグナルである部分について触れていないのはちょっと残念だ.教育はブライアン・カプランの議論に沿っているもののようだ.学位が雇用者へのシグナルだというのはかなりあからさまで意識の上にもあるのではないだろうかという気はする.宗教はハイト説に沿っているが,ミーム複合体や宗教指導者の操作の観点がなく,かなりナイーブな議論に止まっているという印象だ.政治についての忠誠バッジの指摘はピンカーも「21世紀の啓蒙」において啓蒙運動をはばむ大きな要因として挙げていたところだろう.
 
各論のあと著者たちは最後にゾウの存在を認めることで,状況認識を正しく行えるようになること,そして隠された動機と対峙してより善い行いをすることも可能になること,より良い制度設計も可能になることをコメントしている.そして動機が醜悪でも行動は美しいかもしれず,それも良しとする大局観を持つことを勧めている.
 
 
本書は知的好奇心あふれる著者たちが進化心理学を勉強し,ヒトの行動における隠された動機についての一貫性ある仮説を組み上げて一般向けに提示するというなかなか面白い企画がかなりうまく成功している.それは著者たちの文献の読み込みがきちんとして深いことによっているのだろう.本書の考え方の基礎として最も大きいのはクルツバンの「だれもが偽善者になる本当の理由」とミラーの「恋人たちの心」「消費資本主義!」,そしてトリヴァースの「The Folly of Fools」ということになるが,トリヴァース本がなお邦訳されていない日本ではその意味でも貴重な本ということができるだろう.


 
関連書籍
 
原書

 
トリヴァースは70年代にドーキンスから「利己的な遺伝子」の序文を依頼され,そこで自己欺瞞にかかる進化的説明を行ったが,しばらくそのテーマを論文や本にしてこなかった.しかしついに2011年,自己欺瞞についての本を出した.濃密で大変面白い本だが,邦訳はされていない.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20120523/1337774801

 
ヒトの心のモジュール性,意識の報道官説など大変に深いクルツバンの進化心理学本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entries/2011/10/01

 
同邦訳 私の訳書情報はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20141001/1412160200
 
 
ヒトの心における性淘汰についてのジェフリー・ミラーの素晴らしい本(初版は2000年)



同邦訳

 
その考えを進めて消費行動を扱った本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entries/2010/10/09

 
同邦訳
私の訳書情報はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20171226/1514240384
 
 
ボームによる狩猟採集社会の平等主義についての本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20141228/1419728069
 
 
ハーレー,アダムズ,デネットによるユーモアの進化的起源についての本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20120104/1325684884
 
 
同邦訳.私の訳書情報はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20150227/1425038673
 
 
カプランによる教育についての本.面白そう.未読