From Darwin to Derrida その34

 

第4章 違いを作る違い その9

 
ヘイグによる遺伝子概念の深掘り.一旦戦略的遺伝子を整理したあと発生システム理論との論争を取り扱った.ここから遺伝子淘汰主義に深く関わる深掘りになる.なぜ遺伝子は特に重要だと考えるべきなのかの部分だ.一言でいうとそれは自分の複製効率に影響を与えうる存在だからということになる.ここではそれをオープンエンド性と呼んでいる.
 

遺伝子は特別か?

 

  • 遺伝子以外のものも数多く複製される.それらには膜組織,歌,伝統,巣などがある.

 
これらはなぜ遺伝子が特別なのかとめぐる論争において哲学者たちが取り上げた遺伝子以外の複製子の例になる.ここではステレルニーとグリフィスの「Sex and Dath」のほかステレルニー,スミス,ディキソンの論文が参照されている.その題名は「The extended replicator」だそうだ.
 

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  • しかしながら遺伝子はそれ以外のほとんどの伝達変異作成者と異なる特別な特徴を持つ.ヘルマン・ミュラーはそれを遺伝子は自分の複製の触媒となるのだと説明している.(ヘルマン・ミュラー1922)
    • しかし最も注目すべきところは(しばしば指摘される)自己触媒作用ではない.それは,遺伝子の構造が偶然の変異で変化したときに,その遺伝子の触媒としての性質が引き続き触媒として機能するように変化することがあることだ.つまり遺伝子の偶然の構造変化が触媒反応において適切な変化を呼び起こしうるということだ.・・・

 
このミュラーの論文の題名は「Variation due to change in the individual gene」になる.1922年だから集団遺伝学による現代的総合より前の時代になる.ここで全文読むことができる.
https://www.journals.uchicago.edu/doi/pdf/10.1086/279846

 

  • この先見の明ある記述はDNAの構造解明の前になされている.我々は現在これがどのように達成されるのかの詳細を理解している.DNA分子に生じた構造変化のすべてが複製において保たれるわけではない(二重らせん構造の「背骨」の部分の変化は保たれない,塩基配列の変化は保たれる).さらに複製エラーの訂正のための校正と修正メカニズムが進化している.しかし一部の変化は修正されずに保たれ,広大な配列の可能性の追求を可能にしている.ミュラーはこのようなオープンエンド型の遺伝的変化の特徴が広範囲な影響を与えたことを理解していた.
    • つまり遺伝と変異が進化をもたらすのではない.変異の遺伝,そして遺伝子構築の一般原則として変異があってもその自動触媒機能が保たれることが進化をもたらすのだ.・・・・
  • 偶然により生じ淘汰を受けた構造の変化のすべてが自己触媒作用を損なわずに次世代に伝えられるわけではない.また遺伝子以外の複製子がこのようなオープンエンド型の適応変化を示すことは極めて稀だろう.
  • 確かにヒトの文化進化は(文化的複製子の性質について議論はあるが)このオープンエンド型の特徴を持っている.しかし意味ある文化進化が生じるにはその前に(文化進化以外の過程により)洗練された知的生物が生じることが必要だっただろう.
  • 遺伝子は特別なのだ(また同じ意味で文化も特別だ).

 
これがヘイグによる遺伝子淘汰主義の本質部分ということになる.1922年という古い時代の論文が引用されているのは以下にも衒学趣味というところだろうか.最後に自分の言葉でも遺伝子淘汰主義の擁護を行っている.
 

  • 戦略遺伝子は遺伝子の自己利益追求エージェントとしてのメタファーを洗練させたものだ.自然淘汰により選ばれた表現型は,次世代により複製を残そうとするエージェントが合理的にとるであろう表現型に似ている.遺伝子は心を持たないが,それがあたかも戦略的意思決定を行うかのように見ることができる.
  • 一部の論者はこのメタファーに惹かれる(デネット,ケラー).一部の論者はこれを狡猾でパラノイド的だと見る(ゴドフリー=スミス).
  • このエージェント的メタファーは遺伝子以外の複製子(例えばDNAメチル化,膜組織,巣.株式市場に投下された資金など)を表現するにはあまり魅力的ではないだろう.では遺伝子淘汰主義者は一貫していないのか.それとも遺伝子とそれ以外の複製子には原理的な違いがあるのか.
  • 私はこの原理的な違いが,ミュラーのいう遺伝的伝達のオープンエンド性にあると信じている.遺伝子は無限の遺伝複製子であり,それはそれ以外の複製しに比べてはるかに広大な環境における機能情報を蓄積するのだ.

 
デネット,ケラー,ゴドフリー=スミスの名が出てくるのは,この両者の間に論争があったからということになる.ゴドフリー=スミスが「Darwinian Populations and Natural Selection」の中で遺伝子淘汰主義をパラノイド的と貶し,それに対してデネットとケラーがそれぞれ反論したと言うことのようだ.デネットの論文「Homunculi rule」は全文読むことができる.

Darwinian Populations and Natural Selection

Darwinian Populations and Natural Selection

https://ase.tufts.edu/cogstud/dennett/papers/homunculi.pdf

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