書評 「進化と人間行動 第2版」

 
本書は進化心理学,人間行動進化学の(日本語で書かれた)最も優れた入門書として読まれ続けてきた本*1の22年ぶりの改訂版である.著者には初版の長谷川夫妻に大槻久が加わり,この間の様々な知見の進展に合わせた全面的なアプデートを行っている.トピック的には生活史戦略,協力行動の進化(特に間接互恵性),文化の重要性の部分の改訂が大きい.また全体を3部構成にして見通しをつけやすくする工夫も加わっている.
 

第1部 進化とは何か

 
第1部は本書のテーマについての序章と進化学についての概説(ダーウィンの進化学,分子進化学,行動生態学)がおかれている*2
 

第1章 人間の本性の探求

 
第1章は序章的な部分になる.人間の理解のためにはヒトの進化と適応という観点が有用であること,遺伝と環境の問題(ヒトの行動には遺伝も環境も影響を与えていることは当然であり,それぞれどれほど,どんな影響を与えているかの解明が重要),これまでの社会科学における前提とその誤り(SSSM批判),遺伝決定論(という誤解),(近年知見が深まってきた)エピジェネティックスの重要性が説かれている.また最後には本書で扱うテーマがどのような(誤解に基づく)批判を受け論争を経てきたのかについて(社会ダーウィニズム,社会生物学論争)簡単に解説がある.
 

第2章 古典的な進化学

 
第2章は伝統的な進化学の解説.ダーウィンが進化と自然淘汰を提唱するまでの歴史,自然淘汰・適応・適応度の簡単な解説,様々な適応の例(ダーウィンフィンチのくちばし,オオシモフリエダシャクの工業暗化,ヒマラヤを渡るインドガンのヘモグロビン構造,鎌型赤血球症,ヒトの皮膚の緯度勾配),ヒトが引き起こした適応(病原体の適応性獲得,乱獲によるタラの生活史変化)が解説されている.
 

第3章 現代の分子進化学

 
第3章は分子進化学の解説.遺伝子の物理化学的実体(DNAの構造,複製機構)*3,遺伝子の発現機構(転写,転写調節,翻訳),突然変異,中立説と分子系統樹,ゲノム科学の進展がまず解説されている(ここは第2版で追加された部分になる).こののち行動にも遺伝子が影響を与えうることが様々な例(トックリバチの巣,インコの雑種の行動,カッコウのヒナの宿主の卵排除行動,色覚が行動に影響を与えること,オキシトシンの感受性が配偶システムに影響を与えること)とともに説明されている
 

第4章 「種の保存」の誤り

 
第4章は行動生態学の解説だが,特に進化が「種の保存」に向かって進むという誤解を解くことに注力されている*4.ローレンツにみられるグループ淘汰*5の誤解,ウィリアムズによる誤解の指摘,メイナード=スミスによる数理的解説,行動生態学の勃興,子殺しの個体淘汰的解釈,進化ゲーム理論による儀礼的闘争の説明,例外的にグループ淘汰が働く場合(そしてそれは血縁淘汰としても解釈できること)が解説されている.
 

第2部 生物としてのヒト

 
第2部ではヒトの進化,適応形質が扱われる.人類進化史,生活史戦略,家族(血縁淘汰),協力の進化,性の違い(性淘汰)が主に採り上げられている.
 

第5章 霊長類の進化

 
第5章では霊長類の特徴が概説されている.霊長類というグループの特徴.大きな脳と社会脳仮説,大型類人猿とその社会構造,チンパンジーの特徴(協力傾向,道具使用,コミュニケーション)などが解説されている.第2版では霊長類全体の進化史が大きく付け加えられて充実している.
 

第6章 人類の進化

 
第6章では人類進化史が概説されている.ここでは初期猿人,猿人,原人,旧人,新人という区分を用いて,犬歯の縮小(性的二型性),直立二足歩行,臼歯の発達と退化(食性の変化),大脳の発達の傾向を概説したのち,それぞれのグループが取り扱われている.第2版で付け加えられた知見として,現在直立二足歩行についてはラブジョイの「食料供給仮説」が有力視されているがこれはアルディピテクス・ラミダスの分析から生まれた仮説であること,最近発見が続くアジア地域での原人の多様性,旧人段階での火の利用と調理仮説,ネアンデルタール,デニソワとサピエンスの混血などのトピックが紹介されている.
 

第7章 ヒトの生活史戦略

 
第7章は第2版で付け加えられた章になり,ヒトの生活史戦略を扱う.生活史戦略とは何かがr戦略とK戦略を用いて説明され,そこから霊長類の生活史戦略の解説になる.霊長類は典型的なK戦略者であり,中でも類人猿はその極致ということになる.続いてヒトの生活史戦略が解説される.脳の大型化などに伴い様々な生活史パラメータが調整されている.ここでは妊娠期間(脳の大型化との関係で議論がある*6),離乳時期(ヒトの離乳時期は大型類人猿よりはるかに早い.共同子育てが大きく関係していると考えられる),長い子供期と思春期の存在,閉経の存在(ホークスのおばあさん仮説とカントの世代間競争仮説)などが解説されている.
 

第8章 血縁淘汰と家族

 
第8章は血縁淘汰を扱う.まず血縁淘汰理論の解説があり,ハミルトン則,血縁度,生物世界の例(社会性昆虫の不妊ワーカー,ジリスの警戒温,鳥類のヘルパー),血縁認識(表現型マッチング,物理的近縁性,ヒトにおける親族呼称)が説明される.
ここからヒトの血縁者間の協力がテーマとなり,具体例としてバイキングの連合形成,イヌイットの捕鯨船クルー,ヤノマミの争い,おばあさん仮説の解釈,アヴァンキュレート*7,チベットの一妻多夫制,半きょうだいと全きょうだいの親密度の違いが採り上げられている.
続いて血縁淘汰とコンフリクト状況がテーマとなり,殺人の研究,子殺しの状況(シンデレラ効果),親子間コンフリクト(親の投資理論の簡単な解説含む),母親と胎児のコンフリクトとゲノミックインプリンティング,親による選択的投資(トリヴァース=ウィラード効果),父系社会における女児差別,女児への偏向投資が解説されている.
 

第9章 血縁によらない協力行動の進化

 
第9章は直接互恵,間接互恵による協力の進化がテーマ.
直接互恵性のロジックの説明,動物に完璧な例は認められないというのが大勢だが,その側面を示す例(チスイコウモリ*8,雌雄同体の魚類の交尾行動)がまず紹介される.そこから具体的な直接互恵性の成立条件,特にフリーライダー排除の必要性と繰り返し囚人ジレンマ実験としっぺ返し戦略の有効性,裏切り者検知心理メカニズムの存在と4枚カード問題が詳しく解説される.
次に間接互恵性のロジック,ヒトの歴史においては農業革命以降知らない他人との相互作用が増えてよりこのロジックが重要になったであろうことが説明される.そこから公共財ゲーム,罰あり公共財ゲーム,最後通牒ゲームにおける知見とそれが間接互恵性(評判を重要視する心理)と進化環境と現代環境のミスマッチから説明できる部分があること*9が詳しく解説されている.
最後に「ヒトは元来協力的か」ということについて簡単なコメントがある.ヒトの進化環境においては直接互恵性に基づく社会関係が重要であり,ヒトの行動には「相手の協力には協力でお返しする」という社会的交換ヒューリスティックが埋め込まれているのではないかと示唆している.
 

第10章 雄と雌:性淘汰の理論

第10章は行動生態学の基本解説に戻り性淘汰がテーマ.生物の性,有性生殖と無性生殖,性差の存在をまず抑え,そこから性淘汰理論が解説される.ダーウィンの洞察,同性間競争強度の性差についてトリヴァースの親の投資理論からの説明と実効性比からの説明,同性間競争の態様(量と質)と精子競争,配偶者の選り好み,ハンディキャップ理論とランナウェイ,配偶者防衛とEPC,(霊長類に見られる)子殺しとメスによる対抗戦略(メス連合戦略と乱婚による父性の撹乱戦略),雌雄間コンフリクトが簡潔に解説されている.
 

第11章 ヒトにおける性淘汰

 
第11章はヒトにおいて性淘汰がどう働いているのかを扱う.
まずXY染色体による性決定の仕組みを説明し,LGBTQの説明(性決定メカニズムが複雑であることから,一定割合でシナリオ通りに進まない事態となる*10)がある.
ここからヒトの進化においてどのように性淘汰が働いてきたかが解説される.まず配偶システムが説明される.身体の性差から推測される配偶システム(性差はそれほど大きくないが,典型的な一夫一妻種よりは大きく,若干のオス間競争,精子競争があったことが推測される),歴史的民俗史的に見た配偶システム(20世紀前半まで法制度的には一夫多妻を認める社会が多いが,実際には極く少数の男性のみ一夫多妻を実現していた)が説明され,近縁の類人猿と比較した場合の大きな特徴は一夫一妻や(少数の)一夫多妻の家族が集まって共同繁殖する多層構造の社会を持っていたことだと指摘される.
次にどのようにペアボンドが形成されていくのかが解説される.ヒト社会では本人同士の恋愛・愛着だけでなく,家族(特に親)の承認,社会の承認が重要になる.そこから社会における配偶競争,配偶者選択(恋愛)事情が,伝統的父系社会(家父長制社会)の場合,狩猟採集民の場合,現代社会の場合についてフィールドリサーチの結果も交えて丁寧に説明される.
ここで進化心理学的な配偶者選択基準として有名な男性の女性のWHRについての好みが取り上げられて特に丁寧に解説がある*11
最後に家父長制が論じられている.伝統社会で見られる家父長制的慣習には配偶者防衛と考えられるもの(女子割礼,女性の行動制限)があること,家父長制の起源*12,出世地からの分散*13,男性の暴力,権力志向*14などが説明されている.
 

第3部 心と行動の進化

 
第3部ではヒトの行動の進化を解明するアプローチ,その際の文化要因の重要性がテーマとなる

第12章 ヒとの心の進化へのアプローチ

 
行動の進化へのアプローチとして他動物種との比較(近縁類人猿との比較,同じような生態を持つ動物群との比較*15),ヒトの個体発生からの考察*16とネオテニー説や自己家畜化説,人類学や考古学とのコラボレーション*17,文化間比較(進化心理学勃興時にはユニバーサルが強調されたが,現在では通文化性と文化間差異の両面から検討されることが増えている),進化理論に基づく仮説検証型研究(殺人率の性差,年齢別カーブの研究が解説されている*18)などが扱われている.
 

第13章 ヒトにおける文化の重要性

 
第13章は第2版で大幅に改訂され,ヒトの行動における文化の役割を強調する.
まず文化の定義,動物に文化はあるかを簡単に解説し,文化伝達の様式(目的模倣: emulation,動作模倣: motor mimicry,社会的促進,教育),スペルベルの表象感染説と個人の考えの変容の重要性,ニッチ構築*19とヒトの文化,遺伝子と文化の共進化*20,文化の累積的発展,進化環境と現代環境のギャップのトピックが扱われている.
 
 
以上が本書の概要になる.初版の当時から進化,行動生態学,ヒトの行動進化と進化心理という膨大なトピックを簡潔にまとめた素晴らしい教科書だったが,それが様々な知見を加えて改訂され,さらに充実した教科書にブラッシュアップされた*21.この分野の初学者にとっては前にもまして必読本ということになるだろう.
 
 
関連書籍
 
初版

 
その他の初学者向けの進化心理学本
 
個別の行動の至近因,究極因を整理した事典,通読しても面白い.私の書評は
https://shorebird.hatenablog.com/entry/2021/07/09/131933

 
中国の進化心理学学習者向けのガイド本.多くの著名進化心理学者のエッセイが集められている.私の書評は
https://shorebird.hatenablog.com/entry/2018/11/30/081619

 
本書初版と並び,2000年代に出された入門本

*1:初版は2000年4月,21刷りまで進んだそうだ

*2:本書はもともと東大駒場の教養科目のテキストとして書かれたものであり,進化全般についての概説がなされているということになる

*3:なお本章のコラムでなぜDNAのチミン(T)がRNAではウラシル(U)なのかが解説されている.化学的にはUを使う方がエネルギー効率がいいが,DNA上のシトシン(C)は時折ウラシルに化学変化してしまう(修復酵素によりすぐに修復される).このため暗号にUを使っているとCが変化したUなのか,もともとのUなのか区別できなくなり,DNAの役割である長期保存記録として望ましくないことになる.しかしRNAでは短期間なのでエネルギー効率優先の方が適応的ということらしい

*4:初版では章題は「「利己的遺伝子」と「種の保存」」とされていたが,第2版ではこうなっている.いつまでたっても消え去らないしぶとい誤解ヘの問題意識が窺える

*5:本書では群淘汰という用語が使われている

*6:かつてはヒトは生理的な早産とされていた.チンパンジーはメス体重が30キロで妊娠期間が34週なのに対し,ヒトは50キロで38週しかない,アロメトリー的には早産に見える.これは胎児脳の大型化と2足歩行のトレードオフの中での適応だと考えられてきた.しかし最近別の可能性も指摘されているそうだ.メス体重だけでなく新生児の体重と脳重まで考えるとアロメトリー的にはヒトの妊娠期間が長いと判断でき,また女性の骨盤をもう少し大きくしても歩行効率はたいして下がらないことも示されているそうだ.とはいえ出生後に脳が大きく成長する必要があるためにヒトの新生児がチンパンジーに比べて無力なのは確かだ.この新しい考え方によるとヒトの妊娠期間は子どもの脳の成長に必要なエネルギーを子宮内で与えるより体外授乳および共同子育てで与える方が効率的になる時点で出産が生じるということになるそうだ

*7:母方のおじが男の子に特別な投資をする例

*8:チスイコウモリの例は有名だが,血縁個体間の血縁淘汰的な説明も可能ではないか,「恩人」への選択的な応報についての明確なデータがないのではないか,という疑義があるそうだ

*9:罰あり公共財ゲームで見られる利他罰的な行動や最後通牒ゲームに見られる不公平分配への拒否は,実は将来相互作用する可能性のある相手への裏切りへの威嚇をおこなう(自己のタフさについての評判を守る)心理と完全な匿名性はない(あるいは二度と相互作用しない他人というのはほとんどいない)という進化環境での行動傾向の現代環境へのミスマッチで説明できる可能性がある

*10:これは自然に生じるプロセスであり,そのような個体も差別を受けずに自由に暮らしていく権利を持つと思っているとコメントがある

*11:1990年代にデヴェンドラ・シンは0.7程度のWHRの好みがユニバーサルに見られると報告した.しかし調査対象男性が西洋文化に偏っていたためユニバーサルではないのではないかという疑義が出され,ペルーやタンザニアの西洋文明とあまり接触のない集団ではそのような好みが見いだせないとういう報告も出された.片方で思春期になる女性のウエストがくびれてくるのは生物学的事実でもある.ここでは西洋文明でランナウェイが生じた可能性も含めてより調査が必要だとまとめられている

*12:父性の不確実性から来る配偶者防衛が究極因と考えられる.資源の防衛が可能になると男性間競争が激しくなることが予想されること(民俗史的には家畜の飼育とともに母系制から父系性社会に移行する傾向がある)から農業革命以降に階層化と家父長制が顕著になったと考えられることなどが解説されている

*13:ミトコンドリアとY染色体遺伝子からヒトにおいては父方居住と女性の分散が多かったことがわかっている

*14:男性間でより競争が激しいこと,男性が女性をコントロールできることにより父性を確実にできることが重要だと説明されている.より地位の高い男性が女性から選り好まれるためにそれを志向したという要因も効いている可能性については触れられていない

*15:狩猟行動,配偶システム,言語などが例に採られている

*16:ヘッケルの反復説,フロイトやピアジェによるヒト心理についての(現代においてはとても受け入れられない)反復説的な考察,それが心理学の中でなお総括されていないことなどが説明されている

*17:ミズンの認知考古学,ヘンリックの小規模伝統社会における最後通常ゲームのフィールド実験などが解説されている

*18:ここで著者の1人である長谷川眞理子の日本の殺人の研究についての解説がある

*19:本書ではニッチェ構築と表記されている

*20:有名な乳糖耐性と酪農文化の話を紹介し,これ以外には個別の文化との共進化の明確な事例はないととする.ここでは新奇性追求とDRD4遺伝子の関係(ただしのちのメタ分析では当初報告されたよりもずっと関係性が小さいことがわかった),セロトニントランスポーター遺伝子の日米差なども説明されている.

*21:私的には,性淘汰の理論的解説があまり改訂されていないところ(フィッシャー条件の吟味が解説されていない),進化心理学の重要概念である心の領域特殊性(モジュール性)の説明が削られているところ(なぜ省略したのかは定かではない.紙幅の都合ということだろうか)が少し残念だが,それは完璧を求めすぎるないものねだり的な感想の領域ということになろう