書評 「進化心理学を学びたいあなたへ」

進化心理学を学びたいあなたへ: パイオニアからのメッセージ

進化心理学を学びたいあなたへ: パイオニアからのメッセージ

 

本書は中国で進化心理学を学ぼうとする学生向けの教科書だ.バス,デイリー,ダンバーなどの大御所を含む進化心理学者34名による,自分の歩んできた道,明らかにした知見,今後の課題,若いリサーチャーむけのアドバイスなどを内容とする寄稿を集めたサイドリーダー的な書物になる.原書は英語の寄稿に中国語の解説が加えられたものだが,この訳書においてはさらに日本の進化心理学者の短い寄稿をコラムとして収録している.原題は「进化心理学家如是说(進化心理学者かく語りき)」,ニーチェの哲学書を踏まえた題名になっている.
 
 
まず読みどころになるのは多くの著名な進化心理学者たちの自伝的エピソードが収録されていて,進化心理学の勃興史を様々な登場人物の視点から眺められるところだろう.人間行動生態学の流れとサンタバーバラ派進化心理学の流れもよくわかる.特にバス,デイリー,ローの証言は貴重なものだ*1.共通しているのは,心理学やヒトの行動傾向のリサーチについて進化理論を用いることにより理論的な基盤がしっかり得られることに気づき,一気に視界が開ける知的興奮体験,そして執拗に繰り返される藁人形論法を用いた進化心理学批判との戦いのやりきれなさだ.批判には大きく括ると,進化心理学を遺伝的決定論と誤解し,ヒトの行動や心理に環境が影響を与えると指摘すれば進化心理学を木っ端みじんにできると誤解しているもの,機能仮説と歴史仮説を混同し,検証できないなぜなに物語だと誤解しているものの2つになるようだ.どんなに反論してもまた新たな批判者が沸いて出てくることや,政治的動機を疑われたり人事的に不利に扱われたりすることについても多くの寄稿者が触れている.そしてそうはいっても近年は状況が改善していること,それでも進化心理学者になるならこのような批判に晒されることへの覚悟が必要なことも指摘されている.
 
次のポイントは各寄稿者の特に強調したい主要なリサーチ結果についての要約が得られることだ.本書の教科書的な性格部分になる.基礎的な部分に加えて,進化心理学の最近のいろいろな取り組みについて学べる日本語で読める貴重な文献ということになるだろう.初期の進化心理学のめざましい知見として,性差の説明,チーターディテクターなどのモジュールの説明があり,社会脳仮説のインパクト,個人差の取り扱い,文化進化,感情や条件付き戦略としての生活史戦略というトピックの面白さが提示されている.そして現在多くの進化心理学者が取り組んでいる問題として,推論,意思決定過程の問題があることがわかる.さらに周辺分野への応用として,産業組織心理学,マネジメント(経営学),マーケティング,法学分野での取り組みが紹介されている.個人的に面白いと思ったのは,自己欺瞞についての検証の取り組み,サロウェイその人による生まれ順による条件付き戦略仮説の擁護,ポーランドが共産主義から資本主義に移った際の人々の行動変化のリサーチ,進化心理学擁護のための科学哲学的取り組みあたりの部分だ.中国での出版ということで,中国と日本の進化心理学者,社会心理学者の寄稿も寄せられている.中国の学者の寄稿は貴重なものだし,日本からは長谷川寿一と山岸俊男が寄稿していてそれぞれ味わいがある.(訳書に付け加えられた日本の学者によるコラムも自伝的な内容が多く,それぞれ楽しい)
 
また進化心理学という学問フレームワークについて研究者自身がどう感じているかのところも読みどころになっている.それまでの心理学が思いつきの理論の流行廃り的だったものに理論的基礎を与えるものであり,仮説生成,検証を可能にするものだというのがまずあるわけだが,その上でしばしば言及されているのが,これまでのリサーチが性差や配偶戦略の部分に集中しているが,なお手つかずの広大な応用分野が広がっていること,進化自体がアカデミアで受け入れられつつあり,実践への期待が広がっているということだ.また厳しい自己批判的な率直なコメントも散見される.これまで進化心理学者は批判をはねのけるために,仲間内に甘い傾向があるのではないか,もっと仲間内で健全な批判を含めた議論を行うべきだとか,他分野にもっと敬意を払って共同でリサーチを進めるべきだというような指摘もある.耳を傾けるべき部分なのだろう.
 
 
そして学生向けのアドバイスも基礎的なものから実践的なものまでいろいろ書かれていて面白い.フェスラーのアドバイスは主張はわかりやすくというものから進化心理学と個人的道徳の危機にまで渡り幅広いものだし,ミラーのアドバイスはアメリカのアカデミアの予算配分やジョブ需給を踏まえた実践的なものだ.
 
 
進化心理学は,進化適応という統一的なフレームで物事を俯瞰することにより,ヒトの様々な行動傾向や認知バイアスなどについてなぜこうなっているのかという疑問に答えることができ,さらにその適応主義的なフレームから興味深い仮説を提示し検証することもできる大変エキサイティングな学問分野だ.しかし日本においてはまだまだ教科書的な本が少なく,いずれも2000年代の前半に書かれたもので,やや内容が古くなりかけている.そういう中では本書は広く様々なトピックを扱い,自伝的エッセイ風な寄稿や実践的なアドバイスも含む内容の濃い本であり,さらに様々な学者の様々なスタンスや物事の見方が一気に読めて大変エキサイティングな読後感が得られる.進化心理学を学ぶにあたってのいわば必読のサイドリーダーというべき本だと思う.
 
 
なお本書の個別の内容や参考文献についてはhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20180707/1530928708以降のノートを参照いただきたい.


関連書籍


原書


日本語による進化心理学概説書
やはり今でもまずこの本.長谷川寿一,眞理子による東大教養学部での講義用に作られた教科書だ.

進化と人間行動

進化と人間行動


カートライトの入門書

進化心理学入門 (心理学エレメンタルズ)

進化心理学入門 (心理学エレメンタルズ)

  • 作者: ジョン・H.カートライト,John H. Cartwright,鈴木光太郎,河野和明
  • 出版社/メーカー: 新曜社
  • 発売日: 2005/06/01
  • メディア: 単行本
  • 購入: 3人 クリック: 32回
  • この商品を含むブログ (13件) を見る


エヴァンズによるちょっとポップな紹介書

超図説 目からウロコの進化心理学入門―人間の心は10万年前に完成していた (講談社SOPHIA BOOKS)

超図説 目からウロコの進化心理学入門―人間の心は10万年前に完成していた (講談社SOPHIA BOOKS)


若手研究者分担執筆による進化心理学と周辺分野のトピックを集めた一冊.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20131017/1382015218

心と行動の進化を探る: 人間行動進化学入門

心と行動の進化を探る: 人間行動進化学入門

*1:残念ながらコスミデスとトゥービィの寄稿がないが,弟子筋の証言がたくさん寄せられている