- 作者: バーンドハインリッチ,Bernd Heinrich,渡辺政隆
- 出版社/メーカー: どうぶつ社
- 発売日: 1995/05
- メディア: 単行本
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「マルハナバチの経済学」で有名なベルンド・ハインリッチ(本書ではバーンド・ハインリッチという表記になっている)による本.原書が出版されたのは1990年,翻訳された本書は1995年に出されたものだ.ハインリッチは「マルハナバチの経済学」の後,「ヤナギランの花咲く野辺で」という本を出して自分の半生と研究の周辺を語ってくれた.そのときの著者のリサーチのフォーカスは昆虫の生理,行動パターンがいかに環境に適応しているかというものであり,まだハミルトンに始まる行動生態学的な関心は見せていない.本書はその後のメーン州で行動生態学的な視点でワタリガラスを研究したエピソードを詳しく語ってくれる.(なお本書も沓掛先生のホームページ http://d.hatena.ne.jp/shooes/20080816で紹介されていた本だ)
さて本書の最大の特徴は,ワタリガラスの行動の謎を解き明かすワクワク感を臨場的に伝えてくれているところだ.かつてファインマンはある研究で自然法則の1つを発見し,「それは今世界中で自分だけしか知らない自然の秘密なのだ」と興奮したと書いている.本書はまさに自然の秘密を自分が最初に知りうることだけを報酬に奮闘する研究者の姿が見事に描かれている.
本書の中心になる謎は,「なぜワタリガラスは冬場の餌場(大型動物の死体)に仲間を呼ぶのか」というものだ.ほかの鳥は仲間に見つかって自分の取り分が減らないように静かに食べる.しかしワタリガラスは特徴的な声(本書ではわめき声と名付けられている)をあげて何十羽も集まって食べるのだ.一見これは利他的な行動であり,まさに当時の行動生態学が興味を持つべき題材だ.
しかしワタリガラスの生態の研究は並大抵のものではないことは容易に予想できる.零下10度以下にもなる酷寒のフィールドで,個体識別が困難で,かつそれほど密度も高くなく,さらに非常に頭がよいとされる動物を研究するのだ.(なお,ワタリガラスは北米では留鳥であるが,日本ではその名の通り渡り鳥で,冬期の北海道でしか見られない.ハシブトガラスをさらに大きくした大形の鳥である)
ハインリッチは,しかし,ひるまずに突入する.そこからの苦闘はなかなかの物語だ.まず観察するための餌の確保.牛などの動物の死体をいろんなルートで手に入れる.そしてそれをフィールドに運び込むのが大変だ.最後は手で何十キロもある肉を1メートル以上ある深い雪の登り道のなか何回も担ぎあげるのだ.さらに厳寒の中での観察.見つからないようにブラインドの中にはいるのだが,何しろ零下10度以下の中をじっとしているのだ.小屋の中からの観察でも最初の頃は煙突からの煙が行動に影響を与えるかもしれないと室温零下のまま観察する.途中からはワタリガラスがどの方角から来てどこへ去るかを確認するために,夜明け前に樹木のてっぺん近くまで登って,寒風吹きすさぶ中夜明けを待つのだ.
そしてそこまで苦労してもワタリガラスはなかなか集まって食事をしてくれない.餌を見つけてもなかなか食べようとしないし,簡単に仲間を呼んだりしないのだ.そしてある時は突然に仲間が集まる.本書ではすべてのデータをさらしてくれているが,そこにわかるようなパターンはないのだ.
パターンが見つからないまま,いくつもの仮説を立てて(当然ながら血縁選択や互恵的利他行動仮説も提示される)考え抜く.簡単そうな,あるいは派手な仮説は早々に棄却される.謎は残るが,1年2年と冬期の観察を続けて行くにつれてだんだんワタリガラスの生態が見えてくる.オスメスのペアによるなわばりと若鳥の群れという構造.そして少しづつ有望な仮説が見えてくる.
ある時にふと捕獲と個体識別というアイデアがわき起こる.あんなに賢い鳥を大量に捕獲する方法はあるのか.ここからはミッションインポッシブル風だ.学生を大量動員しての大作戦.自然科学の本としては秀逸な,手に汗握る展開となる.
捕獲作戦の結果,飼育や個体識別も可能になり,さらに観察とデータを積み重ね,ついにワタリガラスの行動の背後の理屈が見えてくる.本書は最後に執筆段階での結論と残された謎,さらに今後の研究プランを示して終えている.ネタバレにならないようにここで謎の解決を書くのは控えるが,著者の大奮闘と豊富なデータの結果の結論はリアリティを十分に感じることができる.
本書は行動生態学の興隆期の息吹を感じさせるとともに,ハインリッチの研究者としての執念を見事に伝えてくれる.そして本書の最大の売りは,自然の謎を解き明かすという企画の壮大な面白さを,研究者そのものの視線で,データもありのままに見せ,臨場感たっぷりに見せてくれることだ.研究者の研究物語には面白い本が多いが,本書は特定問題について集中した記述が素晴らしい効果を生んでいる.上質のノンフィクションとしても一級品の仕上がりだと思う.
なおこれは私がカリフォルニアで出会ったワタリガラス.見事な鳥である.(冬の北海道ではまだはっきり確認していない.遠くにそれらしい黒い鳥が飛び去るのを見たことがあるだけだ)
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