「Natural Security」 第6章 淘汰,セキュリティ,進化国際関係

Natural Security: A Darwinian Approach to a Dangerous World

Natural Security: A Darwinian Approach to a Dangerous World


第6章はグレゴリー・ディートルによる「淘汰,セキュリティ,進化国際関係」と題されている.ディートルはコーネル大学の古生物学の教授で,古生物生態が専門ということのようだ.


ディートルは「自然のもっとも本質的なものは変化だ」と本章を始めている.しかし多くの政治学者は州のような政治実体を不変のものとして扱うのだそうだ.しかし冷戦終了後の国際関係は変化を説明できるフレームワークが必要になっている.ここで有用なのが進化的アプローチだというのだ.


しかし「進化」という視点を取り入れるにはいろいろな問題がある.ディートルは国際関係に「進化」を取り入れるときに淘汰単位は何になるかという問題を取り上げている.
これについてジョージ・モデルスキは政策のセットとしてとしての政治システムだと主張していることが紹介される.ディートルは,この見方はこれまで国際関係で主体とされていたものは実はヴィークルであり,政策こそ淘汰単位だと主張しているものだと解釈している.ミーム理論みたいな話だが,ちょっと無理があるように思えるところだろう.要するにディートルはこの考え方を批判して自らの考えを示したいということらしい.



ディートルは生物学者として進化理論を国際関係に応用するときにどう考えるべきが議論したいといい,まずダーウィン自然淘汰理論は生物に限らず前提を満たすものには何にでも応用可能であることを強調する.そして国際政治に応用する場合の最初の問題点は,淘汰の客体は単に環境により淘汰されるだけでなく環境に多大の影響を与えることだという.ここはニッチ構築的な議論だ.
ディートルは生物でもそういうことはあるのだといい,これが障害ではないことを説明している.ここは特に問題のないところだろう.


次の問題は淘汰の単位だ.
通常の進化生物学を応用するのであれば,淘汰の単位は変異の中で有利なものが生き残っていくもの,すなわち自己複製子であるというところから始めることになる.しかしここでディートルはグールドの考え方を説明し,さらにD. S. ウィルソンの考え方も取り入れ,こういう考え方からは淘汰単位は「相互作用者」になると議論を進める.そしてドーキンスの考えを批判している.
ディートルは古生物学者なのでグールドびいきということらしい.すっかりグールドに絡め取られたよくわからない議論が3ページにわたって続いている.なぜそう考えるべきなのかについて何を言っているかよくわからない.ここは読んでいてがっかりだ.
とにかく結論としてはディートルの主張は淘汰単位は「マルチレベルで見た相互作用者」ということらしい.


そしてここまでの政治実体の変遷を進化的に説明しようと試みる.そして相互作用の様々なシナジーが協力的かつ階層的な政治実体を有利にしたのだという.だから効果的なセキュリティシステムは協力的な相互作用があるものだということらしい.そして具体的な何かの応用はこれからだという.これまた要するにどう応用するかの話もないということのようだ.

本章はグールドに絡め取られた中身のないつまらない章だった.