ウォーレスの「ダーウィニズム」 第13章〜第14章

Darwinism

Darwinism


第13章 The Geological Evidences of Evolution 進化の地質学的証拠


第13章は化石記録についてだ.ダーウィンは化石記録がなぜ完全でないのかについて丁寧に説明を行った.ウォーレスはそこは短く済ませて,不完全な化石記録の中にダーウィニズムの証拠となる例を見いだして紹介するといういう戦略をとっている.
最初はハンガリーの700メートルに及ぶ湖底堆積物の中から貝が連続的に変化していくことを示している例を取り上げ,さらに注目すべきものとして北アメリカから発見された馬の化石を取り上げている.ウマの化石はこれにかかるマーシュやハクスレーの見解とともに有名であるが,当初から注目を集めていたことがわかる.このほかにワニ,サイ,シカの角の変化なども例にあげられている.注目すべきは,ウマの系列が北アメリカで進化したにもかかわらず,北アメリカではごく最近に絶滅していた問題について,これは人間が引き起こしたかもしれないと示唆している点だ.なかなか鋭いと言えよう.


ここからは様々な生物に見られる化石の系列の進化的な解釈がなされる.自由に論じていて大変楽しそうだ.大型化した生物が絶滅していることについては大型になることにはコストもかかること,特殊化しすぎた生物は絶滅しやすい傾向があることなどを論じている.
植物化石については,顕花植物が白亜紀に突然出現したように見えることを取り上げている.ウォーレスはこれは始新世に哺乳類が突然現れたことによく似ていると評し,大気の二酸化炭素量や乾燥化などの生態要因が大きく変わって顕花植物が有利になったのではないかと論じている.時代ごとの動物群の盛衰図が載せられているのが面白い.そのほかここでは昆虫,脊椎動物の栄枯盛衰を語ってくれている.


最後にウォーレスは,このような化石記録の発見とともに空白は埋まりつつあり,主要な生物群の漸進的変化の証拠はそろってきていると述べている.つまりダーウィン学説の地質学的難点はもはや無くなったのだというわけだ.



第14章 Fundamental Problems in Relation to Variation and Heredity 変異と遺伝に関する基本的な諸問題


ウォーレスが本書を書いた時点は,まだメンデルの法則の再発見の前であり,やはり遺伝の法則については事実上何もわかっていなかった.というわけで30年たってもあまり遺伝と変異の法則については明らかになっていないのだが,本書ではダーウィンより一歩前進できているところがある.それはラマルクの「用・不用」の原理の否定,あるいは獲得形質の遺伝の否定だ.


ダーウィンが「用・不用」の原理を否定しなかったのは,使われない器官が(特にコストがなさそうなのに)退化していくという観察例があるからだった.ウォーレスは問題の体部が大きなままでいることに絶えざる自然淘汰が必要であることに気づいており,有用でなくなれば自然淘汰の働きで使われなくなった体部が縮小していくと説明できるとしている.これをゴルトンの「平均への回帰」の比とつの例として説明しているが,これは今日的には少し違う話のように思われる.

ダーウィンが「用・不用」の原理を否定しないことにつながった「コストがなさそうなのに退化している例」は洞窟の動物の眼の退化だが,これについても,眼の組織が精巧であることや怪我や病気になりやすいことがコストになるだろうと主張している.そして,野生や家畜を見回して,同じ使われなくなった器官でも縮小のスピードや程度が様々であることも傍証として取り上げている.これらは基本的に正しい洞察というべきだろう.もっとも,自然淘汰が働かなくなったために変異により精巧な仕組みが崩壊していくというはっきりした認識まではなかったようだ.


獲得形質の遺伝については,ダーウィンはトウモロコシのアメリカ種がドイツに移植されて6年で淘汰なしにヨーロッパ種のようになった観察例から,それを全面的に否定することをためらった.ウォーレスはこれも平均への回帰で説明できるのではないかと述べている.このようなウォーレスの考えは,獲得形質が遺伝しないという膨大な観察例が背後にあるわけで当然だろう.ただこのトウモロコシの例の解釈が正しいのかについてはちょっと苦しいような気もする.おそらく何らかの理由があるのだろうが,どう解釈すべきかについてはそもそもの観察例の具体的な詳細がないのでよくわからない.


このようなウォーレスの態度は,自然淘汰ですべてが説明できるという信念の現れであり,自分とダーウィンが考えついた自然淘汰説をより強調しようというものだと解釈できよう.それがよく現れているのはこの後に続く,ダーウィンの考えをねじ曲げようとする動きに対する激しい反論だ.


当時アメリカでは,進化の背後に何か特定の方向に向かう力があるというように考える進化生物学者が多かったようだ.ウォーレスはそのような考え方に対し,ダーウィンが様々な観察例から確立した自然淘汰の考えを,確かめられていないような理論的概念で置き換えようとしていると痛烈に批判している.そして,方向性があるように見えるのは,変異が十分に大きいことと自然淘汰の働きを理解すれば説明できると強調している.

ウォーレスは続いてそのような例としての,コープの有蹄類の蹄についての説,動物の知的選択説,ゼンパーの環境直接作用説,ゲッデスの植物の普遍の変異法則説を次々と論破していく.いつの時代にも進化にかかるトンデモ説は後を絶たないのだということがよくわかる部分だ.


ウォーレスは本章の最後でヴァイスマンの遺伝学説を紹介し,これはダーウィンのパンゲネシス説より正しいだろうと説明している.これは生殖系列と体細胞系列を区分し,獲得形質が遺伝されないことを明確に説明できるものである.ウォーレスはこの説明と自然淘汰の考えの組み合わせが,観察事例を最もよく説明できるものであり,それが受け入れられれば,上記のようなトンデモ説は成立し得なくなるだろうと述べている.ヴァイスマン説の正しさを見抜いており,非常に鋭い洞察だと評価できるだろう.