「ナンパを科学する」

ナンパを科学する ヒトのふたつの性戦略

ナンパを科学する ヒトのふたつの性戦略


HBES-Jの事務局として活躍されていた進化心理学坂口菊恵先生による本である.一般向けの単著としては初めての本ということで,これまでのご自身の研究を踏まえて書かれており,大変まじめな啓蒙書の仕上がりになっている. *1


内容はナンパ,痴漢のされやすさの個人差にかかる進化心理学的なリサーチが主体である.進化心理学的なリサーチは通常,ヒトのユニバーサルな特徴について適応の視点から説明しようというスタンスが基本になる.しかし片方で,ヒトの性格(そしてそこから生まれる行動特性)には多くの個人差があることが知られている.本書ではこの個人差について考えていこうというもので,リサーチとしては手探りの段階のものだ.進化心理学についての基礎的な解説を時に交えながら,この手探りの研究の最前線を誠実に語ってくれるところに本書の最大の特徴があると言えるだろう.


冒頭で何故このような問題を考え始めたかの説明があるが,大変率直で面白い.幼い頃からいかに男性から様々なウザイ思いをさせられてきたか,それはどうしてなのか,この体験には(女性の側に)個人差がありそうで,それはなぜなのかというのが最初の問題意識だという.


そこから関連する多くのリサーチが紹介されていく.ヒトは意識的に気づかずとも様々な相手の仕草から情報を得ていること,若い頃に痴漢に遭いやすい女性は大人になっても遭いやすいこと,ナンパや痴漢への遭いやすさは魅力とは別の要素らしいことなどだ.
ここで一旦かつての文化・環境のみを要因としてリサーチしようとした文化相対主義的なアプローチ,社会生物学論争,利己的遺伝子の考え方,配偶にかかる進化心理学の基礎(配偶戦略における性差,短期的戦略と長期的戦略など)が解説されている.そして進化心理学のヒトのユニバーサル性を見ようとする流れとは別に,ヒトの性格特性のリサーチでは個人差に焦点があること(ビッグファイブなど)が説明され,本書では両者を併せて考えていくことが示されている.


進化生物学ではそもそも集団内の個体差がなぜ自然淘汰でなくなってしまわないかということが問題になる.これについては周囲の環境を条件とした条件付き戦略(この場合には遺伝的には均質ということになる),頻度依存淘汰(この場合には遺伝的にも多型であることになる)などがよく説明として持ち出される.
なぜ幼いときに痴漢やナンパに遭いやすい女性は大人になってもそうなのかを,被害にあったことが原因だとするのは,より前者の見方に近く,遺伝的にそういう傾向を一貫して持っているのだというのは,より後者の説明に親和的だということになるだろう.本書ではこれに関する様々なリサーチが紹介されている.最終的に著者は,女性側の短期的配偶戦略が頻度依存で多型になっていて,男性はそれを察知したうえでアプローチするために,女性の痴漢やナンパに遭いやすさには遺伝的な要因もあるのではないかと考えているようで,そういう立場から行動遺伝学的なリサーチを含めた様々な知見が解説されている.誠実にまじめに解説されており説得力も高いと感じられる.なお本書の記述はおおむね価値中立的だが,ここでは「しかし,人間の人格や能力は際限なく環境によって変えることができると信じることは,自由主義的な考えなのだろうか?私にはまったくそうは思えない.」などという記述があり,著者の本音が垣間見えてちょっと興味深いところだ.


ではナンパや痴漢に遭いやすいというのは具体的にどのような特質なのだろうか.歩き方やアンケート調査など様々なリサーチが紹介されている.中には男性に「あなたが痴漢するとしたらこの中の誰をターゲットに選びますか」というアンケートを採ったリサーチもあるそうだ.多くのリサーチから浮かび上がるのは,「短期的配偶戦略志向が強い女性はナンパされやすい」「歩き方がぎこちないなどの神経症的傾向が高く外向性が低い女性は痴漢に遭いやすい」という傾向だ.


ここから本書は女性側から見た男性の顔の好みの話になる.女性平均顔と男性平均顔をまずコンピュータ合成し,さらにモーフィングで様々な男性度の顔を作って,女性のその魅力度を判定してもらう.(この部分はトリビアがなかなか面白くて,日本とイギリス,フランスは女性顔好みで,アメリカとドイツは超男性顔好みだとか,日本人顔で合成すると超男性顔は「頭が悪そう」になってしまうだとかの記述がある)この結果,女性は妊娠可能な時期にはより男性顔好みにシフトする結果が得られていて,性周期によって配偶戦略を切り替えているという,進化心理学では従前より予測されていたことが検証できるデータが得られている.
さらに面白いのはこれをゲイの人たちにも調査していることだ.これによるとゲイの人たちは超男性顔好みという非常にはっきりした傾向がある.(受けでも攻めでもその傾向は変わらないらしい)著者は短期的戦略傾向がこのような選択に出ているのだろうと解釈しているが,女性の短期的戦略時の心理状態に近いということであればなかなか興味深いものがある.
なお本書では「なぜ一部の女性はどうしようもない男とばかりつきあうのか」という設問に,このような短期的戦略時の心理と,ボディガード説を説明として提示しているが,結局何がそのような個人差を生むのか(何らかの環境条件に反応しているのか,遺伝的な多型なのか)という説明までにはいたっていない.このようなキャッチーな設問を提示しているのは読者の興味をそらさないための工夫ということだろうが,リサーチの焦点ではないし,最終的によくわかっていないことだという断り書きがきちんとあるべきだろう.ちょっと残念なところだ.


次はベルスキー=ドレーパー仮説(環境を条件にして,時間やリソースをどのような配偶行動に振り向けるかの戦略を変えるという生活史戦略理論を応用し,ヒトの女性は父親が「ごろつき」で養育努力をしないような環境で育てば,初潮年齢が早まり,より短期で安定しない性関係を持つようになるという仮説)を巡る話題だ.著者は行動遺伝学的知見によるとこのような傾向は遺伝的な要因もあると考えるべきで,父親や母親の行動傾向が遺伝している部分もあるはずだと主張し,性ホルモン受容体遺伝子をその候補としてあげている.本書では続いて様々なホルモンを巡るリサーチを紹介し,胎児期の性ホルモン被爆が一定の行動パターンに影響を与えること,しかしそれとは独立に短期的配偶戦略は頻度依存多型になっていて,それはセルフモニタリング能力と相関していることなどを紹介している.続いて性ホルモンが与える様々な影響(特にテストステロン濃度が女性の短期的配偶戦略のスイッチに与える影響)のリサーチを紹介している.なかなか内分泌と個人の行動特性の部分は複雑だが,配偶戦略との関係は何となく見えてくる.
そして「なぜ芸能人に離婚が多いのか」という設問に,セルフモニタリング能力が高いと短期的配偶戦略をとりやすく,それが芸能人と離婚率の高さの相関の一要因になっているのではないかと示唆している.ここもあくまでこの問題に対するリサーチの結果ではなく,推測ベースの「お話」だという断り書きがある方が望ましいと思われる.


本書は最後にソーンヒルの「人はなぜレイプをするのか」の主張を紹介しつつ,それが巻き起こした物議についてソーンヒルの姿勢を擁護した上で,しかし配偶戦略についてユニバーサルしか見ていないことについての問題点を指摘している.そしてヒトの配偶戦略を考える際の個人差へのリサーチの重要性をもう一度繰り返している.


行動遺伝学の知見からは様々なヒトの行動特性の個人差の多くに遺伝的要素があることはかなり確かだろう.そして実際にヒトの配偶行動については個人差が観察される.そのことの説明は大変興味深いところだ.そしてそのような遺伝的な多型はすべて頻度依存で説明できるものなのだろうか.この多くはオープンクエスチョンであり,本書はそういう意味でストーリーが完結しているとは言い難い.しかし実は個人差の解明は今後の進化心理学の進むべき方向の1つなのかもしれず,そこにチャレンジしつつある研究者の第一線の臨場感は本書の魅力のひとつだ.抑えた記述の中に所々女性研究者としての本音も見えるし,丁寧な記述振りは読んでいて著者の誠実さを感じさせるものだ.そしてわかった知見の一部にはやはり興味深いものがあると言って良いだろう.今後さらなる知見の集積を期待したい.



関連書籍


最後に取り上げられているのはこの本.私の原書の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060805#1154778399

人はなぜレイプするのか―進化生物学が解き明かす

人はなぜレイプするのか―進化生物学が解き明かす

*1:装丁や副題,また著者が女性であることから心理学関係の本とわかるが,題名だけだと「いかにすればうまくナンパできるかを科学してみました」的な男性向けお手軽ハウツー本のような印象を与えないでもない.また帯には「どうして美人がナンパされるとは限らないの?」「彼女が結婚にこだわるのはなぜ?」「女顔のイケメン達がもてる理由は?」などの文句が踊っていて,いかにも筋ワルお手軽の進化心理学誤解本のようでいただけない.もっともこういう工夫でもしないとなかなか出版にまで漕ぎつけられないのだろうか.本書の中で実際に一部このような設問にぎこちなく答えている部分もあるのは,そういう背景があるのかもしれない