「Natural Security」 第13章 セキュリティ戦略のパラダイム転換

Natural Security: A Darwinian Approach to a Dangerous World

Natural Security: A Darwinian Approach to a Dangerous World


第13章は第11章でテロ殲滅戦のポピュレーションモデルを展開したジョンソンとマディンによる対テロ対策の考え方のパラダイム転換を進化心理的に考えてみようという章.何故9.11は防げなかったのか,なぜセキュリティ戦略の転換は大規模な被害が生じるまでなされないのか,についての問題意識が背景にあるようだ.


冒頭で,9.11以前から,対テロ対策の欠陥は指摘されていたのに何故それが放置されていたのかと問いかける.そして同じことはパールハーバーキューバ危機やベトナム戦争でも観察されていると指摘する.まず冒頭で著者は背景にあるヒトの認知傾向を以下のように整理している.

  1. 仮説的な危機は適切なリスクの知覚を呼び起こさない.
  2. 現状を是とする心理的傾向
  3. リーダーは自分独自の政策にこだわる傾向がある
  4. 組織や官僚は変化に抵抗する傾向がある
  5. 選挙で選ばれる政治家には見えない脅威に対応するインセンティブがない

そこから詳細が展開される


<現状維持の呪い>
ヒトの組織は保守的だ.これは災害の予測が難しいことを考えるとある意味で合理的だとも言える.しかし生じたときのコスト(被害)が考慮されないし,実際にはコストが大きいとわかっていてもやはりできないという問題がある.これはヒトの本性にかかわる認知傾向だという議論だ.対応を変えるには何らかの大きな事件・災害が必要になる,そのようにヒトはできているという主張だろう.


そしてそのような例として,パールハーバーアメリカの対日政策の現状維持バイアス),キューバ危機,9.11などがケースステディされている.共通パターンとして,新しい脅威,結果はある程度明らかだった,しかし事前には対応できなかったということが指摘されている.これはアメリカだけの現象ではないとして,イスラエルの1973年の第4次中東戦争の例(当初イスラエルは油断していて先制攻撃される)も引き合いに出されている.私達にとっては阪神大震災の記憶が新しいところだ.

著者はこのようなコストとして直接の被害以外にこのような問題があるとまとめている.

  1. 政策の幅を狭める
  2. 敵に勢いを与える
  3. 同盟者の認識に影響を与える,国の信用力が下がる
  4. 先制攻撃のメリットがあると敵に認識させてしまう


<災害は政策変更に常に必要なのか>
著者はアメリカの戦後の大きな政策変更を7つ取り上げてケーススタディし,すべての変更は予見可能であったが予見せず,準備していなかった何らかの事件・災害のあとに生じているとまとめている

  1. トルーマン・ドクトリン 1947-49:鉄のカーテンの崩落と欧州の共産主義暴動の頻発
  2. 再軍備と封じ込め政策 1950-53:南朝鮮半島への北の侵入
  3. ケネディの防衛戦略 1961-63:ベルリン危機,キューバ危機
  4. アメリカ化 1964-68:共産主義のアジアでの拡張,ベトナム戦争
  5. ベトナム化 1969-73:テト攻勢
  6. レーガンドクトリン 1979-85:ソビエトアフガニスタン侵攻
  7. アメリカ戦略の再構成 1990-91:ソビエトの崩壊とイラククウェート侵攻


大きな出来事に対応して戦略を調整するのはある程度当たり前だし,本当に予見可能で準備可能だが準備していなかったのかどうかはよくわからないところもあるが,いずれの事件もアメリカ為政者にとって不意打ちだった部分が大きいのだろう.


<何故政策変更に災害が必要なのか>

著者はまず変化の予測が難しく,予測は不確実で,予測自体にコストがかかることを挙げる.
しかしこれに加えて,数々のヒトの認知バイアスがあるのだと議論している.


1.感覚バイアス
五感で感じられないものは把握しにくい.実際に自分で体験しないとわからないのだ.この政治的な例として著者はアメリカ人が何故ベトナムでのフランスの誤りを教訓にできなかったのかを表す言葉を引用している.曰く「あれはフランスなのだ.フランスは植民地のために戦った.我々は自由のために戦うのだ」「フランスはパナマ運河さえ失敗したのだ」
そして自分にはっきりわかる失敗は最もよく知覚できる.


2.心理バイアス
ヒトは物事を自分に都合よく解釈するバイアスがある.これにより複雑な現実の理解は難しくなる.
また現状維持を是とするバイアスもある.これには様々な現象が知られているという.自分の職業の伝統的な味方にこだわる傾向,とにかく現状をよしとする傾向,バンドワゴン効果,利用ヒューリスティックス,イングループびいき,自信過剰傾向などだ.実際にカリフォルニア住民は地震のリスクをより過小評価するし,イスラエルの住民はテロのリスクについてより仮想的だと見なしたがるというリサーチがあるそうだ.
しかし一旦失敗を経験するとこのような楽観幻想は消える.


3.リーダーシップバイアス
リーダーはより現状維持を好む.組織化されて死後まで残ることもある.悪い報告を聞かないリーダーの話は多い.これの例としてはブッシュ政権イラク大量破壊兵器の情報が取り上げられている.


4.組織バイアス
官僚の昇進の仕組み,予算制度が現状維持バイアスを生むことについては多くのリサーチがあるそうだ.
これらは元々の制度設計意図もあるが,しかしそれがコストを超えても是正できないのが難しいところなのだという.
例としては(ちょっと古いが)インテルペンティアムプロセッサーの誤設計がCEOのアンドリュー・グローブに当初伝わらなかったこと,また2001年の7月にテロによる攻撃を予測していたCIAがブッシュ政権にそれを認知させられなかった例も取り上げられている.(CIAのテロ専門家ブラックによると,彼等はそれを政権に伝えるためにありとあらゆることをした,やらなかったのはコンドリーザ・ライスの頭に銃を向けて引き金に指をかけることだけだったという)


5.政治バイアス
セキュリティは票にならない.これは日本でも外交は票にならないとよくいわれるところだ.
この結果,架空のリスクに対する対策の予算は議会を通らない.
また選挙における現職有利のバイアスは,さらに現状維持バイアスを助けることにつながると指摘している.


<どのようなときに災害は政策変更を引き起こすのか>

ここはまだよく分析が進んでいないようだ.
予備的な考察として適応を勧める要因候補が挙げられているにとどまっている
民主主義,国力,発明是認的な文化,注意深さ,災害のひどさ


<災害なしで政策変更は生じないのか>

著者はそれは必ずしもそうである必要はないと言っている


まずソ連の崩壊は西側から見れば災害ではなかった.しかしリスクの増大が予想されたために政策変更を可能にしたといっている.
また過去にセキュリティ以外では様々な政策変更が災害なしで生じている.
女権拡張やユーロなどが例としてあげられている.もっともユーロは第一次,第二次欧州大戦という大災害への対応と見る方が良いのではないかという気もする.また著者は地球温暖化対策もそうであって欲しいと言っている.


著者はセキュリティ分野では,リスクの予測が難しいことと,失敗の場合のコストが大きいので特に災害があって政策変更と言うことになりやすいのだろうと推測している.


<解決>
著者は,失敗はシステマティックであり制度デザインで工夫できることがあるはずだと議論している.そしてそのようなデザインをするときには様々な生物学的知見を取り入れるべきだと主張している.
著者が示唆しているのは,対捕食者防衛システムから,冗長性,柔軟性,分散処理,免疫系から素速くて頑健な適応性,ローカルでの処理,適応全般の制度デザインから予測されないことにも対処できるデザイン(柔軟性,下位レベルでの記述,フィードバックなど,予測するより自動的に適応するようなデザイン・・・これは特に伝統的な組織デザインとはかなり異なる性質となる)などだ.


このあたりはヒトの認知のバイアスを避けるようなデザインを考えるような主張ではなく,どちらかというと前半の分析とはあまり結びついておらずちょっと月並みな印象だ.
面白いのは生物学的な知見だけでなく,マーケットメカニズムの利用も勧めていることで,より正確な予測の一手法として保険や先物市場の利用を考慮してはどうかと示唆しているところだ.あまり進化生物学とは関連がないが面白い指摘と言うべきだろう.


最後に著者は,災害や危機はシステムを変えるチャンスだと捉えるべきだし,民主主義国家はそのようなチャンスを捉える上でアドバンテージがあるはずだと主張し,より一層の研究の進展を期待すると結んでいる.


本章はケーススタディとしてはなかなか面白いが,あまり進化生物学的知見を生かしているという感じでもない.いずれにせよヒトの認知バイアスを考慮に入れればこのような分析になるだろう.現象の原因についての分析と解決が結びついていないのも唐突な印象だ.まあ実務的にはこれからだと言うことだろう.



関連書籍



第11章でも紹介したドミニク・ジョンソンの本

Overconfidence and War: The Havoc and Glory of Positive Illusions

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Failing to Win: Perceptions of Victory and Defeat in International Politics

Failing to Win: Perceptions of Victory and Defeat in International Politics

  • 作者: Dominic D. P. Johnson Alistair Buchan Professor of International Relations Department of Politics and International Relations,Dominic Tierney
  • 出版社/メーカー: Harvard University Press
  • 発売日: 2006/10/30
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