「新しい霊長類学」


京大霊長類研究所の研究者が分担執筆している霊長類学の紹介書.100問100答という形式をとっていて読者はどこからでも読めるようになっている.質問は「人間がサルから進化したって本当ですか?」「人類はどこで起源したの?」という初歩的なものから「霊長類の研究はいつ頃始まりましたか?」「霊長類研究所で勉強・研究したいのですがどうしたらいいのですか?」という広報的なもの,「サルを表す言葉は,世界でどう違う?」のような文化的なもの,「畑を荒らすサルにはどう対応すればいいか?」という実務的なもの,さらに「サルのBウィルスって何?」「ヒトのように「影」を手がかりににしてものの形や動きを見ますか?」「ヒトとサルの染色体はどう違うの」という専門的なものまで幅広い.回答は専門分野の研究者が丁寧に執筆しており,決して難解ではなく,かつ密度の濃いものが多い.


私のような読者にとっては,自分の興味のあるところや,その隣接分野での総説的な解説がなかなか興味深かった.直立歩行とナックルウォークに関する系統的な見解(なお未解決だが,懸垂型から直立歩行に直接移行の方がありそうで,ナックルウォークは独立に進化した収斂形質かもしれないという方が有力のようだ)ヒトが体毛を失った究極因に関する現在の学説の趨勢(やはりなお未解決だが,冷却説はややや後退し,外部寄生虫予防説に勢いがある)南米のサルの起源(浮島説が広く支持されている)最新の霊長類の系統樹(メガネザルはキツネザルやロリスより真猿類に近いことがわかり,かつての原猿類という分類群はなくなり,曲鼻猿類,直鼻猿類(含む真猿類,メガネザル)となっている)などの記述だ.

また純粋に面白い話題も多い.クモザルのメスは,オスのペニスのようなクリトリスをもっていて,オスメスの判別が難しいそうだ.(どのような生態的な特徴がこの形質の究極因になっているかについてはまだよくわかっていないようだ.本書ではメスが他の群れに近づいたときにメスとオスが区別しにくいことに意味があるという説明があるが,理解が難しい)中国の様々な漢字とそれに対応するサルは純粋の蘊蓄として楽しい.(猿はテナガザル,猴はマカク,このほかに猩,狒,狙などなどがあるそうだ.そして後に大型類人猿が猩々(しょうじょう)となり,チンパンジーは黒猩々,ゴリラは大猩々,オランウータンは赤猩々となった.狒々はもともと別の架空の動物を表していたが,ヒヒに転用されたらしい)ニホンザルの起源はミトコンドリアと血液タンパクで異なる系統樹になっていてなかなか興味深い.

認知のところはさすがに詳しく解説されていて力が入っている.色覚や聴覚の基礎的な説明から恐怖反応,オスメスの識別,サッチャー錯視など充実している.表情の操作性について訓練で一部情動を超えられるという知見は興味深かった.
生理,病理の部分もメタボ,花粉症,アルツハイマーパーキンソン病などと詳しく記述されている.これはそのための実験動物という側面があるからだろう.
DNAに関しても様々な記述がある.ここではテナガザルの系統解析をした実話が詳しく紹介されていて面白い話題だった.


どこから読んでもよいが,内容は濃くて結構密度が高い.独立独歩の京大の伝統をふまえているのか,回答者のスタンスは様々で,そこもアクセントとしては味がある.ただきちんとした監修はなかったようで,進化適応の説明については水準にむらがある.特にサルの更年期の説明では明らかに「種のため」誤謬の説明が紛れ込んでいて本当に残念である.とはいえ,全体としては読みやすく水準の高いブルーバックスであるとと評価できるだろう.