「The Greatest Show on Earth」 第2章 イヌ,ウシ,キャベツ その1

The Greatest Show on Earth: The Evidence for Evolution

The Greatest Show on Earth: The Evidence for Evolution


さてここからが進化に関する証拠の議論だ.ドーキンスはまず家畜と栽培植物から始める.これはダーウィンの「種の起源」と同じ順序であり,ドーキンスダーウィンに対するリスペクトが感じられる.


まずドーキンスは,進化のアイデアはわかってみれば簡単なアイデアだが,何故ダーウィンはあんなに慎重だったのかと問いかける.
何故当時の人々にとって進化はそれほど受け入れにくいとダーウィンは考えたのか.それには,大きな変革を理解するには時間がかかる,地球の歴史の時間スケールが理解されていなかった,宗教的なもの,完成度の高い眼のようなものが設計なしにできるとは信じられにくかったなどの理由もあっただろうが,最大の障壁はヒトの心にある「本質主義的思考」ではなかったかというマイアの主張を紹介している.


そしてこの本質主義プラトンにまでさかのぼる.
マイアによると生物学もまたその本質主義に汚染されていた.生物学は「ウサギ」を三角形のように扱ってきたのだ.ウサギには本質があり,実際に生きているウサギはその反映に過ぎなく,個体的な変異は本質からの逸脱なのであると.


ドーキンスはこれはまったく反進化的な考えであるという.進化を認めるとウサギは無限に変化していけることになる.(まさにこれはウォレスがリンネ協会で発表した論文の題「変種がオリジナルのタイプから無限に変化していく傾向について」そのままだ)
進化的思考ではウサギらしさはあくまで現在ある集団の統計的な性質に過ぎないことになる.しかしプラトン本質主義に絡め取られた心にはウサギはウサギだ.百万年たてば変わるというのは心理的なタブーなのだ.

ドーキンスは言語心理発達の世界で子供が生まれつきの本質主義者であるという知見があることを紹介している.要するにヒトの心は本質主義的であった方が言語習得に(そしてさらにその後の現実世界の把握に)都合がいいのだろう.このあたりは「種」問題にも絡む話題で面白い.そして進化があったことを認めにくいのは,このようなヒトの生得的な心の構造にも原因があるということだ.


そして果たして話は系統樹思考に飛ぶ.もっともこれは創造論者の反論「進化があったというなら,ではクロコダック(ワニとアヒルの中間形の生物)はどこにいるのか」に絡んで触れられている.ドーキンスはインタビューなどに応じるときにはこのクロコダックのネクタイをよくしている.本書のカラー図版8ページにも紹介されていて,お気に入りの揶揄のようだ(この写真はドーキンスのオリジナルのものとはちょっと異なっている市販されているものだ.オリジナルはもっと水かきが大きくてカルガモのように赤い)


ドーキンスは中間形ではなく共通祖先があるのだと解説し,片方の動物から進化的に祖先をたどって共通祖先まで行き着き,別の道を戻ってくればもう片方の動物に必ず行き着くと説明し,それをヘアピン思考実験と呼んでいる.

  1. これはどんな動物間にも成り立つ.進化の系統樹はすべての生物で1つなのだ.
  2. これはウサギがヒョウに進化することを意味しているわけではない.途中までは進化をさかのぼり,途中からは戻ってくるのだ.
  3. 戻ってくるときにはたくさんの分岐がある.共通祖先はある二種だけのものではない.
  4. 信じにくくても,すべての動物はこのような形で連続してつながっているのだ.


そしてこの本質主義の前置きをこう結んでいる.

この仮想実験がプラトンイデアを論破するのは理解できるだろうか?そしてヒトに本質主義が深く埋め込まれているならその打破がいかに難しかったかもわかるだろう.「本質主義」Essentialism という言葉自体は1945年に作られたものでダーウィンの頃にはなかった.しかしダーウィンはその生物学版「種の不変性」についてはよく知っていた.そして彼は著書の中でそれと格闘している.それは彼の本の読者のほとんどが本質主義者であったことを踏まえて読めば理解できる.ダーウィンがそれを論破しようとしたときにもっとも強い証拠として使ったのは家畜化から得られる証拠だった.


ドーキンスダーウィンへのオマージュとして家畜と栽培植物から証拠を紹介し始めるのだが,その前にそもそも何故ダーウィンもここから説明を始めたのかの背景を説明しておきたかったのだ.そしてダーウィン本質主義の打破には本当に多様に変化している家畜の例がもっともよいと考えたのだろう.