「選択の科学」

選択の科学

選択の科学


本書はコロンビアビジネススクール社会心理学シーナ・アイエンガーによる選択についての本だ.邦書の体裁は,「コロンビア大学ビジネススクール特別講義」という副題がつけられていて,いかにも実務的なビジネス書だという印象を与えてビジネスコーナーで売りまくろうという魂胆が見え見えだが,本書の本当に伝えたいメッセージはビジネスを超えた人生の価値のところにある.
邦題は「選択の科学」だが,原題は「The Art of Choosing」.単に選択を科学してみましたということではない.いかにうまく選択を行って人生を豊かにするかということが主題なのだ.
選択こそが人生を形作るといういかにもアメリカ的な価値観の根底を保ちながらも,しかし実際には「無条件に選択肢が多いことが良いことだ」とするのは逆に人々を不幸にしうるのだ,そしてより良い選択を行うためには様々な選択に関連する知識があった方が良いし,時に選択肢を狭めることが効果的だというのが本書の主張の基本をなしている.ある意味でアメリカのリバタリアンに対して実証主義的な反論を行っているという部分もある.


最初はまず「選択の自由」があることが動物にとっても人々にとっても非常に意味のあるものであることが語られる.動物は選択肢を残そうと行動するし,選択によって災いを回避した経験がある動物は諦めない.*1自己決定権のある動物のほうが飼育下で長生きする.そして人々も選択の自由があるほうが一般に満足度が高い.この選択の自由はヒトを幸福にするという基本を押さえつつも,しかし様々な考慮が必要だという本書全体の構成に続いていく.


次に語られるのは文化(個人主義集団主義)との関連だ.アメリカ的な感性からいえば,個人の選択の狭められる集団主義は人々を不幸にすることになるが,実はそうではないという説明がなされている.幸せの基準や選択の定義は文化により様々で,一概にどちらが不幸であるかということにはならないのだ.この部分を説明するエピソードは考えさせるものや楽しいものが多い.*2
これが「選択肢が多いことは無条件に良いことだ」という考えに対する要考慮事項の最初ということになる.


続いてなされるのは合理性や認知の限界の話だ.
ヒトは自分はユニークでありたい,認められたいという希望を持ち,周りに影響される.そして認知的不協和に陥らないために,理由は後付けで歪曲し,それを意識的に気づくことはできない.また認知には無意識下の自動システムと熟慮システムがありよくコンフリクトを起こす.また判断は(偶然同時に起こった)情動に影響される.逆に熟慮システムが自分の本当の好みを知っているとも限らない.さらに私たちの選択はマーケティングにより操作され,プライミングフレーミングのような効果から逃れられない.
この辺りは社会心理学認知科学行動経済学でおなじみの部分だ.ここでは著者の独自のリサーチの部分がちょっと面白い.それは食料品店でのジャムの販促を舞台にしたもので,ヒトが選択するときに選択肢は数個あたりが選択が容易で満足度も高いが,何十もあると困惑と選択不能を引き起こしやすいというものだ.*3
これが要考慮事項の2番目ということになる.要するにうまく選択を行うためには,ときに自ら選択肢を狭めることが効果的でありうるということだ.(なおここではうまく選択を行うためのちょっとしたコツなども紹介されていて,よくある「事前に自ら選択肢を放棄する方法」や「まず選択肢が少ないオプションから決める方法」などが紹介されている.自分との契約を破ると自分が最も嫌っている団体に寄付が自動的になされてしまう(そういうサイトサービスが実際にあるそうだ)という方法は極端で面白い.ここは実務としても面白いところだろう.


最後の要考慮事項として,特別な場合にはヒトは選択を重荷に感じるということがあげられている.ここで著者が持ち出しているのは「ソフィーの選択」状況で,具体的には赤ん坊やアルツハイマー高齢者についての安楽死,あるいは治療方針の決定についての選択だ.著者は特別な場合には専門家に委ねたほうが関係者全員にとっていい場合があるという議論をしている.しかしここはやや納得感がない.これまでの選択は自分自身に関することだが,ここでは近親者の命の問題にすり替えられている.自分自身に属さないことについての選択はかなり異なるのだという整理のほうが良いと思われる.


本書は選択にかかるヒトの心理について特に深く議論がなされているわけではないが,著者の真摯な姿勢や人生模様*4が散りばめられていて(私のようなこの手の話題にすれている読者にとっても)爽やかな読後感を与えてくれる.語り口もキビキビしていて一気に読ませるいい作りだと思う.


関連書籍


原書

The Art of Choosing

The Art of Choosing

*1:ラットを溺れさせる実験は印象的だ。しかしこれが選択の価値を示しているというのはやや擬人的な解釈で疑問だ.諦めずにもがくことはエネルギー消費を上げるので常に有利なわけではないだろう.過去の体験に合わせて諦めパラメータを調整するのはごく単純な適応的な戦略ではないだろうか.基本的に本書では(当然だが)究極因については全く考慮されていない.

*2:恋愛結婚と取り決め婚の幸福についての逸話は著者の両親の思い出話も含めなかなか面白い.結婚がゴールなのか始まりなのかという話は示唆的だ.またどの種類のゲームを行うかを自分で決めたのか母親が決めたのかが子供に与えた影響を語るエピソードは楽しい.アジア系の子供は母親の期待に沿おうと頑張るが,アングロサクソン系の女の子は明らかな困惑を示したそうだ.「ママなんかに聞いたの?」

*3:著者はこれがショートメモリーの7±2と関連するのではないかと示唆しているが,そうなのだろうか.ちょっと興味深い

*4:シーク教徒の両親の元に生まれ,アメリカで育ち,高校時代に全盲になるというハンディを乗り越えて学者として努力するという彼女の人生は本書のところどころで自叙伝風の味付けで語られてなかなか印象的だ.