「The Better Angels of Our Nature」 第1章 外国 その1 

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined


第1章 外国


冒頭の第1章は「A Foreign Country」と題されている.ピンカーの本書での主張のポイントは歴史における暴力の減少だが,「過去がいかに暴力に満ちあふれていたか」を歴史上の出来事として捉えるとその暴力性が実感できないだろう,だから現在にこのような外国があったらどう思うかをいう思考実験をしてみようという趣旨なのだ.
文化的な記憶は過去を美化し,その血まみれの起源を忘れさせると指摘し,例として「十字架のアクセサリー」(起源はもちろん人間が磔になって殺された磔台だ)「Wipping Boy」という英単語(身代わりという意味だが,もともとは王子の代わりに鞭打ちの罰を受ける係の少年のことを指すらしい)を挙げている.


この後かなり具体的な過去への旅が始まる.ピンカーのあげる例を見ていこう.


<先史時代の人骨>
アルプスで発見された5000年前のアイスマン
発見されたあと,10年ほど研究されていろいろなことがわかってきた.彼は肩に弓矢を受けていた.手,頭,胸に傷があった.斧には自分ではない2人分の血が,剣には3人目の,外套には4人目の血がついていた.彼はおそらく襲撃チームの一員で何人も傷つけたあと反撃を受けて死んだのだ.
そのほかの先史時代の様々な人骨には人の手による武器の傷跡が頻繁に見られる(ケネウィックマン,リンドウマン,ほか)


ホメロスギリシア
総力戦の記述.王たちは頻繁に「皆殺し」を口にする.


旧約聖書
基本的に旧約聖書は野蛮.イングループでは奴隷性を認め,レイプ,殺人が頻繁に生じる.戦争では無差別殺戮.女性には権利はなく単なるセックストイ.神はちょっとした不服従をとがめて何千人も殺す.


ピンカーは旧約聖書についてはかなり丁寧に紹介している.現代でもモラルの源泉として持ち出されることがあるからだろう.もちろんこれらはフィクションであり,多くの記述を集めたwikiのようなものだとしながらも,結局それは鉄器時代の近東の一部地域に住んでいた人々の正義のコードであり,彼等の,部族同士で対立し襲撃し合い時に皆殺しをしていた実態とその価値観を反映しているのだろうと指摘している.彼等は敵対部族のジェノサイドはいいことだと思っていて,女性にレイプされない権利があるとは考えもしなかったし,奴隷制度や残酷な刑罰は当然で,人の権利より,伝統や権威への服従が重要だったのだ.


ピンカーは現在旧約聖書をモラルの源泉と主張している人々について,彼等はそれを魔除けのように扱って寓話だと解釈したり部分的には無視しているが,それこそが過去と現在で暴力への感受性が変化したことをよく示しているのだと指摘している.


古代ローマキリスト教
ローマの平和にいたる段階でのすさまじい征服戦争の実態,コロッセオの見世物,
キリストの磔刑(当時の地中海全域で行われていた方法でまずむち打ってからはりつける.失血死まで数時間から数日かかる)イエス磔刑については磔刑の残虐さが問題なのではなく,盗賊と同様に罰された不条理が問題にされている.ピンカーはもし現在ならばこのような残虐刑にかかるものを信仰のそしてモラルのシンボルにすることは考えられないだろうと言っている.


ピンカーは,キリスト教はキリストの磔刑から初期の殉教者にかけて残虐なものを聖なるものとするようになり,その後1000年にわたりシステマティックに残酷さを持つようになったと指摘している.(具体的には異端審問や魔女狩りなどを挙げている)
そして今日のキリスト教信者はこのようなことはしないと指摘し,これも暴力への感受性の変化の証拠だとしている.


ピンカーは西洋文明に沿って説明しているが日本ではどうだろうか.
縄文時代の人骨の武器傷はまれだと聞いたことがあるので先史時代についてはあまり証拠は無いのだろう.古事記あたりをきちんと読むと結構暴力的な記述もあるのだろうか.
ただ日本においては歴史時代以降近隣グループを皆殺しにしたり女子供を奴隷にして売り飛ばすという記述はあまりないように思う.地中海沿岸のような堅固な城壁を持った都市城塞(陥落したら皆殺しになるのであればこうなるだろう)は結局日本では発達していないし,大きな盾を持った重装歩兵も登場していない.大規模な奴隷市場も発達していないようだ.島国と言うことから少し様相が異なっているのかもしれない.(これに対して中国ではかなり西洋に近いようだ.)