「The Better Angels of Our Nature」 第1章 外国 その2 

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined


ピンカーによる過去への旅は続く.次は中世だ.



<中世の騎士道>

一般に西洋では中世に対してロマンチックなイメージがあるようだ.しかしピンカーは実情はまったく異なると指摘している.中世は私闘,刃傷沙汰,残虐行為,レイプのあふれる世界だったというわけだ.


一般的なロマンチックなイメージについてのピンカーのコメントは以下の通り

そのジェントルさが讃えられているときも,その内容は,(事前に殺すと誓っていないときに限って)許しを請うものの命を取らないことなどに過ぎない.レディについては誰かに連れ去られないために守っているだけだ.闘いに勝てば女性は自由にできたのだ.


このあたりは日本人にはややなじみのないところかもしれない.
源氏物語などのイメージがある平安時代がやや近いのかもしれない.おそらく平安時代の日本も様々な残虐行為が日常的だったのだろう.


<初期近代ヨーロッパ>

近世についてのピンカーのコメントは,文明化プロセスの1つとして中央集権になって全般的な暴力は減ったが,しかしその国王たちは残虐なままだったという指摘から始まる.いくつもの例が挙げられている.なかなかすさまじい.

  • ヘンリー王の2人の后殺し
  • ブラッドメアリの300人殺し,エリザベスは100人殺し
  • シェイクスピア劇も当時の残虐性をよく示している
  • グリム童話の残虐性
    • ヘンゼルとグレーテル:父と継母に捨てられる(餓死することが期待されていた)魔女は子どもを食べるためにお菓子の家を作って待ち受ける.グレーテルは魔女を焼き殺すことに成功する
    • シンデレラ:義理の姉たちは靴に足を入れるためにかかとを切り落とす.シンデレラは王子と結婚した後に姉たちの目をえぐり出させるという罰を与える.
    • 白雪姫:義母は狩人に「白雪姫を殺し証拠に内蔵を持ってこい」と命じる.白雪姫が生きていると知ると,3回殺そうとし,ついに成功する.王子に白雪姫が救出されたあと,義母は鉄板の上で踊らされて死ぬ.


近世ということなら日本で比較すべきは信長や秀吉の残虐行為だろうか.徳川時代やその時代の浄瑠璃や歌舞伎の筋立てはヨーロッパほど残虐ではないかもしれない.とはいえ忠臣蔵1つとっても現代では考えられないような野蛮な内容だとも言えるだろう.


<ヨーロッパと初期アメリカ合衆国の名誉>

ピンカーは「名誉」の概念を特に取り上げている.これは未だにやや高貴な概念であるかのように取り扱われることもあるが,その実態は大変暴力的な結果を含むものだというのがピンカーの理解なのだろう.

  • ハミルトンは決闘を受諾して殺される.当時の名誉はこれを不可避なものにしていた.このほか多くの建国の偉人が決闘に関わっている(リンカーンですら条件付きで受諾したことがある,もっとも成就しないような条件だったが)

ピンカーの理解では,もともと決闘はルネサンス期のヨーロッパで後に復讐の連鎖を呼ばないように問題を解決する手法として導入されたのだが,これに「名誉」の概念が絡むと,つまらないことでもすぐに決闘になることが避けられなくなったということになるようだ.


「決闘は教会や政府の禁止にもかかわらず19世紀まで続き,そして突然なくなった」とピンカーは書いている.若い世代は決闘するものを笑い蔑むようになったのだ.これも暴力減少現象の1つと言うことだろう.


ピンカーはここで明示的に引用はしていないが,「名誉」の文化は暴力的だということに関してはニスベットとコーエンの南部文化のリサーチが印象的だ.なおヨーロッパにおける「決闘」は「名誉」をかけた不可避的なものという側面もあるが,片方では「決闘裁判」という形が近世まで残り,どんな不公正で非道な権力の元に会っても自分の権利を最後は自分で守ることができるという「自力救済」の権利を浸透させ,後の人権の確立に道を開いたという面もある.もちろんこの2つは深く結びついている.ピンカーは後者の側面を論じてはいないが,なかなか深いものがあるように思う.



<20世紀>

本章では問題になる20世紀についてどのように変化したきたかを主に扱っている.


1.軍隊文化の低落
司令官や兵士の銅像,駅や通りに名に勝利地をつけること(パリのアウステルリッツ,ロンドンのウォータールー),パレードで軍服を着ること,壁に武器や猛獣を飾ることなどは流行らなくなった.


2.映画などの戦争のイメージ
戦う英雄のイメージから泣く女性,無数の墓碑銘に


最初の部分は祖国防衛と胸を張れる大きな戦争が欧米ではなくなったからだとも言える気がする.軍服や武器,映画などの取り上げ方については,日本は第二次大戦の敗戦から一気に転換したということだが,欧米では徐々に進んだということだろう.


3.ドイツの平和主義への転換


ドイツは敗戦国なので日本と同じような背景があるのだろう.このような敗戦,そして膨大な犠牲を出したことからの反省で平和主義に転じる問題をピンカーは特には扱っていないようだ.歴史にifはないとはよく言われるが,敗戦経験がなくても日本やドイツは変容していったのだろうか?ピンカーに従えば,(程度の問題はあっても)そうなった可能性が高いだろうということになるのだろう.


4.核のイメージ
核ミサイル:50年代まではチャーミングだった,アトミックという単語のキャンペーンへの使われかたも変化した.


「原爆」は日本では戦後ずっとマイナスイメージだが,(暴力とは少し離れるかもしれないが)少なくとも昭和40年代までは「原子力」は非常によいイメージだったように思う.だから鉄腕アトムに出てくるロボットはアトム,コバルト,ウランという名前がつけられているのだろう.福島の事故後の現在このようなネーミングは考えられもしない.


5.暴力表現の変化
侮辱に対する拳を使った反撃,娘を批判されたトルーマンの批評家への恫喝,これらは当時リスペクトされた.今日では自己コントロール能力のなさを示すだけと受け取られるだろう.テレビドラマやコマーシャルでの,DV,女性の誘拐,子供への体罰の表現は激減した.


日本ではアメリカから20年ぐらい遅れて子供への暴力表現がタブー化しつつあるように感じられる.少し前までバケツを持って教室の外に立たされる小学生という表現は子供向けアニメで当たり前だったが,最近のアニメではあまり見られない.



ピンカーは本章の最後でこう指摘している.

もし35年前に戻って,大学生に2011年までに起こることを教えたとしても信じないだろう.
第3次世界大戦は起こらなかった,大国同士の戦いもなかった.冷戦は戦争なく集結した.ソ連は自主的に解体した.中国は我が国最大の貿易パートナーだ.5次中東戦争のあと中東では戦争が起こっていない.エジプトとヨルダンはイスラエルと平和条約を結んだ.南アフリカアパルトヘイトは内戦なく廃止された.

これは確かなことだ.現在のリスクは過去より小さくなったのだ.もはやほとんどの人が誘拐されて奴隷にされたり,ジェノサイドにあったり,拷問や残虐刑に処されたり,異端審問を受けたり決闘に巻き込まれたりすることを心配しなくてもよいのだ.


この年末にNHKの「坂の上の雲」を視聴したが,塹壕と機関銃で武装された要塞に歩兵が突撃する攻囲戦,大砲で撃ち合う海戦の描写はすさまじい.私達はほんの100年前であれば,徴兵制のもとでそのような場面に直面し,深い疑問なく戦ったのだろう.戦国時代のことを考えてもそうだ.比較的平和だった江戸時代でも,刑罰や拷問は残虐で,仇討ちや切腹も行われている.確かに暴力は減少しているのだ.次章以降はそれがどのように生じたかが扱われる.