ターチンによるローマ帝国衰亡論.ターチンはローマ帝国の最初の分解フェーズの始まりをメタエスニックフロンティアがイタリアから離れ,人口増と均分相続で中流ローマ市民が没落始めたBC200年ごろに置く.またターチンはここで,西洋古代史では非常に大きなテーマである奴隷制の影響を整理する.
第11章 車輪の中の車輪 ローマ帝国のいくつもの凋落 その4
- 要するに転換点は紀元前2世紀だった.前期共和政のローマ貴族はローマの栄光のために死ぬことが出来たが,後期共和政のローマ貴族は誰が最も金持ちかを巡って貴族同士で争っていたのだ.
- この社会的分解を促す力は平民の間にも働いた.ごく一部の平民は富裕になり上の階層に移動できた.しかし多くは土地を失い,小作人になったり都市に流れ込むしかなかった.この無産市民たちは軍隊に流れ込み,後の内戦の重要な要因となった.
ターチン的に言えば,まずメタエスニックフロンティアが遠くに移動したことにより貴族層でアサビーヤが失われた.そして人口要因でこれまでローマ軍の屋台骨を支えた中間層の平民が没落し,ローマ全体のアサビーヤも侵食されたということだろう.ここから奴隷制の考察となる.
- 最後に奴隷の影響について考察しておかねばならない.紀元前2世紀のローマによる地中海沿岸地方の征服はイタリアへの奴隷の大量流入を引き起こし,奴隷の人口が自由民の人口と同じぐらいになった.奴隷は鉱山労働者,ガレー船の漕ぎ手,家内召し使い,農園労働者となった.自営農が消滅し,大規模なプランテーションに取って代わられた.
- 奴隷と自由民の区別は社会不平等の最も極端な形だろう.だから奴隷の増加は社会のアサビーヤを大きく腐食したに違いない.実際,奴隷制が社会資本(アサビーヤ)に深く永続的な負の影響を与える証拠がある.(ロバート・パットナムによるアメリカ合衆国の奴隷制が社会資本に与えた影響のリサーチが紹介されている.それによると,社会資本の低いゾーンがミシシッピデルタを中心にかつての南部連合地域に同心円状に広がっていることが示されている)
- この20世紀末の低社会資本地域のパターンはどう説明できるのか.パットナムは19世紀前半の奴隷制との相関を示している.実際,奴隷制は奴隷と自由民の間の社会資本を破壊するようにデザインされているのだ.抑圧されたもの同士の連帯は反乱のリスクを高めるし,自由民と奴隷間の同情に基づく平等主義的絆はシステムによりその土台が掘り崩された.奴隷解放の後も南部の支配層は垂直ネットワークの妨害を試み続けた.百年の奴隷制の後,百年のジム・クロー法人種隔離政治が続いたのだから,社会資本が低くなるのも無理はない.
よくある古代西洋史の奴隷制に関する議論は,その生産性がどの程度まで低かったのかが焦点になっていることが多い.しかし帝国の没落を考察する上では,どの道古代地中海世界でローマより生産性の高い敵は存在しなかったので,ここではあまり焦点にならないということだろう.ターチンは当然ながら奴隷制がアサビーヤに与える影響(特に社会の中の奴隷が急増した場合)を考え,アメリカ南部のリサーチからそれがアサビーヤの浸食要因であったに違いないと結論づけている.
- つまり不平等の拡大と,その究極形である奴隷制が紀元前2世紀にローマのアサビーヤを腐食し始めたのだ.しかしながら,この時期にローマのすべてが凋落し始めたわけではない.凋落過程は非線形であり,多元的だ.例えば帝国の拡大のピークはAC98〜117のトラヤヌス帝時代だ.これはアサビーヤの凋落開始から300年後になる.ここに矛盾があるわけではない.領土拡大力はアサビーヤと帝国の持つリソースの両方で決まるからであり,アサビーヤの低下は時に緩やかで時に停止するような非常に長くかかるプロセスであるからだ.アサビーヤはグループ内競争の激化とグループ間不平等で促進され,これらの力はセキュラーサイクルとともに増えたり減ったりする.
ここはある意味言い訳的なコメントであるようにも読める.ローマの絶頂期は紀元後2世紀の五賢帝時代だ.それより早くアサビーヤの腐食が始まったが,その影響がそれ以外の影響を打ち負かすのに300年かかったというわけだ.やや苦しいというのが私の印象だ.
- だから,非常に問題のあった後期共和政が終わった後ローマ帝国は皇帝の元で再構築できたのだ.そしてそれは3世紀の危機でまたも問題に巻き込まれ,そこでローマのアサビーヤは失われてしまった.ともあれ,共和政から帝政の移行期をもっと細かく見てみよう.
そしてターチンは細かいケーススタディを行っていくことになる.
